9、X-10-3(2/2)
「それで……話したい事、文はあなたのことを紹介してくれたけど、けどね。文がボカした事情は大体分かるの」
「ええ」
当然だった。なんで戦地に親もいない女が残っていたのだろうか、どんなに純粋な人でも察してしまうことだろう。
「だから……あなたに恨みは無いし、それにあなたがそんな性格な訳じゃないと思っているの。けれど……」
「そうですよね。私は……」
「ううん、そうやって追い出したいわけじゃない。でも、なんて言うのかな……」
彼の母親は少し考えた後にこう言った。
「まあ、胡華さんは多分私なんかより、文のことを分かってあげていると思うの。だからこそ大事にしてあげて」
「……ええ」
夕食は私たちが作るから、と彼の母親はそう言い、私はそれに甘え彼と私のとになるのだろうか、部屋へと戻った。
「起きてたんだ」
「うん」
「聞こえてた?」
「ちょっとだけね。俺のお母さんがごめん」
「ううん。当たり前だもん」
「そっか」
彼は私の手を握った。ただ何か震えているような、弱弱しい、というかそんな手だった。彼であれば私の手を粉砕するような握力だっておかしくないのだ。なのに、だ。
彼はどこか脆い人だったのかもしれない。私が関わった時、その多くで泣いていた。もしかして私は彼を弱くさせているのかもしれない。そう思うと私はすごく怖くなった。彼にとって私は本当に必要なのだろうか、そう自問自答する。それに疲れると、その背景には少し不安げな彼の表情が映っていた。
「大丈夫? 辛いことでもあったの?」
「ううん。ああ、もうちょっとしたらご飯だって」
「そっか」
彼は私を静かにハグする。やっぱり彼は暖かい。自分のそんな悩みを打ち消すぐらい、彼は優しかった。愛してくれた。だから私は彼と一緒に生きていこう、そう決めたのだ。
「文……」
「何か、文って呼ばれると恥ずかしいわ。じゃあ、胡華」
「なんかそれもやっぱり恥ずい」
「じゃああなた、と君で良いの?」
「もうそれで固まっちゃったしね」
正直言って「胡華」呼びされるのは心地が良かった。ただそれがあまりにも恥ずかしくてつい言ってしまう。
「そういえば俺ら落ち着いたら中3? 学校生活か」
「私たちって中学校行けるの?」
「義務教育だし行けんじゃね? まあ俺は勉強ほとんどしてないけど」
「しなよね。まあ私も最後に勉強したのいつだっけか」
「ま、勉強より大事なことばっかやってるから」
彼がそう言い終えるころにドアがノックされ、私と彼は食卓に座る。
「本当良く帰ってきた」
「文がいなかったらもうどうなることやら……」
やはりといえばやはりだろうか、食卓には豪勢なものが並び、家族はそれに涙しながら口に運ぶ。けれども彼はほとんどそれを口にしていなかった。
「美味しくなかったの?」
「いや多分美味しいんだろうけど、数年まともに豪華なん食ってねえもん。腹下しそう」
「確かに」
彼は椅子に座りやっぱり何か考え事をしていた。私も布団にくるまり、これからについて考えていた。学校に戻れば、私と彼を果たして受け入れてくれるだろうか? 私は売春婦で、彼は少年兵。どちらにしたって事情がバレる可能性は低いだろう。けれども万が一バレた時、お互い笑っていられるだろうか。戦争が始まる前の中3と同じように生活できるだろうか、無理だろうと思った。ニュースで知ったが、学校教育は1か月後の4月から丁度よく始まるそうだ。その時までに雰囲気をどこまで消せるのだろうか。彼は私のことで気を病まないだろうか。
「あのさ」
彼は気づけば同じ布団に入り私の頬をこちらに向けた。
「君のことは俺が守るよ。だけど学校の中は多分離れてた方が良いかも。君を守るって意味でもね」
「うん。ねえこんな質問しちゃダメだって分かってるんだけど」
「何?」
「私って本当に必要かな?」
「どういうこと」
「私ひとりじゃ自分のことも守れない。だから、負担なんじゃないかなって」
「それは無いよ。いつまで経ってもね、俺の負担でもないし、多分君の方が強いんだよ」
「そう」
「うん。じゃなかったら生き残れない。尊厳を幾度となく踏みにじられて、それでも耐えてる。それの何が弱いんだい?」
彼は私と手を繋ぎ、しばし布団の中で抱き合っている。彼はとても美しい顔をしていた。美しい心だから、美しい顔をしているんだろう、そう思った。彼と出会えて、とても幸せだ。そう思えた。
次の日、私は早く起きて顔を洗っていると、彼の父、彼も帰還兵だそうだ――、に声を掛けられた。
「君が話に聞いていた胡華さんかな?」
「はい、大月胡華と申します」
「しばらく息子がお世話になったね。ちょっと時間はあるかい?」
「はい」
「コーヒーは苦手だったかな」
「いえ、苦いのは大丈夫です」
私はマンションだから狭いが、それでも十分寛げるソファに座り、彼の父は趣味らしいコーヒーを私に淹れてくれた。
「じゃあ……いやなんでもないや。最初は君の人生を聞きたい、と思っていたけど。話してくれなくても家族だし、話したところで家族であることは変わらない。それだけあれはみんなを傷つけただろうから」
「いえ、話しておかなきゃ失礼ですから」
私はコーヒーの湯気が消えるぐらいまで、自分の過去を伝えた。5歳から座敷牢で生活し、敵国の慰み者で2年過ごしたこと、それから彼所属する隊が救出してくれて、そこで彼と知り合ったこと。一度脱出したが、結局誘拐か拉致か、また売春宿にいて、彼と再会した、と本当のことを言った。
彼の父は深いため息をついてから、
「今までよく頑張ったね。君のご家族が東京に来るまでだけど、その日までここでゆっくりしておくといい。そんなことはさせない」
「ありがとうございます」
「ただ、これから息子と一緒に生活するにも家事とか、それなりに勉強はできなきゃいけないからね。そこは練習しようか。もちろん君にだけ負担をかけるつもりは無いよ。奴にもやらせるさ」
「はい」
湯気を失ったコーヒーにいくつか涙が落ちていく。その時彼の母が言っていたことも思い出した。彼の母は決して私のことを追い出したい、という訳ではないと思う。もしかしたらその気もあるのだろうが結局自分の息子が心配だったのだろう。だから私はそれにきちんと応えなければ、最高の彼に並べられる人になりたい、そう思うのだ。
その日から私は彼の母に教えを乞い、料理やら家事を教わるようになった。彼とずっといれるその時、彼の隣でいて恥ずかしくないように、堂々といられるようになりたかった。
「今日の夕ご飯君が作ってくれたんでしょ? 美味しかった」
「えへへ……。じゃあお礼して?」
「何が良い?」
「うーん、キスとか?」
「分かったよ」
今度は指を挟まず、けれど唇にはつかずに、頬に彼はキスをした。
「ありがとうだけど、どうして唇にしてくれないの?」
「なんかさ。毎日やってたら貴重じゃなくなる気がしてね」
「ふーん。じゃあプロポーズとかはしてくれるの?」
「まあ、うん」
「楽しみにしてる」
窓からは熊本の桜が見えた。どうか、散らないでいて、とそう願ってしまう。けれど結局は無理があって、私はそれにため息をついた。綺麗だというのにそれが辛かった。
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