第14話

 定食塩野屋の看板に明かりが灯るのを見たのはいつぶりだろうか。

 店が閉まってから、ずっと待ち焦がれていた光景に知聖は胸を弾ませる。


 のれんをくぐると、以前見た時と同様の店の内装が目に広がる。

 調理場に繋がっているカウンター席と、4人掛けのテーブル席が3つ。こじんまりとしているが、ウッド長のテーブルなどブラウンを基調とした内装は、オシャレなカフェを彷彿とさせる。


 店が閉まってから数年経過しているとは思えない程、店内は綺麗に整っていた。準備も大変だっただろう。知聖は心の中で健達にお礼を言う。

 そんな知聖の気持ちも知らない両親は、店に入り中に人がいないことを確認すると、怪訝な様子で口を開く。


「わざわざこんな小ぢんまりとした店に来なくても、もっといいところに行けるのよ?」

「確かに……ここじゃワインも置いてなさそうだ」


 やはり父も母もこの店に来たことがあることは覚えていないようだ。

 知聖は、折角健達が用意してくれた素敵なお店に文句をつけられ憤りを覚えるが、それを表情に出さないように努める。 


「いいえ、ここがいいの。ここの料理、すごい美味しいのよ」


 知聖は毅然とした態度でそう返すが、母が眉を顰めた。


「知聖、またあなた遠慮してるんでしょう? もうそんな遠慮必要ないのよ」

「遠慮? なんだそれは?」


 父が首を傾げてそう聞くと、母が嘆息して答える。


「この子、未だに私たちがお金がなかった時の感覚でいるのよ。服だって、私と一緒に買いに行かなきゃ安いものばかり買ってくるんだから、恥ずかしくってしょうがないわ」


 母の言葉に、知聖は俯きながら口を開く。


「だから、それは遠慮じゃないって何度も言ってるでしょう……? 私は、自分がいいと思ったものを買ってるだけ」

「はぁ……知聖は本当に昔からそう。無理して笑って我慢して……この店だって安いところを探して選んだんでしょう?」母はそう言うと、店の出口の方へ体を向ける。「ほら、まだ注文していないのだから間に合うわ、別のレストランに行きましょ。折角の誕生日なのだから、遠慮なんていらないのよ」


 母の言葉に、父も出口の方へと向かってしまう。


「なんだ、そんなことを気にしてたのか。僕たちはあの頃とは違うんだ、どこにだって行けるぞ。 そうだ、先月取引先と行ったレストラン、あそこにしよう。ローストビーフが絶品だったんだ」

「だから、遠慮なんてしてないって……」

「ほら、早くいきましょ」


 知聖が反論しようとするが、母が知聖の腕を取り、出口の方へグイグイと引っ張ってくる。


 父も母も知聖の話を聞いてくれない。


 いつもそうだ。母は昔の貧乏だった頃の記憶が亡霊のように付きまとい、値段の安いことと惨めであることが等号で結びついているのだ。だからこそ何かにつけては私に高いものを買い与え、安いものは捨てられる。私が何を言っても「気を使わなくていい」と言って何も聞いてはくれない。


 父も父で、貧乏時代に苦労をかけたと負い目があるのか、母には逆らわずにいつも言いなりだ。


 母がのれんに手をかけたところで、母の呟きが聞こえてくる。


「こんな安っぽい店で食べても、昔みたいに惨めになるだけだわ」


 その言葉に知聖は、母の手を思い切り振り払った。


「私の言葉を聞いてよ!!」


 知聖は、生まれて初めて両親の前で声を張り上げた。

 今まで貧乏だった時も、一人寂しい思いをしてきたときも、何も言わずに我慢してきたし、これからもそうするつもりであった。

 だが友達が……健達が自分のことを考えて用意してくれたこの場所を、馬鹿にすることだけは許せなかった。


「いつもいつもいつもいっつも! 何でもかんでも……私のことを決めつけるのは辞めてよ! ここは私が世界で一番好きな定食屋さんなの! そのことに値段なんて関係ない!」


 知聖は、目を丸くして絶句している母を睨みつける。


「お母さんはいつも私のため私のためっていうけど、結局私のことを自分の装飾品としか思ってないのよ!」

「そんなわけ……」

「じゃあさっき言ってた恥ずかしいってどういう意味!? 私が安い服を着ていたら、なんでお母さんが恥ずかしいの!? どうせ安い服を着せてる親って思われるのが嫌なだけなんでしょう!? 結局自分のためじゃない!」


 知聖の言葉に、母は痛いところを突かれたように顔を歪める。

 母が言い返してこないのを見た知聖は、矛先を父親に向ける。


「お父さんも毎日仕事仕事で、私が起きてる時間に帰ってきたのはいつが最後だったかしら!? 今はもういいけど、小さかった頃の私がどれだけ寂しかったか考えたことはある!?」


 父は何も言わずに申し訳なさそうに俯いた。知聖は言葉を続ける。


「お母さんは昔の事、辛い思い出みたいにいつも話すけど、私はそうは思ってない! 今みたいにいいものは食べれなかったかもしれないけど、お母さんが私の好きなものを作ってくれたし、お父さんだっていつも夕食の時間には帰ってきて一緒に食べていたわ! 私が我慢してたのは貧乏だったころじゃない、裕福になった時からよ!」


 知聖は感情に歯止めが効かなくなっていた。次から次へと今まで我慢してきていたことを口にしてしまう。


「お母さんもお父さんも仕事で帰りが遅くなって……最後に家族で一緒に食事をしたのはいつ? 小学生のころかしら? 私が家族旅行の計画を立てれば、仕事で行けなくなったって言って、お詫びとか言ってこんなネックレスまで買ってきて……私はこんなものが欲しかったんじゃない!!」知聖はネックレスを外すと、それを地面にたたきつけた。


「今の私たちは家族とは言わない……ただ、同じ家に住んでるだけの同居人よ……!」


 健の家を……本当の家族を見て、知聖はそう思ったのだ。

 



 健は二階から厨房兼客席と繋がるドアの隙間から、親子喧嘩を覗いていた。

 一階にある調理場はガスが止まっていたりと使い物にならなかったため、いつも使っている二階のキッチンで作ったものを一階のテーブル席へと運んでくる手筈となっていた。しかしーーーー


(は、入りずらーーーーーーーーーーーーー!!!)


