幼馴染に彼氏ができたため、別の娘にお弁当を作ってあげていたら、幼馴染の様子がおかしくなった

くりきんとん

第1話

 ダイニングキッチンに、ジューっという鮭の焼ける音と香ばしい匂いが立ち込める。するとタイミングを見計らったように炊飯器が甲高いアラームを鳴らした。

 その音につられるように、上の階からドタドタと同居人たちの慌ただしい足音が、たけるの耳に入ってくる。


『家族が同じ釜の飯を食う、それが一番の贅沢。今も昔もそれは変わらん。』


 それが我らが塩田家の一階に位置する塩田食堂を、自転車操業で経営していた祖母の口癖だった。

 そのおかげというかそのせいというか、我が家では家族が揃わないと食事に手をつけてはいけないという暗黙のルールがある。


 健が四人分のご飯をよそってテーブルに並べていると、妹である麻由まゆがぼさぼさの頭を掻きながらリビングに入ってきた。

 キャラもののピンクのパジャマをだらしなく着崩し、不機嫌そうな声をあげる。


「えー、今日ご飯? パンの気分なんだけど」


 昔は素直でよく懐いていた妹も、年を重ねるにつれて生意気な態度をとるようになっていき、今年高二になる今では立派に反抗期を迎えて扱いが難しくなってしまった。

 パンにすればご飯の方がよかったとか言い出す始末で手に負えない。


「文句言うなら食べんでいい」 


 少しカチンときた健は、麻由の茶碗によそったご飯を炊飯器の中に戻した。すると麻由は慌てた様な声を出す。


「わわ、兄貴まったまった! 実は昨日の夜から朝はご飯と決めておりました喜んで食べさせていただきます!」

「全く調子のいい…。最初から文句言わなければいいのに」


 妹のご飯をよそいなおし、手渡しで彼女に差し出すと、麻由は「ははぁーーー」といって両手で仰々しく受け取る。

 この様子を見ていると彼女の減らず口は反抗期、というよりは彼女なりの家族への絡み方なのかもしれない。

 健がそう考えていると、ガラリと戸を開ける音と共に、中年の男性が顔をのぞかせた。


「全く、二人して朝から何やってんだ。健、悪い。今日は朝一の会議で早いんだ、おかずは要らない」


 健の父親である幸一こういちが、まるで主従関係のようにご飯を受け渡しをしている健と麻由を見て、呆れたようにそう言った。幸一は既にスーツに身を包み、手にはネクタイとカバンを持っており、家を出る準備は整っているようだった。


 幸一は急いでいる時、味噌汁の中にご飯を投入し、胃の中に流し込むため、おかずには手を付けない。ということは用意した幸一分のおかずは余ってしまうことになる。

 どうしたものかと健が余った鮭の処理方法を考えていると、家のインターホンが鳴った。


 ピンポーン


 その音が聞こえた健はニヤリと口角を上げる。


「お、丁度残飯処理係がきたみたいだね」


 健の言葉に、麻由がケタケタと笑う。


「あはは、確かに明莉あかりちゃんだったらいくらでも食べられそうだよね!」

「うん、勢い余って俺たちの分まで食べられない様にしないとね」

「あはは、明莉ちゃんは食いつくし系女子か!」


 健は麻由の突っ込みに笑いつつ、軽い足取りで玄関に向かう。

 玄関のドアを開ける前に、玄関先に置かれている姿見を確認する。

 中肉中背で、右目尻にある泣きぼくろ以外は特徴のない地味な顔ではあるが、清潔感だけは気を付けている。顔の角度を変えて寝癖がないことをチェックし、鏡に顔を寄せて髭の剃り残し等細かい見落としがないか確認する。 


 身だしなみの確認を終えた健が玄関の扉を開けると、いつも通り明莉の元気溌剌な声が響き渡る。


「おっはよ~ケン! 今日のご飯は何ですかい?」


 健(たける)のことをケンと呼ぶのはこの世で明莉一人しかいない。

 佐藤明莉さとうあかり、健の近くの家に住んでおり、小中高大と健と同じ学校に通っている。

 平均よりもやや小柄な背丈と、クリクリとした大きな瞳は、アイドルのように可愛らしく、社交的な性格と相まって、彼女は大学の中でも一番の人気を誇っている……らしい。茶髪でウェーブがかったボブショートは、今日も一分の狂いもなく、まるで雑誌の中のモデルが目の前に出てきたようであった。


「おはよう明莉。今日は焼き鮭だよ。明莉には特別に二切れ用意してる」

「ええっ!? 朝からそんな贅沢しちゃっていいんですか!? ご飯のお代わりも欲しいところだね!」


 明莉は大げさに驚きながら玄関に入ると、適当に靴を脱いでリビングに向かう。

 昔から彼女は行動が雑で、脱いだ靴はかかとが外の方に向いている。そのため、健は彼女の靴のかかとを内側に向け、揃えてあげる。これが毎日のルーティーンと化しているが、言っても治らないので仕方がない。


