5、悪夢のあとで(2/2)
結局あれから数日、訓練をいつものようにしていたがやはり成績も振るわず、けれど解決しようにも思えない自身に内心イライラしていた。彼は毎日のようにその店に通っていて、ある意味これが本性なんだろう、とある種納得、というより諦めもついていた。
訓練場までの廊下には本部があり、そこを出ていく人らの話声から「X-10」という単語、というより暗号が聞こえてきた。それがきっと今回の作戦名なのだろう。その頻度が増えていくことはその訪れが近づいてきていることの現れに感じた。
「なあ。最後に酒でも飲まないか?」
「酒? アンタ呑めない人だろ」
「別に俺は26だ。呑めないわけじゃない。まあ下戸なのは変わらないんだけどさ」
私は正直彼に対してもはやどうでも良いような感じで、彼が奢る、というから一緒に居酒屋まで付いていくことにした。
彼は生ビールを頼み、本来はダメなはずだが特段注意されるわけもなく私もそれを頼んだ。彼は1、2杯頼んだ後すぐに顔を赤くし、酔いかけていた。それだというのに一切自分の欲求を解消するような話が出てこない。
ある程度彼は自分を信頼しているからホロっと、そういう話が出てくるものだ、と思っていたというのに、もしかしたら? という希望的観測が私に生まれてきた。
「なあ、俺は毎日アンタがあんな店行ってたの見てる。じゃああれはなんだったんだよ」
私も少し酔いが回ってきてもうヤケクソ、という気持ちもあった。それを聞いた彼は少しだけ考えた後
「少し長いけどいいか?」
「……ああ」
彼はそのコップを2度コツンという音を奏でてから話し始めた。
「俺は……そんなことはしないよ。望んでない子も多いだろうしさ」
「それじゃあ、どうして?」
「少しだけ、そういった子に楽な時間を少しだけ作ってあげたかったから」
彼はもう1杯酒を呑み、ついには潰れてしまった。私は彼に肩を貸し、ベッドに彼を寝かしつける。彼の言っていることは本当だったのだろうか、それは分からないが酒が入って嘘はきっとついていないんだ、そう思うことにした。
翌朝、彼は頭痛のためかなり唸っており、私も少しボー、としていた。二日酔いの中、今日にでも「作戦」が始まれば最悪だろう。私はコップ1杯彼の分をも注いでそれをグイっと飲んだ。
「おい、起きてるか?」
「……ああ、めちゃくちゃ頭いてえよ」
「アンタ、今まともに話せるか?」
「ああ。そこまできつくない」
「昨日話してたこと覚えてないか?」
「……なんだったっけ。まあ下戸だし」
「店に入っているところを見たことがあったんだ。アンタの性格的にそんなことしないだろ」
「そうだな……うん。でも行為はしてねえよ」
彼はそう言ってまた眠ってしまった。
次の日、私は施設の周りをランニングし、シャワーを浴びてから彼の行動について考えていた。彼が酔っていた時に語ったその「少しだけ自由な時間を」という言葉が妙に頭に残る。
その夜、彼は私と喫煙室にでも行こうか、と言った。
「なんだよ。アンタタバコ吸わねえのに」
「だからだよ。最期の時1回でも経験した方が良いんだろ?」
「良いのか?」
「ああ。1人で吸うのも変だったし。貰ってもいいかい?」
「いいよ」
私はライターで彼のマッチを点けて、彼はしばらく吸った後、ゴホゴホ、と予想通りの感想を伝えてきた。
「不味い、というわけじゃないがきついな。アンタはそれ1箱吸ってんだろ」
「まあ最近は3日で消費してる」
「へー……。まあもう1本はいらないよ」
「なんだよ。2本目からが本番」
「そしたら本当にハマるから。……例の作戦あるじゃないか。今までお互い生き残ってきた、けれど次どうなるか分かんねえから、お互いについて知っておかないか? どっちかが死んでも良いように」
「そうしよう」
私と彼はしばらく喫煙所の中、お互いの今までの経験について語っていた。彼は「つまらない話」と自嘲していたが、少なくとも自分の今まで置かれた状況よりも何倍も何十倍も素晴らしい物だった。
彼は経験しなかったが「青春」というものがあり、本当は自分ぐらいの人間はそうやって過ごして、それを経験して段々大人へとなっていくのだという。
「じゃあアンタは大人じゃねえのか?」
「多分な。前も言ったかもしれないがこの方彼女無しイコール年齢だよ」
「なんだ。まだ一人も居ないのか? そりゃ馬鹿にされそうだ」
「良いんだよそれで、別に求めてないさ。……まあできないだけなんだけど」
私は彼に沖縄で暮らして、母は疎開し、父も戦争に行っているだろう、とだけを伝えた。
「そうか……、そりゃ辛いな。俺の父さんも母さんもどっかに疎開してんだろな」
「盛岡、だもんな。日本の実質最北か、そりゃ」
私は彼の諦めたタバコを深々と吸い、彼の行動についてまた尋ねようと思った。が、やっぱりいいや、という感覚も芽生え、結局それを聞くことはなく、2段ベッドに沈むことにした。
次の日総員に集合がかけられ、暗号名は「X-10」明日からいつでも出撃できるように、という通達がかけられた。つまり居酒屋だとか風俗に通うのはもう禁止だ、ということだった。少ししたら生き死に賭けた戦いに臨まなければならない。
沖縄にいた頃はそこそこ荒れていて、売春婦以外はなんでもやった気がする。それが本性だ、ということは否めないが少なくとも彼と出会って、彼女と出会ってから自分の中の何かが変われたような気がした。けれどもそれがどこかで無くなることが少し怖かった。
また悪夢を見た。その作戦に失敗し自分は生き残り、彼も彼女も死んでしまったような、そんな状況。初めて自分以外が恐怖に晒される夢だった。自分はその世界でどんな夢を見るのだろうか、実はいい夢なのか、それは私には分からない。
その気分の悪さにもう一度タバコを吸いこんで、さらに悪い空気でごまかした。いつまでタバコに逃げていられるか、それは分からないが、でもきっとどこかで闘わなければならない時が来ることだけは分かっていた。
悪夢のあと、嫌に醒めた瞼をわざと閉じて、この戦争が終わってしまえばきっとどう生きていくのだろうか、生きていけるのだろうか、未来をわざと見据えて現実逃避をしている自分に思わず苦笑した。生きて帰ってこれるか、どれぐらい五体が残るかさえ分かっていないのに、どうしてそんなことをしてしまうのか。自分にはまだ答えは帰ってこない。無性に彼女に会いたくなった。お別れをするために、最期に話しておきたい。私の最期は彼女が良いのだ。彼女じゃなきゃダメだ。
私は店に入り、面識がある人がいる、と伝えると数分経たないうちに彼女はやってきた。
「久しぶり。折角だし……」
「ごめん。そのために来てないんだ、これ」
ルールとして店を使ってはいけないということがあり、私は彼女に手紙を渡すのみにした。どうしても彼女に触れすぎると離れられなくなる気がした。
私はそれをさっさと渡して兵舎への道を歩く。箱だけはどうしても開けることはできず、そのままベッドで瞼を閉じる。悪夢しか見れなくなっていると分かっているのに、私は少し未来へと旅立った。どうなるか分からないが、けれどももうどうでも良かったのかもしれない。
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