第10話 前世が戦死した日本兵だと語るミャンマーの少女(続)

<承前>

 1972年にスチーヴンソンは初めてナ・ツール村に調査に訪れたのですが、彼女はまったく男性的な傾向を備えていました。幼少時から男児服を着たがり、叱っても抵抗するので、両親も折れざるをえませんでした。

 1974年に再訪したスチーヴンソンに、女物は一着も持っていないと自慢げに語り、また、女性を妻に迎えたいなどとも語りました。

 成人する頃までには彼女の前世記憶は、家族に話した程度のことを憶えている以外は薄れてしまっていて、また、幼少時からのミャンマー人としては風変わりな嗜好もなくなっていました。

 けれども、男性的傾向はその後も変わらず、女性としての立場をことごとく拒絶し、他の村に「女を口説きに」行ったりしました。

 

 マ・ティン・アウン・ミヨが、自分の男性的傾向を合理化するため、無意識的に前世記憶なるものを作りだしたという、反対仮説も考えられるかもしれません。けれども、スチーヴンソンはこう反論していますーー

「もしマ・ティン・アウン・ミヨが、私たちには分かりようのない本人独自の必要から、自分を特定の死者と同一視したがったとすると、なぜ日本兵を選んだのだろうか。(‥‥)日本人は、ビルマ〔ミャンマーのこと〕)では不人気であったり、ひどく嫌われたりしているので、ビルマ女性が自分の前世は日本兵だと主張しても、家族にも村にも何の益もないことは明らかである。」

 また、スチーヴンソンの調査の中では、前世に反対の性別であったと主張する事例として、これが唯一例でもなければ最も信頼度の高い例でもないことも、付け加えておきます。

 「すでに私は、前世での(事実であると確認できた)生活を記憶していて、しかも前世時代とは反対の性別であったと主張し、かつ、それに沿った行動を示す事例を五例ほど報告している」と、いうのですから。


 精神医学的には少女は性別違和gender dysphoriaと呼ばれるべきかもしれない。けれど、輪廻転生観の根付いているアジア地域では、前世に異性だったことの名残と軽く考えられていて、欧米諸国のように「性転換」が深刻な医学上の問題やスキャンダルになることはないのだと、スチーヴンソンは結んでいます。

 なお、この事例は、心理療法家の笠原敏雄氏によって「日本兵」の身元捜しが行われたのですが、はっきりした成果は上がっていないようです。



【参考文献】

 Stevenson, I. (1977). Southeast interpretation of gender dysphoria: An illustrative casereport. The Journal of Nervous & Mental Disease, Vol. 165, 201-208.

 笠原敏雄(編)(1984)『死後生存の科学』叢林社

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