第13話
明莉にビンタされた頬がじんじんと痛み、熱を帯びていく。
そのまま何秒呆けていただろうか、しばらくするとリビングのドアが開き、知聖と麻由が出てきた。
「あなた、容赦ないわね……今回のことは基本的に佐藤先輩の自業自得だとは思うけれど、最後のは流石に……。呼び方くらいは今まで通りでいいと思うわ。」
「うん、兄貴最低。明莉ちゃんかわいそ……明らかにオーバーキル。」
二人は頬を引きつらせ、苦笑いを表情を浮かべていた。
「う……俺も線引きが分からなくなっちゃって……」
確かに呼称を変えるというのはやりすぎだったかもしれない。
自分でも明莉のことを『佐藤さん』と呼んで辛かった部分があった。
「……って、聞いてたのかよ二人とも!?」
いつからだ!? いろいろと恥ずかしい発言をしていたと思うが、聞かれてはいないだろうか…?
健は自分の発言を思い返していると、知聖が玄関の方を指さして質問してくる。
「それで、佐藤先輩どっか行っちゃったけれど、追いかけてあげないの?」
健は、心配ないと知聖に笑いかけながら話す。
「明莉はああなったら、しばらく放っておいた方がいいんだ。どうせ何を言っても無駄だから」
「まぁ明莉ちゃんは頑固だからねー」
健の言葉に麻由が苦笑いしながら同調してくる。
明莉は一度感情的になると、理性的に物事を考えられなくなり、話が通じなくなってしまう。そういう時は、頭が冷えるまで放っておいて、落ち着いて話せるようになるまで待ってあげるのが一番良いのだ。
「ふぅん……? よく分かるわね」
知聖はそう言って眉を顰め、納得したような、していないような、微妙な反応を見せた。
「まぁ、昔からの幼馴染だからね」
健がそう言うと、知聖はそれ以上は何も言わずにふいと顔を逸らした。
知聖の妙な反応に健が首を傾げていると、麻由が冷凍庫からアイスを取り出しながら口を開いた。
「でも、今回は早めに仲直りしたほうがいいと思うよ」
「え? なんで?」
「だって、お婆ちゃんの料理を一番食べてたのは明莉ちゃんだったじゃん。生姜焼きの件、明莉ちゃんに協力してもらった方がいいんじゃない?」
そういえば、健達三人の中で一番婆ちゃんに懐いていたのは明莉だった。
確かに麻由の言う通り、明莉に協力を仰げば何かわかるかもしれない。
同日の夜、明莉に電話をかけると、三コール程で出た。
「もしもし、明莉?」
「……………」
しかし、明莉の声が何も聞こえてこない。
ガサガサと向こうのノイズは聞こえてくるため、繋がってはいるはずだ。
「おーい、明莉?」
「……佐藤さん、じゃなくて?」
やっと聞こえたと思ったら、ムッとした口調でそう返ってきた。
明莉はまだお昼のことを怒っているのだろう。
少し意地悪したくなった健は、あえて彼女の言葉に乗って答える。
「あ、やっぱりそっちの方がよかったかな? ごめんね佐藤さん」
「……うぇ……ぐすっ」
怒ってくるかと思ったが、明莉は想像以上に弱っていたようで、嗚咽を漏らしたため、健は慌てて謝る。
「ああごめん明莉!! 違うんだ、なんというか俺もさ、あの時は冷静じゃなかったというか……やっぱり呼び方まで変えるのは俺自身も辛いって思ったんだ。呼び方は今まで通りで行こう? ね?」
「……うん、わかった」
声はか細く弱弱しいが、何とか泣かずに持ちこたえてくれたようだ。
健はほっとして、明莉の琴線に触れない様に気を付けながら彼女に謝る。
「今日の事、ごめん。知聖さんがウチにいる理由を話せなかったのは、明莉に隠し事してるとかじゃなくて、なんというか……知聖さんの事情だから勝手に話せなくてさ」
「……本当に、付き合ってるとかじゃないんだよね……?」
明莉は不安そうにそう尋ねてくる。
「うん、それは間違いない。」
しっかり断言すると、明莉は、安心したように答える。
「じゃあ、一旦いい。分かった。」そういった後、明莉は落ち込んでいるような声で言葉を続ける。「私も昼間はごめん、いろんな感情が混じって、思わず手も出しちゃった……」
「あのくらいなんでもないよ。昔はもっと腕十字とか極めてきたでしょう?」
小学生の頃だっただろうか、明莉は彼女の父親の影響で一時期格闘技にハマっていたことがある。その時は四の字固めとかいろんな技を遊びでかけられたものだ。
当時は子供で何とも思っていなかったが、今考えると色々とスキンシップが激しすぎた気もする。
茶化す様な健の言葉に、明莉は焦ったような声を出す。
「ちょ、いつの話してんの! そのことは忘れてって何回も言ってるじゃん!」
ガキ大将だった頃の記憶は明莉の中では黒歴史になっているのか、この辺りの話題を出すといつも強く反応する。明莉の真っ赤になった顔が目に浮かぶようだった。
健は弱弱しかった明莉の声に、少し張りが戻ったことに安心した。
「ははは、まぁ何はともあれ、お互いに悪かったってことで、仲直りってことでいいかな?」
健がそう言うと、明莉ははにかむように笑った。
「えへへへ、うん。電話してきてくれてありがとうね、ケン。」
健は、いつもの調子の戻ってきた彼女に、とりあえずホッとする。
だが、電話の要件はこれで終わりじゃない。健は、恐る恐る口火を切る。
「それでさ明莉、実は少し頼みごとがあるんだ。」
「……もしかして、知聖ちゃん関係?」
まだ何も言っていないのに、ドンピシャ当ててきたため、思わず言葉が詰まる。
健が黙っていると、肯定と受け取ったのか、明莉は冷淡な口調で言葉を続ける。
「やっぱりそうなんだ、もしかしてさっきの仲直りもそのついでだった?」
「いやいやいやそれは違う、この電話は明莉と仲直りしたかっただけだ。頼みごとの方がついでだから、嫌だったら聞かなくてもいい」
健はそこはきっぱりと即答した。
すると明莉は、「う~~~!」と低く唸りだす。
どうやら知聖に協力するというのは気が進まないようだ。だが折角仲直りした手前、断りにくくて葛藤しているという所だろうか。
残念だが、明莉がやりたくないのであれば仕方ない。健は彼女の協力を諦め、断りやすいように助け舟を出すことにする。
「頼み事する上で、ウチに知聖さんが来てた理由とか話さなきゃいけなくなるから話が長くなるし、やっぱりやめて……」
「分かった。聞く」
やめておこうか、と言おうとしたのだが、明莉から突然好意的な言葉が返ってきた。
「……え、本当にいいの? 結構時間もらうことになるけど」
「いいから早く話して」
あれだけ唸っていたにもかかわらず、手のひらを返して突然急かしてくる彼女を不思議に思ったが、健は明莉に知聖とのことを打ち明けた。
すべて話し終えると、明莉は大きくため息を吐いた。
「なるほど、お婆ちゃんの味を再現ね……。なぁんだ、知聖ちゃんを家に上げてたのはただの人助けだったんだね。」
明莉はほっとしたようにそう言った。
「あぁ、でも誰も婆ちゃんの味を正確に覚えてないみたいでね。レシピ通り作ってるはずなんだけど、知聖さんに違うって言われてしまうんだ」
明莉は昔を懐かしむように話す。
「お婆ちゃんの味はね、全部覚えてるよ。小学校で健と初めて会ってから、ずっと食べてきたんだもん忘れるわけないよ」
明莉はそう言った後、「でも……」と言い口ごもってしまう。
理由は分からないが、明莉は知聖のことを嫌っている節がある。本心ではあまり協力したくないのかもしれない。
「やっぱ、気が進まないか?」
「……でも、健が知聖ちゃんに協力してあげたいんだよね?」
「あ、あぁ、まぁそうだけど」
「じゃあ……やる」
そうだ、昔から健が明莉に何か頼みごとをして、断られたことはなかった。
二つ返事とはいかずにぶつくさ文句を言いつつも、いつも結局は健に付き合ってくれていた。
「ありがとな、明莉」
「……うん」
明莉は、少し気恥ずかしそうだが、しっかりとした口調でそう答えてくれた。
次の日の朝、明莉を家に招き、作った生姜焼きを食べてもらっていた。
「う~~~ん、これこれ、この味だよ~!」
「「うん、ぜっっったいに違うね!」」
明莉の呑気な声に、健と麻由が同時に突っ込んだ。
調理中に明莉がこまめに味見をし、味を調整して作ってみたが、健が記憶している婆ちゃんの味とは全く別物ができた。
というか、この味付けは健が明莉のお弁当に作っていた時の味付けとほぼ同じものだ。
おそらく明莉は、健の作る生姜焼きを食べてるうちに、お婆ちゃんの味を忘れてしまっていたのだろう。
「明莉、覚えてないなら正直に言ってくれればよかったのに……今は遊んでる時間がないんだ」
健が明莉をじろりと睨むと、明莉は慌てて否定するように両手をブンブンと振る。