 明莉はリビングの扉を勢いよく開けると、大きな声を張り上げる。


「おっはようございまーす!」


 明莉の無駄に元気な挨拶に、妹は気だるげに、幸一は急かすように反応する。


「明莉ちゃんおっはー」

「ああ、おはよう。悪いけど健、あかりちゃん、早く座ってくれるか? 健にはさっきも言ったが、今日は急いでるんだ」


 幸一の言葉に、健と明莉は慌てて椅子に座り、手を合わせて幸一の一声を待つ。


「いただきます」

「「「いただきまーす」」」


 幸一の声に合わせ、健、明莉、麻由の3人の声が揃う。

 毎日こうやって、塩田家プラス明莉の一日は始まる。




 朝ご飯を食べ終えると、明莉と一緒にテレビニュースを見ながら、慌ただしく学校や仕事場へ向かう父親と妹を見送る。

 時間に余裕があるのは大学生の特権である。日にもよるが、今日の授業は二限からで、大学までの距離も歩いて十五分程。 家を出るまでまだ一時間ほど時間があった。

 明莉が、作ったお弁当のあまりである卵焼きをつまみながら口を開く。


「うん、やっぱり卵焼きは塩に限るね! こないだ友達の卵焼きもらったらさー、甘くて甘くて…あれは邪道だよねー」


 明莉の苗字は佐藤だが、甘いものが苦手で、塩や醤油が効いたしょっぱいものを好む。

 健はお茶をズズズとすすりながら答える。


「う~ん、そこは意見が分かれるね。 ちなみに俺は砂糖を入れた甘い方が好きかも」


 健の言葉に明莉は眉を顰める。


「えー? でもいつも塩で味付けしてるよね?」明莉は不思議そうな顔でそういった後、何かに気付いたようにニヤニヤと笑みを浮かべた。「あ、もしかして私に合わせてくれてんの? おいおいケン君ー、私のこと好きすぎかー?」


 健はお茶を咽てしまった。

 彼女の言葉は図星で、卵焼きは明莉の好みに合わせて味付けしているのだ。

 健はどんどんと胸を叩き、器官に入ったお茶を追い出すようにゲホゲホと咳をしながら答える。


「ま、麻由だよ! 麻由が塩派だからそうしてるだけ!」

「あはは、ケン焦りすぎだってー」 


 明莉はけらけらと笑いながらも、箱ティッシュを取って健の近くにおいてくれたため、健はティッシュで口の周りのお茶を拭き取りながら息を整える。


 長年の付き合いにより健の行動の機微で心を読んでくる明莉相手に誤魔化しは通用しない。ここは話題を変えるのが吉だ。


「それより明莉、明日提出の課題ちゃんとやってるの?」


 健の目論見通り、この話題は明莉の気を逸らすには十分な効力があったようで、明莉の表情が凍り付いた。そして、明莉はぼそぼそと言葉を続ける。


「あ…そのことなんだけどね、ケンにお願いがあって…」


 健は彼女が何を言いたいのか予想できた。どうせ課題を写させて欲しいとか言うのだろう。


「はぁ、あの課題は確かに手をつけるまではだるいけど、始めれば一、二時間くらいで終わるぞ。今日の夜から始めても十分間に合う」


 明莉は机に顎をつけて突っ伏し、不満気な様子を見せる。


「えー、けちー。 今日の夜が暇かはまだ分からないんだよー!」


 明莉には数え切れないほどの友達がいるため、遊ぶ約束でもしているのだろうか。

 これだから大学生は……。

 健は溜息をつき、鞄からクリアファイルを取り出し、それを明莉に差し出した。


「丸写しはやめてよ。バレたらこっちまで単位を落としかねないから」


 すると明莉は、目を輝かせてそれを受け取り、クリアファイルを抱きしめるようにかかえる。


「さっすがケン! 愛してるぅ!」

「…はいはい、俺もだよ」


 健はテレビを見ながら適当に返事をする。

 普通の男ならば、明莉のようなかわいい子から『愛してる』などと言われれば、顔を真っ赤にして冷静ではいられなくなるだろう。

 しかし、明莉は健にとっては幼馴染である。お調子者の彼女は、昔からありがとう感覚で軽い調子でこんな発言をすることも知っている。 もう慣れっこであった。

 健は片手で湯呑を掴み、口元へと運ぶ。


「あつっ。 あっつ!」

「ちょ、ケン!? 尋常じゃなく手が震えてるけど…てかめっちゃお茶こぼしてるけど大丈夫!?」


 平気であるわけがなかった。

 健は明莉の『愛してる』の一言に滅茶苦茶に動揺していた。

 明莉はそうなった原因が自分にあることも知らずに、心配してくるため、健は平然を装いながら答える。


「ああ、大丈夫。決して明莉のせいじゃないよ、決してね?」

「いや、そんなの分かってるけど…、実際私何もしてないし」


 明莉はそう言って引きつった笑みを浮かべている。

 いや、お前は何も分かっていない。 自分の不用意な言葉が今まで何回健の心を揺さぶってきたか……気がある異性からの「愛してる」などという言葉は、どれほどの威力を秘めているのかということを。 そんな言葉を気軽に使ってくる彼女は、天然のたらしといってもいいだろう。


 そんな健の気持ちも知らずに、明莉は健の手を取って、自分の方に寄せると、ハンカチで健の手にかかったお茶を拭い、観察するようにいろんな角度から健の手をみる。

 明莉のすべすべの手の感触に脳の処理の大半が支配され、痛みが吹っ飛んだ。


「うーん、火傷は大丈夫そうだけど、ちょっと赤くなっちゃってるね。念のため冷やした方がいいかも…ってケン? さっきから様子がおかしいけどどうしたの?」


 健は空いている方の手で両目を覆って表情を隠していた。

 お茶がかかった手よりも、今は顔の方が火傷しそうなほど熱かった。こんな顔を見られては、明莉に意識していると気付かれてしまう。


「いや、何でもないんだ本当に。 明莉のせいじゃないから気にしないくれ」

「だから知ってるって。 ケンが自爆して火傷しただけでしょ」


 いやだから、お前は何も知ってない。気持ちがバレない様にするために明莉のせいじゃないと言ってはいるが、全部お前のせいなんだよ。

 健は明莉の手を解き、彼女に顔を見られないように気を付けながら、手を冷やすため流しの方へ向かった。

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