 なんだこの地獄の様な空気は……。

 懐かしい店の雰囲気で両親と思い出話に一花咲かせているところに、昔頼んだ料理と同じものが運ばれてくる……そんなエモいシチュエーションを想定していたのにどうしてこうなった…!!


 おそらく互いの胸の内をぶつけあうことは、知聖の家族にとっては必要な段階なのだろう。それは知聖と彼女の母の会話を聞いてて健が感じていたことであった。

 でも、違うのだ。


 健がこの場所を用意したのは、思いの丈をぶつけ合う場を作りたかったからじゃない。

 以前ウチに食べに来てくれた時のように、仲良く、温かく、同じ釜のご飯を食べてほしかったからだ。


 健は深呼吸をして呼吸を整えた後、頬を叩いて気合を入れる。


 ガラリと戸を開くと、知聖達三人の視線が一斉にこちらに向けられた。


(帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい。)


 自宅でこんなことを考えるのは初めてのことだった。

 用意していた台詞が吹っ飛び、健が頭を真っ白にしていると、少しの静寂の後、知聖の父が慌てた様子で口を開く。


「も、申し訳ない、店で大声をあげてしまって迷惑でしたね。 すぐ立ち去りますので。」


 そう言って知聖の父が出口の方へ足を向けたところで、健はようやく声が出た。


「ま、待ってください!」健の言葉に、知聖の父は足を止める。健は一呼吸置き、用意していた言葉を口にする。「ご予約いただいた際に注文はいただいておりますので、もう料理は出来上がっています。先ほどのことはお気になさらず、是非お召し上がりください。」


 健の言葉に、知聖の両親は顔を見合わせてどうするか迷っているようだった。

 少し強引にでも座らせる必要がある。そう考えた健はテーブル席の椅子を引き、「どうぞお座りください」といって、知聖に笑いかけてアイコンタクトを送る。


 知聖はハッと我に返ったように身をビクリと震わせると、涙を拭い、健が引いた椅子へと腰を下ろした。


「もう出来上がっているのなら、仕方ないわ。いただきましょう? お父さんもお母さんも座って頂戴」


 知聖の言葉に、両親も顔を見合わせ、渋々といった様子で知聖の向かい側に腰を下ろした。

 全員が席に着いたところを見届けた健は、二階に通じる階段に顔を出し、二階でスタンバイしていた明莉にサインを送る。

 すると、明莉と麻由が盆にのせた生姜焼き定食、麻婆豆腐定食、唐揚げ定食を運んでくる。もちろん麻婆豆腐定食と唐揚げ定食には、生姜焼きの小鉢も付けている。


「小鉢の生姜焼きは、当店の一番人気でございます。是非お召し上がりください。」

 

 健の言葉に、知聖の両親は首を傾げつつも、生姜焼きを口に入れてくれる。

 すると、彼らは顔をしかめて目を閉じた。

 想像と違う反応に、健は肝を冷やす。


「……ん、この甘い味つけの生姜焼き……昔食べたことあるような……」

「……ええ、そうね……」


 二人の言葉を聞いて健は安堵した。どうやら口が合わなかったのではなく、食べたことのある味に違和感を覚えただけようだ。


 知聖も、生姜焼きを口にした後、驚いたような表情を浮かべて健の方を見る。

 健が首を傾げると、この味よ! と言っているように知聖は涙を浮かべながら何度も頷いてくれる。

 どうやら、祖母の味の再現には成功したようだった。

 健が片手で小さくOKサインを出すと、知聖はニコッと最高の笑顔を返してくれた。


 健は特別なことは何もしていない。いつも知聖の弁当を作る時のように、彼女の好みに合わせて味を整えただけだ。

 作る相手が同じであれば、目指す味も同じになる。考えてみれば単純な事だった。


 きっと祖母も健と同じように、料理を口に運ぶ度にコロコロと変わる知聖の表情と、頭の上の飛んでいる花の数を数えながら、知聖に合う味を調整していたのだろう。


「なぁ、この店って、もしかして昔来たことあるか…? この生姜焼きも、唐揚げも、懐かしい味がする」

「ええ、私も同じことを考えていたわ」


 知聖の両親の言葉に、知聖は軽く微笑んで返す。


「ふふ、実は私が小学生の頃の誕生日の時にも来たお店よ」


 すると、知聖の父が合点が言ったように声のトーンをあげる。


「ああ、そうだそうだ、知聖がお得意さんなんだからってふんぞり返って言って、生姜焼きの小鉢を店主さんにサービスさせてたところだ」

「あ、そうだったわね、あの時は本当に恥ずかしかったわ……。」


 二人の言葉に知聖が慌てて否定する


「ちょ、違うじゃない! あれはご厚意でつけてもらったはずよ! そんな嫌な言い方はしてなかったわ!」

「えー、そうだったか?」

「いいえ、私もお父さんと同じ認識よ。店主のお婆さんが優しい人だったから良かったものの……」


 三人の記憶には些か差異があるようだが、三人は時おり笑いも交えながら、つつがなく会話に花を咲かせていた。

 健は三人の思い出話の邪魔をしない様にそっとその場を後にした。

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