「やや、違うって! 私は大真面目! 本当にこの味だったの!」
「そんなわけないって! こんなに醤油の味は濃くなかったし、もう少し甘みがあったはずだ!」
「そんなこと言われても、食べる専門の私にはわかりませーん!」
明莉はそう言って頬を膨らませ、プイッとそっぽを向いてしまう。
もう意味が分からない。
麻由、知聖、そして明莉がそれぞれみんな違う味だと主張している。
約束の日は明日に迫っているのだが、まだ婆ちゃんの味にはたどり着けていない。このままでは折角知聖の両親まで呼んでもらっているのに、あの頃の味を届けられない。
健は大きく息を吐きながら、頭を抱えてうなだれた。
すると健のその様子を見た明莉は、慌てた様に人差し指をこめかみに当て、目をギュッとつむって唸り始める。
記憶を掘り起こしてくれているのだろうか、そのまましばらくすると、パッと目を開けて声をあげる。
「あ! そういえば、昔お婆ちゃんは魔法を使ってるって言ってた!」
「ま、魔法?」
いきなり荒唐無稽なことを言い出したため、健は明莉に怪訝な目を向けてしまう。
明莉は慌てた様に言葉を続ける。
「う、嘘じゃないよ! お店の常連さんや、健や麻由ちゃんのことを考えながら作ると、料理がおいしくなるって言ってたもん!」
お店の常連さんや、健や麻由ちゃんのことを考えながら作ると、料理がおいしくなる……?
明莉のその言葉に、健は点と点が繋がったような感覚を覚えた。
麻由も同じ考えに至ったのか、「それってまさか魔法じゃなくて……」と呟き、目を見開いて健のことをちらりと見てくる。
健は頷き、麻由に同意する。
「あぁ、俺も同じ考えだ。」
婆ちゃんは多分、常連さんや自分たちの好みに合わせて、味を変えていたのだ。
そう仮定すれば、婆ちゃんの味に三者三様の答えが出てたことにも説明がつく。
きっと、バランスの取れた味付けを好む麻由と健にはオーソドックスなものを提供し、甘いものを好まずしょっぱいものを好む明莉には、醤油の量を増やして甘味を減らしたりと調整していたのだろう。
それを、知聖も含めたお店の常連さん全員にやっていたということだ。
健は改めて婆ちゃんの偉大さを思い知った。
だがそれではーーー
「それじゃあ……、そもそも知聖さんが味をうろ覚えな時点で、再現してあげることは不可能ってことか……」
かつて知聖が食べた味は、知聖しか食べていないということ。それはつまり、彼女自身が正確に覚えていない限り、彼女に同じ味のものを出してあげることは不可能ということになる。
健は脱力したように、肩を落とす。
すると明莉は、健の後ろに回り込み、肩を掴んで前後に揺らしてくる。
「ケン、落ち込んでる暇はないよ! もう明日なんでしょ!」
きっと明莉なりに励ましてくれているのだろう。健は力なく笑って答える。
「ああ、でも今もうどうしようもないことが分かったところだよ。」
「だから、さっき私が味見しながらつくった味で大丈夫だってば!」
明莉は事態を把握していないようで、そんなことを言ってくる。
「いや、違うんだ明莉、婆ちゃんはな……」
明莉に説明しようとしたところで、ふとある疑問が健の頭に浮かんできた。
なぜ以前健が明莉のために作っていた生姜焼きと、婆ちゃんが明莉に作っていた生姜焼きの味が、同じ味なのだ?
健は、婆ちゃんが明莉には違う味の生姜焼きを出していることは知らなかったし、婆ちゃんにその味を教わったこともない。
そして、健が明莉に作っていた生姜焼きは、健なりに明莉の好みの味を研究して作り上げた味だ。
その二つの味が同じになったのは偶然だろうか……? いや違う。
「そうか! 最初からそうすればよかったんだ!」あることに閃いた健は立ち上がり、明莉の手を握って上下に大きく振る。「ありがとう明莉! 明莉のおかげで希望が見えたよ!」
明莉はぽかんとした表情で数秒呆けた後、したり顔で胸を張ってふんぞり返った。
「へ? う、うん、そ、そうだよ! 最初から私を信じてくれればよかったんだよ!」
明莉は自慢げだが、何も理解していなさそうだった。
もちろんそんな彼女の言葉だからこそ救われたのだから、いい意味で、だが。
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