12、平和うつ・下(1/2)

 私はその言葉を言葉として認識できなかった。

「別れてほしい」

「え……」

「俺のことを愛してくれてありがとうね。でもさ、俺はもう自分のことも愛せなくなった」

「それって」

「さっきは胡華に嘘ついてた。さっきは落としたって言ってたけど、自傷行為だよ。軽い自殺未遂」

 私はそれを聞いて、意識がどこかに旅しそうな感覚に陥る。間違いなく彼は苦しんでいた。それを私は気づけてやれなかったのだ。それとも気づいて、わざと私は無視をしていたのか、彼の言葉の間、どちらと答えを出すことはできない。


「すごく死んでしまいたい、そう思った。もう自分自身を愛してやれなかった。前言ったかな……『自分を愛せないのに誰かを愛せるわけがない』って」

「うん」

「きっと依存して、最後はどっちもダメになる。それじゃダメなんだ。他の人はそれで良いかもしれないけれど、俺はダメだ。胡華もそれは分かるでしょ」

「なんとなくね」

「だから……自分さえ愛せなくなった俺に胡華を愛する資格なんて無いよ」

「そう」

「あ、でもこの家にはかえっていて欲しいぐらいだから心配しないで」

 彼は私の不安をかき消そうとしているのか、大げさに笑っていた。でも私の答えは決まっている。絶対に彼を離すことはしない。確かに彼はそう思っているのかもしれないが、でもそれをさせたら私は一生後悔する。だから私は彼を思いっきり抱きしめた。


「え……」

「私は大好き。だから、私のエゴかもしれないけど別れないで」

「でも、そしたら俺は君に依存する」

「依存なんかじゃない!」

 私は荒げる、ほどではないが大きな声を出す。自然と押し倒すような形になっていたが、気にすることも無かった。

「私は文にたくさんの愛をくれた。だから今度はそれを私が返す番。だから共依存なんかじゃない」

「でも……ううん」

「だから、今度はあなたをもっと愛する番。これなら文句はないでしょ」

 彼は一粒だけ涙を流し、そのまま眠ってしまった。私は彼にキスをする。彼の頬へ、2度と忘れられないキスをした。それでも唇にはできなかった。襲いたいわけでは無かったし、本当にそれで充分だと思っていたからだ。それでも彼がその選択をとるのならば、最後は従おうと思う。それも彼なりの愛だから。


 彼のことがとても心配で彼の手を繋いでいたが、気が付けば眠っていたようだった。隣には彼はおらず、眩しい朝陽が注ぎ込む休日の朝だった。

「おはよ」

 その太陽と同じように、壁にもたれかかって座っていた彼が眩しく見えた。

「昨日は色々とありがとね」

「私は大したことはしてないよ」

「決めたよ。ちゃんと……胡華にも言わなきゃね」


 彼はとても清々しい眼で私に語り掛ける。

「しばらくは胡華を頼りにするかもしれないし、多分そうなるんだろうけど……俺に胡華を愛させてほしい。最期まで隣にいたいから」

「うん」

「キスして……いい?」

「もちろん」

 私は彼に向かって頬を向けたが、彼は優しく私の首を動かし、唇同士のキスをした。

「えへへ。1年越しの仕返し」

「1年……、あ」

「昨日ぐらいまで1周年考えられないほどダメだったから。今は……ああ、ちゃんと病院は行くよ」

「うん」

 私は思わず彼の前で泣いてしまい、それにつられて彼も涙を流していた。ようやくその涙が終わる頃、私と彼は抱擁し、そして身体を触れ合っていた。その愛を抱きしめて初めて彼と身体を重ねる。狂おしいほど美しくて、そこに閉じこまれてもいたい、と思えるほどだった。これがもし地獄に行くようなものであっても良いほどに。

「好きだよ」

「うん」


 その日は彼の父と母が近縁の葬儀に出席していたそうで、不謹慎なのかもしれないが、それを思い出したのは彼らが帰ってきた後だった。

「今日は、とても幸せな夢だったんだ。ありがとね」

 彼はとても幸福そうな眼で、私も何か安心ができた。彼がずっと抱え込まないでいられたような気がしたから。


 数日後、私は彼と家族一緒で精神科に向かった。彼は私も受けた方が良い、といって私も一応受けていた。

「文さんの結果ですが……まずPTSDとして間違いありませんね。それも重度、で」

「そうですか」

「胡華さんには見られませんが、だからといって無理はできませんよ。家族で助け合いながら一緒に頑張っていきましょう」

「はい」

 彼のその姿は出会ったばかりの、そのどこか壊れてしまいそうな感じではなく、暖かいような、そんな姿をしていた。


 夏の訪れは、別れとともにやってくる。夏休みが始まるその2週間前、親から電話がかかってきたのだ。

「胡華? 元気してた?」

「珍しいね。うん、元気だよ。母さんたちも元気?」

「ええ、まあ。彼氏君とは上手くやってる?」

「まあね。それでどうしたの?」

「お父さんが東京で仕事が見つかってね。来てほしいんだけど」

「今?」

 正直、彼と別れたくはなかったし、3年の2学期という中途半端な時期で新たな人間関係を築けるとは思っていなかった。彼はクラス内で孤独な思いをしている。それを私が支えている、とは大仰な言い方だけれどもまだまだ彼とは離れたくない。

「相談があるのですが、良いですか?」

 その日の夕食、私はその事情を説明した。答えはあらかた予想している。私は居候の身だったから、出ていけと言われたところで嫌とは言えないし、だからといって彼のことも心配ではあった。


 最初に口を開いたのは彼の父だった。

「胡華さんはもう家族には変わりはない。だから文と一緒に考えてほしい。それに反対はしないよ」

「はい」

 彼との部屋に戻るときには考えを既に決めていた。いくら彼の家族が優しく受け入れてくれたとしても、やっぱりお金とか迷惑はかかると思ったから。

「そっか」

 私の主張を聞いた彼は優しく笑う。

「俺は大丈夫。君がいるから、胡華がいるって分かっているから」

「じゃあ、東京まで着いてきてくれる?」

「もちろん」

 彼は私の手を握る。もう心には決めていたことだというのに、まだここにいたいと心が揺らいでしまった。


 その日からさよならまでのカウントダウンが始まる。といっても、周りにバレることも恐れて外でのデートはできていない。もちろん同棲したとはいえ、普通の恋人同士ができるようなことはあまりしていなかった。


「残念なお話ですが、夏休み中に大月さんが転校します」

 私は彼の配慮か関りが無い、という扱いをされていたから友人も多少はいたし、結構な男子からも告白はされていた。もちろん断って、だからあんなことになってしまったが。

「えー、胡華転校するんだー。残念」

「ごめんね。どうしても親の都合で」

「ねえねえ、じゃあ一回遊びに行かない? 胡華が街中いるの見たことないし」

「部活終わったらすぐ帰っちゃうしね。うーん、ちょっと親が厳しいから」


 時間はあっという間に過ぎていって、明日になればここを出て彼と離れて暮らすことになる。私は引っ越しの準備を、彼はそれを手伝いながらその旅路の準備をしていた。

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