第15話

 健が二階への階段を上っていると、明莉が階段の一番上の段に座り込み、待っていた。

 その不安げな表情からも、明莉も心配してくれていたのが窺えた。

 明莉は健が来たことに気付くと、すぐに質問してくる。


「どだった?」

「上手く行ったみたい。3人とも、さっきまで喧嘩してたのが嘘みたいに楽しそうに語り合ってたよ」


 健の言葉に、明莉はニヘっと口角をあげて笑う。


「そりゃよかった! 流石ケンの料理だね!」

「……明莉もありがとうな。明莉の一言がなければ、婆ちゃんの味を再現することもできなかった」

「ううん、私は大したことはしてない。ケンの料理の腕がすごいんだって!」

「それはまぁ、そうなんだけどね」


 健がふざけた様子でそういうと、明莉は健の頭を小突いてきた。


「おいこら、謙遜しろよ謙遜」

「あはは」


 明莉に笑って答えると、彼女は何を思ったのか、小突いてきた拳を広げ、そのまま健の頭に手をポンと乗せてきた。


「この視点、なんだか懐かしいね。……あーあ、ケンも昔はこんくらい小さくて可愛かったのになぁ」


 確かに階段の一段下、この角度で明莉の顔を見るのは既視感があった。

 というのも健は小学生高学年の時、明莉よりも身長が一回り小さかったからだ。

 子供扱いされているようでカチンと来た健は、明莉と同じ段に上がり、グイと距離を詰めて頭を撫で返す。


「今は小さくてかわいいのは明莉の方だからね」


 すると明莉は驚いたのか「ひゃっ」と短い悲鳴を上げ、後ずさりしようするが、足をもつれさせバランスを崩した。

 咄嗟に健は彼女の腰と後頭部に手を添えて、支えてあげる。抱きかかえるような形になり、体が密着してしまうが、転倒してしまうことは避けることができた。


「明莉、大丈夫?」


 健がそう聞くが、明莉は何も答えてくれない。驚いたような表情を浮かべ、数センチ先の健の瞳をじっと見つめている。


「大丈夫だったら、もう手を離しても……」


 もう一度問いかけようとすると、突然明莉が「うにゃーーー!」といって暴れ出し、健の腕を振りほどいた。そして這うようにして健から距離を取る。

 助けただけだったのに、警戒されてしまい地味に傷つく。


「そんなに驚かなくても、何もしないって。明莉が足をもつれされたから、介護しただけだよ」

「そんなお年寄りみたいな言い方すんな! 今のは…えーっと…そう、お腹がすいてフラついただけだから!」


 明莉は怒ったように声を張り上げた。

 そういえば今日は朝からずっと店の準備に夢中で、昼食を忘れていたことを思い出した。折角準備を手伝ってくれたのに、明莉には悪いことをしてしまった。 


「ごめんごめん、昼食用意してあるのを忘れてた。食べてく?」


 明莉のことだから、ご飯をチラつかせれば機嫌を直してくれるだろうと考えていたのだが、不貞腐れたような表情で俯いてしまう。

 そして何か葛藤するように頭を抱えて「う~~~!!」と唸った後、勢いよく顔を上げて健を睨む。


「……食べる」


 結局食べるんかい。

 健は苦笑いして、座り込んでいる明莉に手を差し伸べるが、彼女は手を伸ばして健の手を取るか逡巡した後、その手を取らずに自分の力で立ちあがり、リビングの方へテテテと走り去っていった。

 健は、明莉の妙な態度に疑問を感じつつも、食事の準備にキッチンへと向かった。


 

 電子レンジで用意していた料理を温めていると、リビングテーブルに腰を下ろしている明莉の声が聞こえてくる。


「ケンはさ、なんで知聖ちゃんの力になってあげたいって思ったの?」


 健はダイニングキッチンのカウンターから顔を出し、カウンター越しに明莉と顔を合わせて答える。


「友達だから、じゃない?」


 健の適当な返答に、明莉は訝し気な表情をする。


「えー、本当にただの友達相手にここまでする? じゃあ佐古君相手でも同じようにした?」

「いや、それは絶対にしないな」


 それは間違いない。もし佐古に両親との確執のような重い話を打ち明けられても、『大変なんだな』と共感だけして終わりだっただろう。

 健はため息をついて、本当のことを打ち明ける。


「知聖さんには、辛い時に一緒にいてくれたことがあって、そのお礼をしたいって思ったんだ」

「……一緒にいてくれた……それだけ? 解決してくれたとかじゃなく?」

「あぁ、それだけ。まぁ結果的にはそれが解決につながったんだけどね」


 知聖が一緒にいてくれたことで、明莉に失恋したことを忘れ、立ち直ることができた。もし彼女がいなかったら、今こうやって明莉と会話することもできなかったかもしれない。そう思うと本当に知聖には頭が上がらない。

 明莉は健の答えが不服なのか、唇を尖らせて拗ねたように言葉を続ける。


「……それって、私じゃダメだったの? 相談してくれれば、私だって力になったのに…!」


 失恋した張本人に相談できるわけないだろう。とは思うが、明莉は健が何に悩んでいたかを知らないため、そう考えてしまうのも仕方がないのかもしれない。


「……うん、明莉じゃなくて、知聖さんだったから助けられたんだ。」


 明莉は健の言葉を聞くと、目を伏せて俯いてしまった。

 健はその反応をみて、今の言い方だと明莉では力不足、という意味に受け取られかねないことに気付き、慌てて言葉を付け足す。


「ち、違う違う。仲がいいからこそ相談できないこととか、あるだろう? そういう類の話だよ?」


 健のフォローにも、明莉は一切反応を示さない。

 もし健が知聖にした相談内容を明かすことができれば、明莉に相談できなかった理由を納得してくれるだろうが、失恋した張本人に言う訳にもいかない。

 重い沈黙の中、電子レンジの駆動音だけが部屋の中に響き渡る。

 しばらくして、電子レンジが温めを終えたことを告げるアラームを鳴らした。


「ほーら明莉、温め終わったぞ。」


 健はワザと明るい声を出し、温めた料理と、お茶碗にご飯を多めに盛って明莉の前へと置く。

 明莉は「ありがと」と言って、卵焼きを口にする。

 すると、嗚咽とともに泣き始めてしまった。 


「どうした明莉!? なんで急に泣いてるの!?」

「なんでもない、何でもないの……」


 明莉はそう言って目元を袖で拭うが、次から次へと溢れてくる涙が止まらない。

 健は明莉にハンカチを渡し、なるべく優しい口調で彼女に語りかける。


「今更俺相手に気を遣うことはないよ。何か気になることがあるなら話して?」


「本当に何でもないの……」明莉はそう言って泣いたまま無理やり笑みを浮かべている。そして呟くように言葉を続けた。「ただ、これが……愛の……魔法なんだなって……そう思っただけ」


 明莉は、味が塩辛くなってしまいそうな程大量の涙とともに、卵焼きを口に入れていった。

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