3、仮初の日常・下(1/2)
私は臭う部屋の中タバコに火をつけふう、と息を大きく吐いた。ここで吸うのは嫌だがあえてこうすればタバコのイメージがきつい物になることを願ってこんなことをしている。でもそれを始めて既に4年と少し経ったのだろう。もう慣れてしまった、というのは否定できない。
「清掃入るよー?」
「ああ、はい。お願いします」
私は部屋を出て真っ先にシャワーを浴び、それからトイレに駆け込んだ。ここだけが誰にも邪魔されない空間だと思ってしまう。それぐらい自分に居場所がなくてまたため息をつくのだ。
まだ健康な身体を傷つける痛み、それとこの地獄かもしれないような世界にまだいられる、という幸とも不幸とも呼べるような感覚。それにしばし身を委ね、さも平然とトイレを出た。2日連続でそんなことをしてしまったことに少し悲しさを覚える。
ここは本当の人間が見れる場所なのかもしれない。これを監視している存在がいるとしたら私たちの思う動物園と同じなのだろうか。
「後3時間後予約入ってるけどいける?」
「ああ、はい。それまで仮眠室いますけど大丈夫ですか?」
「うん。おやすみね」
ここには衣食住がある、けれど自由なんてものはない。そう思いながら2段ベッドの天井を見つめる。でも前よりずっとマシだ、そう思わないと心を崩してしまう。しかし崩してもそれでもずっとこの生活を続けなければならない。それは嫌だった。でも仕方ないのだ。私だけじゃない、ここにいる他の人たちもきっとお金以上の働きをしなければならないのだから。以上の働きをしたところでそれが終わる見込みなどとうに無いが。私はタイマーを設定して眠りについた。
ガラガラ、と私の仕事が始まる音がする。が、それは違う時間の始まりだった。
「あ、久しぶり」
「先輩に無理やり連れられちゃったからね。だから2時間ってことにしたけど大丈夫?」
「うん。大丈夫大丈夫」
その男性は私に優しく声をかけた。彼は一言で形容できない人だった。最初彼と出会ったのも、それから会う時も彼の先輩に連れられた時だけ、これで3度目である。
最初の時、彼はそこでドギマギしていて、中々行為に踏み出せなかった。彼は頭を下げ、
「ごめんね。俺は先輩に無理やり連れられてきちゃったからさ」
こういう人はたまにいる。まだ経験の無い若いやつが先輩に無理やり連れられてここで童貞を卒業しろ、と。それでも結局はそういう欲はあったのだろう――卒業していった。
ただ最後まで彼は頑なに行為を拒否していた。そこで私はいくつかの可能性を導き出した。婚前交渉禁止を守っているなんかの信者か、それとも何かしらか。
「もしかしてだけど……神は信じてる?」
「ううん。いるかもしれないけれどキリスト教とかイスラム教は特別信仰してないよ」
「そしたら……まさか」
「ああ、男好きじゃないよ。ただ……いいや、初対面だからね」
彼はなぜそんなことを言ったのか、その時の私には分からず、そのまま彼との時間を終えた。
その夜の仮眠も、次の仕事の時もなんとなく彼のことが脳裏をよぎった。彼が生きているのか分からないし、それよりもほかの仕事も忙しくて段々彼のことを忘れてしまっていた。
彼はベッドに少しだけ腰かけてから私に数枚「チップ分」といって紙幣を手渡し「じゃあ」と言ってシャワールームへ向かっていった。いつも、というか前もそんなことをしていた。彼はチキンなのか、それとも結局何なのだろう。それはまだ分からなかった。それでもちゃんとお金は渡していた、他の人よりも多いぐらいに。何なら一銭も払わなくて良いのに彼はある意味几帳面にそれを支払っていた。
だからこそ少しだけ彼と話しているのだ。いつもならば客と話してみようなんてものは思わなかったのに、どうしてだろうか。
「ねえ。少しだけ時間大丈夫?」
「うん? 君がそんなこと言うなんて思わなかったから、どうしたの?」
「いや。まだ30分ぐらい余ってるから」
「ふーん。それで、何か聞きたいことでもあったの?」
「いや、どうして私で遊ばなかったの?」
「別にそうしようなんて思わないからさ。それにチキンだし」
「じゃあ童貞なの?」
「童貞」
彼は見たところ20代後半の人間で、それである意味少年のような、いや少年よりも少年らしい人だった。けれど数年の兵役によりきっと数人を殺害しているし、何度も生死入り混じる現場に身を置いているのだろう。
人間なんてものは眠りたい、食べたい、そしてセックスしたい、それぐらいなもんだと思っているし、だからこんな施設があるんだろう。
「じゃあここで卒業すればいいじゃない」
「別に卒業しないよ」
彼はまさか理想主義者、なのだろうか。例えば処女趣味だとか、それとも私に足りない何かがあるのだろうか。それならば私を指名するのはおかしい。別に私だけじゃなくて十数人はいる。まあ処女はいないだろうが彼の好むような女だったら誰かは当てはまるだろう。なにせここには12歳の女もいるのだ。けれどもわざわざこう会っているのだ。不思議だ、としか言いようがない。
「それで、あなたはどうして私を使わないの?」
彼は愚問だ、とでも言うように
「戦争じゃなかったら犯罪だからね」
と答えた。
「どういうこと?」
「まあそれが俺の独りよがりってのは分かるんだけどね」
「ふーん」
確かに平時ならこの場所は買春だろうし、12歳は明らかにアウトだろう。
「でも今は平時じゃないでしょ」
「まあ、平時で人殺してるなんて死刑だけどな。でも戦争は人を殺さないといけないだろ。でも戦争は女とヤるもんじゃない。それはモチベかもしれないけどそれが絶対じゃないからね」
彼はそう言って少しだけ笑ってみせた。
「じゃあ、もう時間だしね」
彼はその部屋を出て、少しだけ静かになった部屋の中私は珍しくタバコをつけずに清掃が入るまで過ごしていた。別に仕事はない方が楽だ。もちろん行為は辛いものだが逆に言えばそんなことも4年ほど従事すれば無い方がかえって変に思われるのだ。
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