第5話

 次の日の朝、いつも通り妹と父を見送った後、いつも通り明莉と二人でテレビを見ながら、時間を潰していた。

 明莉がテーブルに並べられた二つのお弁当を見て首を傾げる。


「あれ? 私今日も先輩とお昼食べるからお弁当いらないよ? 言ってなかったっけ?」


 やはり最近は昼食は先輩と食べていたのか。 明莉の何気ない一言にショックを受ける健だったが、それを顔に出さないようにして答える。


「いや、これは俺の友達の分だよ。頼まれちゃってね、今日からしばらく作ってあげることになったんだ」


 何となく、女の子相手にお弁当を作ってあげていることを明莉に知られたくなかったため、曖昧に答える。


「友達? 佐古君?」

「いや…最近できた新しい友達だよ。 明莉の知らない人」


 明莉は興味無さそうに「…ふーん?」と言い、頬杖をついて再びテレビに目を向けた。健は、深く追求されなかったことにほっとしつつ、テレビに目を向ける。

 そして数分後、明莉がぶっきらぼうな口調で口を開いた。


「男の人?」


 突然男の人かと聞かれても、何の話か分からない。

 健が何の話かと聞き返すと、明莉は少しイラついた口調になった。


「だから、健の新しい友達だよ。男の人?」


 お弁当の話題はまだ生きていたのか。 数分の間が空いたものだからてっきり一区切りついたものかと考えていた。

 健は少し考えてから答える。


「…まぁ、そんなところ」


 嘘をついてしまうことを許してほしい。つい先日まで好きだった子に、他の女の子に弁当を作っている話などしたくはなかったのだ。

 いや、こんな嘘をついてしまうくらいなのだから、過去形ではなく、いまだに踏ん切りがついていないのだろう。


 明莉はテレビから目を逸らさずに言葉を続ける。


「お弁当箱、小さいみたいだけど? まるで女性用みたい」

「……小食らしくて」


 明莉相手に嘘を重ねることに罪悪感を覚えながらもそう答えた。

 いずれ、彼女への思いが消えた頃に、高槻と友達になったことは話すとしよう。…そもそも高槻との関係は友達なのかも怪しいところではあるが。


 明莉はそれ以上は何も言わず、こころなしか少し機嫌が悪くなった気がする。

 もしかしたら何か隠し事をしていると怪しまれたのかもしれない。

 

 


 昼食の時間になり、先日の旧校舎裏のベンチへと向かうと、既に高槻が腰を下ろしていた。

 スッと背筋が伸ばし、本を読む彼女の姿はとても上品で、古びた木製のベンチも、おしゃれなアンティークのように見える。

 健が近づくと、気付いた高槻は本を閉じ、大きく横にずれてスペースを作ってくれる。健が座れるよう気を使ってくれたようだ。


「あ、お弁当渡しに来ただけだから大丈夫だよ」

「あら、今から行って食堂の席が空いてるとでも?」


 時刻は12時過ぎ、丁度二限が終わった学生でごった返している時間だ。今から戻っても彼女の言う通り座れないだろう。健が言葉に詰まっていると、高槻は言葉を続ける。


「私が原因で食べ損ねられて、午後の授業中に倒れられても寝覚めが悪いわ」


 もしかしたら、彼女なりに一緒に食べようと誘ってくれているのかもしれない。

 健は少し悩んだ後、高槻の言葉に甘えることにした。

 彼女からできるだけ離れたところに腰を下ろし、鞄から取り出した弁当を手渡す。


「今日はハンバーグにしてみたんだ。嫌いなもの入ってないか確認してくれる?」


 高槻の好みが分からなかったため、無難なものにした。ハンバーグなら嫌いな人はいないはずだ。


「ええ、その点はご心配なく。好き嫌いはないわ」


 好き嫌いがない、そんなわけはないだろう。もし好き嫌いがないのなら、あんなにまずいまずい言いながら学食の生姜焼きを食べているわけがない。


 と疑問には思うが、怖くて質問はできない。

 健の弁当も酷評される恐れは大いにあるため、健は緊張しながら、高槻の一挙手一投足を見守る。


 高槻は膝の上にハンカチを広げ、その上で弁当箱を開けた。弁当の中身を見ても彼女の表情は一切変化が見られない。高槻は箸でハンバーグを1口分の大きさに切り、口に運んだ。


 瞬間、彼女の表情が緩んだ。いつもの眉間のシワが消え、口角も上がり『ん〜』という声が漏れる。


 初めて見る高槻の表情に健は思わず見蕩れてしまう。いつも仏頂面ばかりしているため、不良が猫を助けるとより良い人に見える、のようなジャイアン効果もあるのだろうが、彼女の笑顔はかなり魅力的にみえた。


 しばらくしてじっと見ている健に気付いた高槻が、いつもの仏頂面に戻る。 


「なに? 見られていると食べづらいのだけれど」

「あ…す、すみません」


 健は慌てて視線を自分の弁当へと移す。

 怒られてしまったが、先程の反応を見る限り弁当の味はお気に召したようだ。健はほっと胸を撫で下ろす。

 健もハンバーグを一口つまむ。噛むと肉汁が溢れてくる程肉厚な食感と、少し多めに入れた黒コショウのさわやかな香りが口の中に一気に広がる。

 健が心の中で自画自賛しながら、食べ進めていると、高槻が声をかけてきた。


「ハンバーグが二つあるけれど、何か違うのかしら?」

「あ、もう一つはソースを変えてて、トマトソースがかかってるんだ。ちょっと冒険して作ってみたんだけど、どうかな?」


 お弁当の蓋にソースがつかない様に、ハンバーグの裏にソースをかけているため、ぱっと見違いに気付きにくい。高槻は、ハンバーグをひっくり返して、ソースが赤色であることを確認すると、顔をしかめる。


「私、あまり冒険はしないのよね…。ハンバーグだったらいつもデミグラスしか食べないの」


「す、すみません、…飽きない様にと趣向を凝らしたつもりだったんですが…余計な事でしたよね…? 食べられないのであれば、残しても大丈夫です…」


 健が声のトーンを落としてそういうと、高槻は「わ、わかった、分かったわよ、食べればいいんでしょう。残したりしないわよ」と言って、恐る恐る口に運ぶ。

 高槻は口に入れた瞬間、カッと目を見開き、興奮した様子で健に顔を寄せてきた。


「このトマトソース、バジルがほんのりと効いていて、ハンバーグの中に…チーズ! チーズが入ってるのね! すごくマッチしているわ!」


 想像以上の反応に、健は少し身を引きながら答える。


「そ、そうなんです。少し奮発してモッツァレラチーズを入れてみました」


「ふふ、たまには冒険してみるのもいいものね、こんな発見があるなんて」

 高槻はその後も、ニコニコと笑いながら次々とハンバーグを口に入れていく。

 いつもより少し手間をかけて作ったため、美味しそうに食べてもらえるのは、何にも代えがたいものがある。健は、ニコニコと食べ進める高槻を、横目でチラチラと見ながら、自分のお弁当も食べ進めるのであった。

 



 本日最後の授業である四限が終わり、帰路につく。 金曜日4限を取っているのは知り合いの中では健だけであり、いつも一人で帰ることになる。

 しかし、大学の門を出たところで、呼び止められた。


「やっほ、ケン。 今帰り?」


 大学の門に背を預け、そう声をかけてきたのは明莉だった。

 いつもは先に帰るかサークルに行っているかでここで会うことはないはずだ。


「え、待っててくれてた? どうしたの、金曜はいつも別々に帰ってるのに…」


 健が思わず渋い顔をしてしまったためか、明莉はぷくーと頬を膨らます。


「迷惑だった? さっきちょうどサークルが終わったから、一人で帰るのもなと思って、少し待ってただけなんだけど」

「あ、いや、大丈夫。少し驚いただけで…全然迷惑とかじゃないよ」

「そ? じゃ、帰ろっか」


 明莉は健の横にぴょんと並ぶと、すたすたと歩きだした。健は少しの間呆けた後、遅れて後に続く。

 明莉は妙に上機嫌で腕を大きく振りながら歩いており、声もいつもより高いトーンで話しかけてくる。


「今日は八坂先輩がさ、なんと私のゲームの相手をしてくれんたんだよね!」


 八坂先輩、その名前が明莉の口から発せられるだけで健の気分が沈む。


「そ、そうなんだ…。やっぱりすごいの? 八坂先輩って」

「もう本当にすごいなんてものじゃないよ! 私じゃ全く相手にならないの! 教え方も上手でね、私のフォームが少しおかしいことを教えてくれて、こうやって後ろから…」


 明莉は、健が聞いてもいないことまでペラペラと楽しそうに語る。

 八坂先輩に後ろから抱き着かれるようにフォームを修正してもらったとか、今度また家に勉強を教えてもらいに行くとか、横顔が綺麗でかっこいいだとか、本当に他愛もないのろけ話だ。明莉にとっては他愛はなくとも、健にとっては配慮も慈悲もない。

 途中からただ相槌を打っているだけだったが、明莉の話は止まらず、地獄のような時間はいつもよりゆっくりと進み、健の家が見えてきても止まらない彼女ののろけ話を、無理やり遮るように少し大きな声を出す。


