「家に帰ったら、父親面するつもり?」

 俺と、寝たくせに。

 父親を傷つけたい、その一心で発した台詞のつもりだったけれど、そうではなくて、父親を引き留めたいだけの台詞であることは、認めたくなくても認めざるを得ないくらい、しっかりと俺の中に根を張っていた。

 認めたくない。認めたくないけれど、俺はこの男を引き留めたがっている。その感情が、親子の情から出ているのかどうかなんて、もう分からない。情がこんがらかりすぎている。

 父親はハーフコートに目をやったまま、父親面したことなんて、なかったでしょう、と応じた。

 俺は、どうしようもない気分で目を瞬いた。確かに、そうだったから。俺はいつでも、この男に父親面をしてほしかった。でも、この男はそれをしなかった。二人暮らしの家は、いつでも一人と一人だった。同じ部屋にいることすら、ほとんどなかった。父親はリビングのソファにぼんやり座っているばっかりで、俺は自分の部屋から出なかった。食事の支度なんかする人はいなくて、金だけがリビングのテーブルに置いてあった。俺はその金を、父親がいない夜に回収して食費やらなんやらに当てた。いつでもそれは、十分すぎる金額だったのだけれど、父親がなにをして稼いでいるか知ってからは、使うのが嫌になった。それで、中学卒業と同時にバイトを始めた。

 「……なんのつもりなんだよ。父親でもなくて、立ちんぼなんかやって、なんのつもりで俺を育てたんだよ。こんなんだったら。放り出された方がましだった。」

 「……あんたが、ひばりの息子じゃなかったら放り出してますよ。」

 ひばり。一拍置いて、母親の名前だと気が付いた。記憶にない、俺の母親。物心つく前に死んだそのひとの仏壇どころか写真すら、うちにはなかった。存在を、消すみたいに。

 そして、消されたその名を呼んだとき、父親は眉を微かに寄せた。それは明らかに、苦悶の表情だった。今にも傷口から鮮血があふれる、そんな新鮮な傷を思わせた。母の死は、もう10年以上前の話であるのに。

 じゃあ。

 父親は、呟くようにそう言って、ハーフコートを身に着けた。いつもの、地味な父親ルックの完成だ。そして、父親の手が部屋のドアにかかる。俺はそのさまを、黙って見ていた。それ以上言葉が見つからない。父親を傷つけるためにも、引き留めるためにも。

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