8、X-10-2(1/2)
私はあの地獄から逃げ出した。自分がとてもみじめに思えた。大事な人を置いて逃げることがとても情けなく思える。もし彼が自分のことを救ってくれなければ、自分はとっくに死んでいたことだろう。だからこそ彼に申し訳がつかなかった。
「おい! 大丈夫か!」
目の前に自分たちを救おうとしているのか、仲間がやってきていた。
「ああ。俺らの指揮官が裏切っていた。それで後ろの方は捕虜」
「それはそうだが、お前さん、酷いけがだ。銃弾受けているじゃないか」
「え……」
その事実を知った瞬間、急に痛みが走った。
「さあ、今救護も来ているからすぐ来るんだ」
「待って、あいつを殺さなきゃ」
「ダメだ。今そんなこと言っていると死ぬぞ」
「でも」
「でもじゃない」
私は担架に乗せられ車に押し込まれてしまう。
暗闇の中、私は静かな廊下ほどの幅の道を歩いていた。
「お前。何でここいるんだ」
「知らねえよ。気づいたらここだ」
「帰れ。今ならまだ戻れる。この先何が見える?」
「何も」
「ならまだやり直せる。お前は生きろ、な?」
「じゃあアンタは?」
「俺のことはいい。これが見えたらおしまいだ。今すぐ振り向いて走れ! もうこっちの方を見るな」
私は気づけば彼の言う通り走っていった。まるで夢の自分が自由に行動できないかのように、その暗闇からまた本能的に逃げ、いつしか白い何かに向かっていった。
気づけば私は野戦病院の天井を見つめていた。
「目覚めましたか。一時危険な状態でした」
「銃弾は?」
「ええ、きちんと処置しました。幸い正中、肩の筋肉ではなかったので」
「それは良かった。後遺症とかは」
「それも大丈夫です。流れ弾だったのがおそらく」
私は横たわるいくつかの同僚とベッドでようやくあれが臨死体験だったことに気づいた。つまり、彼はもう……。
「ああ、ああ……」
私はいわばうめき声のように、そんな声を上げる。胸が締め付けられる。自分のことを見捨てても良かったのに、自分のために死ぬ必要があるのか、私は絶対してはいけない思考に陥る。分かっているのだ。けれども、そんな想像をしてしまう。
彼女のことを想像した。いま彼女は元気だろうか。大丈夫だろうか。もし彼女まで死んでしまったら私は誰のために生きればいいのか。自分のためには生きれそうには無かったから。
野戦病院のラジオで私は北日本戦線における日本の勝利を知った。ただそのための犠牲も大きく、作戦に従事した兵士は半分地震による死亡、3割は戦死という悲惨たる状況だった。それに非戦闘員の被害も大きかった。ただ彼女は生存している、それだけが私を安心させてくれる。感染症の恐れがどうとかで彼女とはまだ会えてはいない。
病院に移り、まだ車いすだが彼の軍葬のため一時退院した。どうしても彼の葬式に行かないなんてことはしたくなかったから。けれど、できれば彼を軍人として埋葬したくなかった。彼を世界を救うための夢を追い続けた人間として、そう埋葬させてあげたかったのだ。
涙が止まらない。ほぼ自分を生かすために死んだようなものだったから。ここにいる同僚もその多くが彼の代わりに生き残った、先輩よりも若い人たちだった。
「こんな時にだけ先輩風吹かせてんじゃねえよ……」
1人の同僚がそう声を漏らすと、周りも少しづつ涙を流し始めた。自分は既に泣いており、きっと1番泣いていただろう、もうひどいものであった。
「あなたみたいな人が。どうして死ななければならないんですか」
今日だけは彼に今自分ができるだけの敬語と敬礼を贈る。この時だけは、なんの余震も起きなかった。
同僚の中でもきっと自分が1番彼と仲が良かっただろう、それだからか彼の遺品を彼の出身の最寄り駅に復員列車が着くまで管理することとなった。
既に北日本戦線は日本の勝利で終わっていたから、後は沖縄戦線だけである。というよりあっちの方がそこそこ地獄だったかもしれない。流石にもうこれ以上の兵役は無いはずだろう、と思っている。
3日後、私はようやく兵舎生活に戻れるようになって、その足で一時的な避難所に向かっていた。
「……あなた。生きててくれて……良かった……」
「うん。今まで会えなくてごめん」
「良いの。命があったのだから」
彼女はそう涙をこぼす。私も思わず涙をまた流し、彼女を抱きしめる。まだとても涙は涸れそうにない。
「でも、これからどうしよう。行く当てもなくなっちゃった」
彼女は少し寂しげに笑っていた。彼女の言うには、ここをあと2日したら出ていかなければならないらしい。まずは東京に向かうらしいのだが、彼女の故郷にはきっと戻れないだろう。かといって、1人で生活させるにも、あの生活を続けさせるわけにもいかないのだ。
「俺の家……、沖縄で戦場だけど、帰れたら。来るかい?」
「いいの?」
「いいというか、あっちの戦況次第だけども無事なら何があっても住まわせるよ」
「でも私たちあと少ししたら中3でしょ? 勉強しなきゃ」
「勉強ねえ……するよ」
「するって?」
「前君に見せた男の人。あの人のおかげで俺は助かったんだ。その人は研究者の卵っていうのかね、だからそれを継ぎたいだなんて、おこがましい?」
「ううん。私もそうやって命を繋いでくれたから」
「君も?」
「そう」
彼女はその眼の下に涙を浮かべ、その人のことを想っていた。その時、私の涙は涸れた。もう彼女は泣かせまい、嬉し涙だけ、彼女に流させるべきだから。だから自分はもう何も泣いてはいけない、そう心に決めた。
兵舎の夜は、あの時よりもとても孤独に思えた。先輩のいた頃はほぼ同じ2段ベッドだったというのに、とまた彼のことを思い出した。その涙を、止めようとした、けれど、彼女のいない場所ならそれでいいのかもしれない、と思ったのだろう。
次の日、私含め十数名が指令室へと呼ばれていた。
「今までこの国のために数年も戦ってくれてありがとう。今日付けで終わりになる。まだ戦争は完全には終わってはいないが、けれども君たちの力を借りずともできるようになる」
1人1人に辞表が渡され、そして、トップ指揮官は深々と頭を下げた。
「これは政府からの感状だ。受け取ってくれ」
その後、ここに残るか、それとも故郷に帰るかの選択を任された。私はその前に実家に連絡をとらせてくれ、と言った。今は総管理社会だから、母親のマイナンバーを伝えると2時間後には番号が参照されてくる。数か月ぶりの会話だった。
「良く生き残ってた。軍の方から聞いたけど、元気そうで」
「生きたよ。今母さんはどこに……」
「本島から避難指令が出てね。まだ本島侵攻はされてないけど、熊本の方に」
「父さんも母さんも元気?」
「ええ。それで帰ってくるの?」
「帰りたいけどね。少し事情があってね……疎開してるみたいだし無理かも」
「どうして?」
「俺とほぼ同じ年齢の女子と出会ったんだ。で、まあ実家が無くなった、ってこと」
「そう……」
母はそれ以上言わなかった。きっと戦場でなぜ出会ったのか、その答えを見つけたからだろう。最後に母は彼女を迎え入れてもいい、と電話口で告げた。
「ただ、高校卒業したら終わりね」
母は今から3年の期限付きでそれを許した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます