第3話
「おっはよー!! ってケン、どうした元気ないぞー!」
次の日の朝、健の葛藤など何も知らない明莉の元気な声が、寝不足の頭を刺激する。
「おはよ、昨日あんまり寝れなくてね」
「ん? どした? 勉強でもしてたん?」
明莉はグイッと近づき、顔を覗き込んでくる。健は不意に近づく距離に内心ドキリとしながらも、それを表情に出さないように努める。
「いや、そういう訳じゃないんだけどね…」
誰のせいだと思っているんだ、と問いつめたいところだが、健は何も言わずに一歩下がって明莉が入るスペースを作り、早く中に入るように促す。
明莉は首を傾げながらも、大人しく家に上がり、リビングの方へと向かっていく。
健は明莉の靴を揃えようとしたところで、見たことの無い黒のハイヒールであることに気付く。
「靴、新しいの買ったんだ」
健の声に明莉はリビングの扉を開けたまま振り返る。
「あ、あーそれね。昨日買ったんだ、いいでしょ?」
「うん、いいね。明莉が選んだの?」
そのヒールは特に装飾もなく、派手な物好きな明莉にしては珍しく控えめなチョイスだったため、気になった。
「んー? まぁ、友達にね」
明莉は目を合わせず、歯切れが悪くそう言ってリビングへ入っていった。
友達…か…。類は友を呼ぶと言うべきか明莉の友達は派手な友達が多い。厚化粧のギャルや読者モデルをやっているという噂の子までいる程だ。
その友達がこのシンプルなハイヒールを選ぶだろうか。どうにも男性的センスが感じられてならない。
いや、考えすぎだ。先日のことがあったから、何でも関連付けてしまっているだけだ。
健はモヤモヤを振り払うように頭を振って、彼女の後に続いてリビングへと向かった。
朝食を終え、いつも通りの時間に明莉と家を出る。
明莉の歩くペースは速く、ズンズンと前に進んでいく彼女を、健が少し遅れて追いかける。この位置関係は、小学校の頃から変わらない。そんな彼女の後ろ姿は心做しかいつもより高く感じる。あの黒いハイヒールのせいだろうか。
「やっぱりケン、今日なんか元気ないよね?」
大学の門前で、唐突に振り返った彼女がそう言った。健は動揺が顔に出ないようにして答える。
「だからそんな事ないよ。ただの寝不足だって…」
「絶対嘘! 私には分かるよ、なんか悩んでるでしょ?」
明莉が健の言葉を遮り、ずいっと顔を寄せてくる。ヒールのせいでよりいつもより顔が近い。健は目を伏せて明莉から視線を逸らす。
「ほら、また目を逸らした。ほんとケンって分かりやすいよね。ほら、お姉さんに言ってみ? 何でもとは言えないけど、なるべく力になってあげるからさ」
明莉が口をオメガ(ω)の形にして、したり顔で健の腕を肘でつついてくる。
幼馴染である明莉は、健の表情や動作の機微から正確に感情を読んでくる。彼女を相手に隠し事はできないようだ。
健は観念したという意思表示でため息をつき、どう切り出そうか考えながら口を開く。
「あの、さ。 明莉…八坂先輩のことなんだけどさ…」
その時、男性の声が、健の言葉を遮るように、横入りしてきた。
「あれ? 明莉ちゃん? 大学前でどうしたの?」
その声と共に大学の敷地の中から現れたのは、すらっと背の高い金髪の男性……八坂であった。噂をすればなんとやらだ。
突然八坂に声をかけられた明莉はテンパった様子を見せる。
「お、おはようございます! 今もいいお天気ですね!」
「おはよ。天気? 確かにいいけど…あはは、何だかお手本みたいな挨拶だね」八坂は苦笑いでそういった後、明莉の後ろに立っている健に視線を移す。「えーっと、君とは初めてだよね? 明莉ちゃんの友達かな?」
優しい口調でそう聞かれ、健は言葉を詰まらせる。八坂を近くで見るのは初めてだが、男性平均身長くらいである健よりも一回り高い背丈、モデル顔負けのさわやかな顔立ちであるにもかかわらず、それを鼻にかけない柔和な態度。八坂のオーラに圧倒され、言葉が咄嗟に出なかった。
健が緊張で口をパクパクとさせていると、明莉が割って入る。
「はい、只の幼馴染です! 取ってる授業が同じなのか、さっき偶然会ったんです~」
只の幼馴染……偶然会った……明莉の言葉に、胸の中にどんどんと重石をのせられるような感覚を覚える。
偶然会ったと嘘までついて、よっぽど明莉は、八坂に健との関係を疑われたくないのだろう。
「それで、どうしたんです八坂先輩? 私に用事でもあったんじゃないですか?」
「ああ、そうそう。これ、明莉ちゃん昨日ウチに忘れていったから、届けようと待ってたんだ」
八坂はそう言って鞄から見覚えのあるクリアファイルを取り出す。健が、昨日明莉に貸したものあった。
「あ、それ俺の…」
健は思わず声を出してしまった。
「あ、これ君のなんだ」八坂はさわやかな笑みで、クリアファイルを健に差し出す。「よくまとめられていたよ、俺も助かった、ありがとう」
「いえ、どうも」
健は短く返事をしてノートを受け取る。
その後も八坂と明莉は会話を続けていたが、健の頭の中はそれどころではなかった。
今八坂は、このノートを『昨日ウチに忘れていった』といっていた。それはつまり、明莉が昨日八坂の家に行っていたことを意味する。
二人きりではなく、他にも人がいたかもしれないし、本当にただ課題を進めていただけかもしれない。
しかし、健は悪い方へと想像を膨らませてしまう。
「さて、授業始まるし、そろそろ行こっか」
明莉の言葉に我に返ると、いつの間にか八坂は立ち去っていったようで、仏頂面をしている明莉の姿だけが目に入る。
「時間なくなっちゃったけど、健の悩みはまた今度聞くから、どう話すか考えとくんだよ?」
「う、うん…」
反射的に答えた健の返答に、明莉は「よし!」と笑顔で言って、大学の方へと歩を進める。
健は、遠ざかっていく明莉の背に手を伸ばす。今までずっと手の届く距離にあったその背が、時間とともに遠のき、手の届かない距離にいってしまう。
「明莉、ちょっと待って」
思わず呼び止めてしまった。健の言葉に明莉は振り返り、きょとんとした表情を浮かべる。
何でもない、反射的にそう言おうとして、言葉を飲み込む。
駄目だ、ここではっきりとさせておかないと、この後ズルズルと聞けないまま引きずることになってしまう。
健は覚悟を決め、明莉の目を正面から見据える。
「明莉、もしかして………八坂先輩と付き合ってるの?」
健の質問に明莉は目を見開く。視線を彷徨わせて、口をもごもごと動かす。
その反応を見て、健は何となく察してしまったが、一縷の望みを捨てきれずに彼女の言葉を待つ。
明莉は、数秒逡巡した後、少し頬を赤らめて口を開いた。
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