第二章

第二章 プロローグ

「全然なっとらんね! 何度言ったらわかるんだ⁉」


 ばあちゃんの怒号に、健はエプロンの裾を掴んで、目をギュッと瞑んだ。


「目を瞑ってもなんも変わらんよ! ほら、ばぁちゃんがまた手本を見せるからこっちおいで!」


 ばあちゃんに手を引かれ、キッチンへ連れていかれる。

 ばあちゃんは、子供用の小さいフライパンを取ると、手本を見せるように手際よくフライパンに具材を入れていく。


「チャーハンはね、のんびりとしてたらご飯が固まっちゃうんだ。だからこうやって鍋を振って……」


 そして、あっという間に、パラパラの炒飯が出来上がった。


「ほら、やってごらん?」


 ばあちゃんに促され、健は言われた通りにフライパンを振るう。

 しかしすぐに、ばあちゃんの指摘が入る。


「あぁ違う違う、フライパンは上下じゃなくて、前後に振るんだ!」


 言われた通りにやっているつもりだが、上手くできない。ばあちゃんの指摘の通りにできたと思えば、別のところが抜けていてまた怒られる。これの繰り返しだ。

 そして最後には、頭を抱えたばあちゃんのいつものセリフが飛んでくる。


「全く、明莉ちゃんはすぐにできるようになったのにね」

 

 




 健は料理が嫌いだった。

 ばあちゃんは怖くなるし、いくらやっても上手くならないし、明莉ちゃんとも比べられてしまう。

 塩田食堂の開店時間となり、ばあちゃんとの特訓から解放された健は、泣きべそをかきながらテーブルに並べられた失敗作の炒飯を昼食代わりに口に運んでいく。

 味付けは同じもののはずなのに、ばあちゃんが作ったものとは、雲泥の差だった。


「ケン君こんちはーーー!」


 一階につながる階段から、元気な声と共に、おかっぱ頭の女の子……明莉が部屋に入ってきた。

 明莉は、テーブルに並べられた失敗作の炒飯の数を見て、苦笑する。


「あちゃー、これまたたくさん作ったねー」


 明莉はキッチンに行ってスプーンを持ってくると、健の隣の席に腰を下ろし、黙々と一緒に食べ始めた。

 明莉はいつも健の作った失敗作を、一緒に食べてくれていた。

 健としては、残したらまた怒られるかもしれないから助かるが、正直出来損ないを食べさせて申し訳ない気持ちになっていた。


「明莉ちゃん、無理して食べなくても大丈夫だよ。僕の料理、全然だめらしいから」


 健はそう言うが、明莉はきょとんと首を傾げる。


「え~? 私はケン君の作る料理、好きだけどなー?」


 そう言ってくれるのは、明莉の優しさだと気付いているが、


「……いつもそう言ってくれるけど、嘘なんでしょ?」

「え? そんなことないよ。自分で作るより、ケン君のご飯の方がおいしいもん」


 明莉ちゃんのご飯よりも、おいしい……?

 頭の中で、何度も聞かされたばあちゃんの言葉が聞こえてくる。

『全く、明莉ちゃんはすぐにできるようになったのにね』

 上手くできずに四苦八苦している僕を、バカにしているのか。


「そんなわけないじゃん!!」


 気付いたら明莉に向けて怒鳴ってしまっていた。


「明莉ちゃんは、ばあちゃんに一回教わっただけで僕なんかよりずっと上手に作れるようになったじゃん!」


 これは自分でも八つ当たりだって分かっている。


「ばあちゃんだって明莉ちゃんの料理の方が美味しいって言ってる! 僕のばあちゃんなのに!」


 気を遣ってくれている明莉に、酷いことを言っていることも分かっている。

 でも、止められなかった。健には自分の感情を抑えきれなかった。


「何でもできる明莉ちゃんには、僕の気持ちは分からないよ!!」


 健がそこまで言い切ると、リビングに沈黙が流れる。

 明莉も、普段大人しい健が怒鳴ったことで、虚を突かれたのだろう。まるで時間が止まったかのように、口をあんぐりと開けて、スプーンを口に運ぼうとしていたところで静止していた。

 十秒ほど経過したころ、健は自分の過ちに気付き、明莉に謝ろうとしたところで、彼女が動き出した。

 明莉は、スプーンを皿の上に置き、椅子からぴょんと飛び降りると、自分の前の床を指さし、感情のこもっていない声で話す。


「ケン君、そこに立って」

「え? 嫌だよ、なんで……」

「いいから!」


 明莉に怒鳴られ、健はしぶしぶと指示された場所に立った。

 次の瞬間、スパァンと爽快な音とともに、健のお尻に衝撃が走る。


「いっっっ!」


 明莉に思い切り蹴られたのだ。健はあまりの痛さに、お尻を押さえて声を詰まらせる。


「私の大好きなケン君の料理を馬鹿にしないで!!」


 明莉は、そう怒鳴った。いや、怒鳴ってくれた。

 健が勝手に自暴自棄になって、酷い言葉までかけたのに、健の作った料理を『大好きな料理』、そう言って慰めてくれているのだ。


「あ、明莉ちゃん、ごめんね。ありが――――」

「確かにところどころ焦げてるし、ご飯はべちゃついてるし、微塵切りができてなくて具材の大きさがバラバラだけど」


 謝ってお礼を言おうとしたのに、明莉は料理のダメだしを始める。

 しかも、ばあちゃんに怒られたところを正確についてくる。


「うぅ……! あ、明莉ちゃん……? 慰めてくれるんじゃ……?」

「うるさい! 別に慰める気もないよ!」

「えぇ……」


 褒める気も慰める気もない、健は明莉が考えていることが分からなくて困惑する。


「だけど、ほら、見てよこれ」


 明莉はそう言って、失敗作の炒飯から、スプーンで具材を一つすくい上げて健に見せてきた。

 細かく切ったコンビーフだった。


「ケン君、私がおいしいっていったもの、必ず入れてくれるでしょ?」


 確かにコンビーフは、明莉の大好物だからという理由で入れたものだった。

 明莉はスプーンを口に入れると、にんまりと頬を緩ませる。


「ケン君の料理はね、味だけじゃなくて、心も美味しいの」


 今まで健は、明莉は自分の作ったものを無理して美味しいと言ってくれていると思っていた。

 だが明莉は、本気で美味しいと言ってくれていたようだ。

 明莉は再び席に座ると、健の失敗作の炒飯をもりもりと食べ始める。そして、口を炒飯にいっぱいにしながら、もごもご言葉を続ける。


「ケン君はすぐにおばあちゃんみたいな料理人になれるよ。だから頑張れ!」


 彼女らしくテキトーながらも愛のあるエールに、胸がジンと熱くなる。


「ありがとう、明莉ちゃん」


 それが、健が初めて料理を少しだけ好きになれた瞬間だった。

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