第14話 「女神の恩寵」の原型は平田篤胤の国学的転生観

さて、勝五郎転生譚をめぐる当時の論争の中で、一頭抜きんでて注目されたのが、国学者平田篤胤あつたねの『勝五郎再生記聞』ですが、他の論者にはない特徴があります。

 当時の一般の勝五郎転生譚の受け止め方は、仏教の輪廻転生の教義を土台としていました。だから、勝五郎の話を聞いて、「ああやっぱり輪廻転生は本当だったんだな」とうなずくというものだったのです。

 めずらしいのは、前世の記憶が詳細しょうさいに語られ、権威ある当局者によって記録されたところにあったのです。

 ところが平田篤胤だけは、そのような見方に異を唱えます。

 周知のように篤胤の国学では、仏教もまた儒教も否定されます。

 それと軌を一にして、仏教的な輪廻転生の教義も否定されると同時に、儒学者の輪廻否定論も否定されます。

 代わりに篤胤が拠るのが、「国学的転生観」とでもいうものでした。

 その特色は、①生まれ変わりといったことは確かに事実であるが、ごくまれな出来事としていること。

 ②生まれ変わりは主に、篤胤が産土うぶすな神と呼ぶ、鎮守の神の取り計らいであること。

 の二点に集約されます。篤胤は、勝五郎が住む中野村と、〔前世の〕藤蔵が住んでいた程久保村の「双方の鎮守の神が協力して生まれ代わりを実現させたのだろうと述べている」(今井、2019、p.105)のです。


 篤胤の転生観はまさに、最近のアニメ、たとえば「英雄王武を極めるために転生す」での、女神の恩寵による転生という設定の、原型ではないでしょうか。


【参考文献】

今井秀和(2019)『異世界と転生の江戸:平田篤胤と松浦静山』白澤社

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