3、仮初の日常・下(2/2)

 そういえば彼の名前は知らない。知ったところでどうだ、という話でもあるのだが不思議だった。彼は完全に聖人というわけではない。本当に聖人だったら人を殺すことはできず、そのまま死んでいるのだろう。

 でも彼はとりあえず数年戦地を生き抜いている。しかしセックスだとか、戦争以外のことは嫌いと言っているのだ、そんな複雑な人格、なのだろうか?


 仮眠室の低い天井を見つめしばらく彼のことを考える。そんなことを考えていてもどうせ2、3日もすれば忘れてしまうことを真剣に考えていた。


 少しして、また例の「サービス」業が始まった。気持ち良い、とかそんなものはどうでもいい。相手の好み・趣味に合わせればそれでいい。逆に言えばそれが求められる。相手の性癖に合わせた表情と行動をしなければならない。後は「理想」の姿を演じなければならない。


 相手が行為に不慣れだと、時にビデオで見るようなものがそうだ、と思うこともあるのだ。だからこそそれに合わせたものをしなければならない。そうしないと彼らがどう行動するか分からないからだ。結局変なプライド意識を持っていそうで皮肉めいたため息をつく。


 次の日の仕事前、私は喫煙室で1本タバコをふかした。タバコは嫌いじゃないし好きじゃない。ただ、こう不安感から思わず手に取ることがある。これが「依存症」と言うようなものならばきっとそうなのだろう。

「ああ。お疲れ様」

 彼女は20歳で私と同い年だった。彼女は喫煙者というより薬中だった。もちろんタバコも日ペースで吸うらしいがそれ以上に、彼女の場合はシャブを打っていた。


 私は流石にそういうプレイはしたことがないがシャブでのやつはいつもの数倍の快楽を得られるらしい。けれども私は快楽を求める気はさらさらなく、打っている男としたことしかない。もちろん注射を求められたが適当な場所に刺してやり過ごした。どうせ相手はハイになっているんだしその時も特段問題にはならなかった。


 彼女は少し病的な顔つきをしていて、痩せていて美しいのだが、依存したら廃人になるだろうか、というものだった。もちろんこんなのも平時なら即アウトだ。だがここなら許されている。


 ここは民営の売春宿という位置づけだった。しかし実情といえば単に国が委託しているようなもので、そういうビジネスがビジネスとして公然と成立している。お国側だってそういう場所を公的に用意するのは恥ずかしいのだろう、色んな属性を揃えるために人身売買が起きていた。


 私はまだマシな方だった。最年少の子はまだ12歳なのだ。

 彼女は去年の暮れほどにここにやってきて、16歳と職員から紹介されていた。同意年齢的に流石に16歳未満はダメなのだろう、それでも全くダメだが――未満の子は必ずそう紹介される。その後同僚と休憩室で話しているとき彼女と話す機会を得た。

「よろしくね」

「よろしくお願いします」


 彼女の眼は一見人懐っこそうな顔を浮かべていたがアニメでいうならハイライトがない、そんな感じだった。

「ごめんね。こんな仕事大変だもんね」

「いいえ。そんなことないですよ」

「そういえばだけど……。小声で良いからさ、本当の年齢って?」

 16歳、というにはあまりにも容姿が幼かった。

「じゃあ、お姉ちゃん……」

「うん」

「11」

 それを聞いた時私も同僚も仰天してしまった。いくらロリコンが多くてもそのニーズを満たすのは流石に頭がおかしい。私だって16歳で拉致られたというのに11歳、とは、という感じだった。国連から叩かれても全くおかしくない。もはや叩いてくれというほどだ。


「それで……大丈夫? まさか毎日じゃないよね?」

「ううん? 予約結構埋まってる」

 その状況に流石に私も同僚も閉口した。

 だから彼が退室する際、彼に2度と来なくていいから、その代わり一番幼い子、ここならその子を指名してあげて、と言った。


 少しだけでもその苦しみから解放できる時間を与えてあげてほしい、と。心のどこかで彼を信頼していたのかもしれない。分かった、と彼は短くそう言って、またどこかで出会えたらだけれど、と付け加えて彼は出て行った。彼ならもしかしたら彼女の心を少しだけ癒してあげられるかもしれない、と彼を見てそう思っていた。


 タバコが短くなりすぎて、普通の人ならとっくに捨てているぐらいで私は立ち上がった。ここは本当なら存在しちゃいけない街で、ただそれを受け入れなければ生きることができないだけの話であった。

「あ、お姉さん」

「ここ喫煙室だよ?」

「うん。だから私にも1本吸わせてよ」

「ダメだよ。まだまだ若すぎ」

「なら、私のしてることも若すぎなんだからさ。それぐらい良いでしょ?」

 少女は私にそう微笑みながら答えた。彼女が一瞬酷く「女」に見えた。不条理を全て受け入れた、一回りも、一回りも上の大人の女に見えたのだ。それに対して不快、というわけではない。ただすごく悲しかった。


 自分は自分は12の頃、何をしていたのだろう。もう戦争は始まっていたとはいえある程度楽しく学校にも通えていた。それ以上の酷い行いを彼女はもう平然と受け入れている。それが全く年相応じゃなくて、一瞬涙が流れそうだった。彼女の眼はあの時と変わらない、ハイライトの無い眼をしている。

「お姉さん?」

「ううん。でもまだ早いの。そうだな……これあげるよ」


 私は彼から渡された紙幣を彼女に渡した。

「これ貰っていいの?」

「うん。お姉さんも貰ったんだ。だから気にしないでいいよ。タバコは買っちゃだめだけどね」

「ありがとうございます」

 彼女は嬉しそうに喫煙室を出て行った。彼女が年相応の彼女に戻そうなんて、できないことをまた真剣に考える。戦争が無ければ、彼女が売られなければ、なんて無駄な仮定を置いて考えてしまう。それぐらい辛い話だった。


 鉄格子の外から窓を見る。ここをもし出る時が来たらその時は彼女もきっと「少女」に戻れますように、と普段信じなどしない神に祈っていた。結局勝つまでの我慢だ、そんな嘘はもう4年つかれ続けられたし、自分もきっとついていたのだろう。けれど結局それを願わなければ叶わないのだから。


 ほとんど叶いそうにない願いに縋らなければいけない、という皮肉だな、と思いつつきっと穢れてしまった手を合わせていた。

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