2、仮初の日常・上(2/2)
少女が相手の軍に捕まって慰み者になったのは自分の予想と大方変わらなかった。けれどもその捕まり方が特殊だった。彼女はその街の人に自らの安全と引き換えに売られたのだ。
彼女の故郷はそれは酷いものであった。座敷牢に閉じ込められ、ご飯も今思えばペットの餌にやるような、そんなものでしかなかったそうだ。彼女は何か違うことがあった、というわけではなくその街に1人蔑み続けることのできる人間が欲しかっただけだったのだろう、と考えていた。
なぜなら彼女は5歳まで普通の生活を送っていたからだ。そして両親もかわいそうに思っていたのか本だけは差し入れてくれて、それである程度語彙を覚えたそうだ。
ある日、彼女の街にも戦争がやってきた。といっても彼女には何が起こったのかよく分かっていなかった。初めてその座敷牢から出され、軍服に引き渡された。その軍の中で彼女は慰み者として2年過ごしていた。
「でもね。なんていうのかな、あの人たちには感謝してるんだ」
「あの人たちって街の?」
「ううん。敵の人たち」
「どうして?」
「あなた達には申し訳ないんだけどさ。あの人たちは私とすることで欲を満たしてた。だから私を必要としてくれてた気がするんだ。それがどんな関係でもね」
「……それは」
「ううん、気にしないで。でもそうなんだ。初めて私のことを必要としてくれたような気がしてさ。これが承認欲求の塊なのは分かってんだけど」
私は彼女の手をそっと繋ぐ。
「え」
「少ししか一緒にいれないけれど君が望むなら俺が君を必要にするよ」
「うん」
彼女は私の手を拒むことはなく、それぞれベッドで眠りながら手を繋いで夜を過ごした。彼女の手は少しだけ暖かく感じた。自分は彼女の心を少しでも癒すことはできるのだろうか? そんなこと考えるとは1ミリも思ってもなかった。ただ分かったのは自分より明らかに彼女の方が傷ついていることだけ。あの先輩だったらどういう対応をするのだろう。
人を愛することを知らないわけではない。自分にだって家族はいたし、それ相応の愛情をかけられて育った。けれど余りにも人を憎まないと生きていられない環境下でそれの仕方を忘れてしまった。そんな自分が人を助けよう、とか愛していようなんて言うのはお門違いなのかもしれない。けれどこの少女だけは自分が自分であることに後悔してほしくない、そんな感情が芽生える。ああ、自分も人間なんだな、不完全なんだなと思った。
翌朝私と彼女は簡単にパンを摂った後、連泊ということにしていたからそのまま部屋で話しながら時間を過ごしていた。
「あなたは戦争終わったら何したい?」
「俺? 考えていないけれど勉強しようかなって。まだ小学校の知識しかないから」
「そう? 私はね……誰か、本当に私のことを必要としてくれる人と一緒になりたいな。はは、メンヘラみたいでしょ?」
「いや、当然だとは思うよ。けど、それが君を苦しめるようなことじゃだめだ」
「それは分かってるよ。もし一緒になるとしてもあなたより必要にしてくれて、愛してくれる人じゃないとね」
「なんだよ、俺と一緒になりたいみたいなこと言うじゃないか」
「ダメ?」
「戦争終わったら、なんて言えないよ。そしたら死んじゃうのがお決まりだからね」
「ふーん」
彼女は少し考えたようなふりをして、
「愛してる」
そうとだけ呟いて眠ってしまった。
私はラブホを出て、少し頭を冷やすために商店に来ていた。給料の内タバコは半分を占めているが、今回だけは彼女に悪い気がする。その代わり今回は彼女に何か買ってあげよう、と思っていた。
「おお、ほぼ1日ぶりじゃないか」
「あ、お疲れっす」
「あれ? タバコ買わねえの」
私は気づけば服に手を伸ばしていた。
「別に吸わない気分だってありますよ。アンタも休憩入りです?」
「ああ。こっから1日半だよ。それで例の子とは上手くやってんのか?」
「別に大したことじゃないっすけどね」
「でもそれ女用の服だろ?」
「あっちは金ないからこうやって買うだけだ」
「ふーん」
先輩は心なしか微笑んでその場を去っていく。彼はどういう意味でその表情をしたのか、それは分からなかったがとりあえずそれを上下1着ずつ、それから当面の水を購入した後、ラブホへと戻っていった。
「あ、お帰り。何かあったの?」
「いやこれ。勝手にサイズ決めちゃったけれど」
「え、買ってくれたの? ごめんね」
「別に気にすんな。地獄に金は持っていけねえから」
「うん」
発見した時そのままの彼女はその服を大事そうに着て私に笑いかける。それを見て私も少しだけ嬉しくなった。
「あとこれ。流石に下着は買えそうにないからさ。これで」
私は彼女に紙幣を10枚近く渡そうとした。
「そんな、こんなの受け取れないよ」
「いつまでもここにいられる訳じゃないし。別にそれだけじゃなくて俺と別れた後これ使ってどこかでちゃんと暮らしてさ」
「でも……」
「良いんだ。その代わりこんな場所から早く脱出してよ」
「ありがとね……」
彼女は泣きながらそれを受け取って、私の手を求めた。
「うん。暖かい」
それから今度は抱きしめながらしばらくの時を過ごす。こういう関係になるなんて思わなかったけれども、これが「愛」ならそれはきっと素晴らしいもので、そしてこの愛をずっと共有したい、抱きしめていたい、そんな未練が残る。
次の日、目を覚ますと彼女は私のベッドに腰かけ私を見つめていた。
「ねえ」
「どうしたの?」
「あなたが眠っている間なにしたか覚えていない?」
「覚えてない」
「そりゃぐっすり眠っていたもんね。しょうがないか」
「何かあったの?」
「ううん。そうだね、次に会った時教えてあげる」
「そっか。でもセックスじゃないだろ?」
「それは違うよ。じゃあチェックアウトしよっか」
「ああ」
私はそれを済ませて彼女と別れた後兵舎まで赴く。心残りはあるし後ろ髪を引かれる思いだけれど、でも私と彼女の関係を守るためにはやっぱりまた実地に行くしか無いのだろう。彼女と仮初の日常に別れを告げるために私は歩き始めた。
兵舎のシャワーを浴び終えた私は部屋で髭剃りのために小さな鏡に向かった。
「あ……」
鏡にはその首の隠れた場所に薄くキスマークがついていた。同じ部屋の人間にバレなくて良かった、と首元を隠す。
髭剃り後、私は窓の外を眺めていた。今頃彼女はどうしているだろうか。せめて襲われてなければ良いな、と思いつつ、胸ポケットからタバコを取り出そうとして止めた。なぜだろうか、とても失礼な気がしたから。
「なんだ、ここが惜しくなったのか?」
先輩は自分がどこか変わったようでそんな質問をしてきた。
「いいや? 何もないっすよ」
「そうか。ま、明日からまた実地だからな。存分に寝とけよ」
ここは何度目かのそんな街だった。それだけなのに、とても寂しく感じられる。
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