「明莉!」すると明莉は口を紡ぎ、驚いたような顔をした。「もう、家着いたから。また、明日ね」


 健は明莉の返事を待たずに、彼女に背を向けて速足で歩き出そうする。

 本当の友人であれば、彼女の恋愛話をほほえましく聞いてあげられるのだろうが、そうできない自分に嫌悪感を抱く。


「ちょ…待ってよ!」


 明莉が健の背を掴んで引き留めてきた。健は顔だけ明莉の方に向け、彼女の言葉を待つ。

 明莉は、言い出しにくそうに口をもごもごと動かした後、目を伏せたまま口を開く。


「今日のお昼さ…どこで食べてたの?」

「え? 普通に学食で…」

「学食にはいなかったよね? 軽く挨拶しようと思って探したんだけど、見つからなかったよ?」


 明莉が食い気味に言葉を重ねてくる。 

 明莉は健の友達を確認するために、わざわざ学食に顔を出していたらしい。


「…あー、今日は一緒に食べている『女の子』がね、人混みが苦手らしくて、食堂から場所を移したんだよ」


 聞きたくもない話を聞かされて頭に血が上っていた健は、ついやり返すように『女の子』の部分を強調してそういってしまった。

 明莉は、一瞬目を細めた後、肩を揺らして笑った。


「なんだ、そういうことかー。確かにお昼の時間帯は激混みだもんねー。ていうか、一緒にお昼食べてる友達って女の子だったの? 今朝は男って言ってなかったっけ?」


「……ごめん、今朝はちょっと恥ずかしくて誤魔化しちゃったんだ」


 すると明莉はバシバシと健の背を叩きながら快活に笑う。


「なんだー、ついにケンにも春が来たってことでしょう? やったじゃんか!」

「そんなんじゃ……ないけどね……」


 明莉の表情には、嫉妬の『し』の字も見受けられない。

 八坂先輩と付き合いだしたと聞いた時から分かっていたことだが、健は彼女の中では本当にただの幼馴染であったということを思い知らされたような気分になる。

 健は再び涙が込み上げてきたため、彼女に背を向けて帰ろうとするが、まだ明莉が背を掴んでいるため動けない。

 数秒の沈黙の後、明莉は健の表情を伺う様にじっと目を見てきて言葉を続ける。


「それで、結局どこで食べてたの?」


 明莉の目からは得も言われぬ迫力を感じる気がする。


「外で食べてたんだ。今日いい天気だったから……」

「外ってどこ?」


 明莉が間髪入れずに声を重ねてくる。

 健は何となく嫌な予感がして明莉に旧校舎のことを教えたくなかったため、場所の詳細は曖昧に答えていたのだが、明莉はしつこく問い詰めてくる。

 健はため息をついて早く帰りたい雰囲気を出し、言葉を続ける。


「というかこれ、こんな引き留めてまでする話なの? 明莉は俺たちがお昼食べてる場所なんて聞いてどうするつもりなの?」

「え? ケンの友達だもん挨拶しに行こうと思ってただけだけど?」


 明莉はさも当然の事のように言う。健の嫌な予感が的中した。

 今思い返すと、佐古と宮野と友達になった時もそうだったが、明莉は健の友達とは仲良くしたがる傾向がある。佐古や宮野に限った事ではなく、中学、高校でも、健が所属したコミュニティには、必ず明莉が介入してきていた。

 友達の友達は友達、ということだろうか。それとも彼女は健の保護者か何かのつもりなのだろうか。今考えると、彼女に友人関係を支配されていたような気さえする。


「挨拶なんていらない。俺の友達なんだから明莉には関係ないよ」


 健はあえて突き放す様な言い方を選んだ。

 自分はもう、明莉のことはきっぱりと諦め、次に進むと決めたのだ。もうこれ以上、自分が作るコミュニティに明莉に入ってきてほしくない。

 すると、明莉の眉を下がり、口元をきゅっと引き結ぶ。本気で怒っている時の表情だ。


「なんで、そんなこと言うの? 何か隠してるんじゃない?」

「別に何も隠してない。俺の作った友人関係全部に、明莉が関わる必要はないって言ってるんだよ」


 答えようとしない健に、業を煮やした明莉は、勢いよく踵を返して健に背を向けた。


「わかった、そこまで言うならもういいよ! 私もう帰る! もう健なんて知らない!」


「あ……」

 明莉の少しくぐもった声に、一瞬引き留めそうになるが、すんでのところで思いとどまる。引き留めたところで、高槻とのことを話すつもりはない。余計に話をこじらせるだけだ。


「うん…また、明日」


 早足で歩き出した明莉の背中にそう声をかけた。

 大袈裟に大股で歩く彼女は、まるで怒っていることをアピールしているようにみえる。今までであれば、明莉と喧嘩した時は必ず健の方が折れて彼女に謝っていため、健が謝ってくるのを待っているのかもしれない。

 しかし今回、健は謝る気は無い。

 なんでも明け透けに話す幼馴染という関係はいつまでも続くものじゃないと、明莉に彼氏が出来てから実感したからだ。

 自分たちの関係は、これをきっかけに変わるべきである、と健は感じていた。

 健は、時々歩みの速度を緩めてチラリと後方を確認している彼女の様子に気付かないふりをして、明莉に背を向けて歩き出した。

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