11
俺はその視線を認識して、我に返った。あの男を殺して、俺も死ぬ。もう、そうするより他に、道はない。
「……ナイフ、返して下さい。」
男の人は、ナイフを押し込んだハンドバッグを俺の前にひらつかせると、にっこり微笑んだ。
「返せないかな。俺、敬吾さんのこと、結構好きだし。」
人懐っこい、夜の匂いがしない笑顔だった。俺はちょっと毒気を抜かれた。その俺を見て、彼は更に笑みを深めた。
「殺されちゃったら、寂しくなるよ。」
寂しい。
父親の不在を、そんなふうに感じる人がいることが意外だった。実の息子である俺ですら、そんな段階はもう過ぎてしまっているので。
「……なんで、寂しいんですか?」
半ば無意識に転がり出した問いは、妙に幼い響きをした。空が青い理由を尋ねる子供みたいに。
「敬吾さん、古株だしね。あんまりなにも言わないから、わずらわしくなくて逆にいろいろ相談しやすいっていうので、いろんなこの話し相手になってくれてもいるし。」
「息子の俺とは話したことないのに。」
彼の言葉に被せるみたいに、反射で出てきた台詞に自分でも驚いた。そんな、父に相談に乗ってもらっているとかいう売春婦たちに、嫉妬でもしてるみたいな。
金茶の髪の男娼は、軽く肩をすくめた。白いショートコートに包まれた肩は、なだらかできれいなシルエットをしていた。
「実の親子だと、逆に難しいこともあるんじゃないの?」
ありふれたおためごかしだと思った。ぺらぺらで、なんの意味もない慰めだと。けれど、彼が俺の肩に置いた手には、妙な重さが宿っているような気がして、戸惑う。
「俺、家族とか、よく分かんないけど。」
彼はさらりとそう言った。俺は、その言葉に流されるみたいに、俺も、と呟いていた。
「母親は、物心つく前に死んだし、父親は、ずっとここで売春してるばっかで話したこともないし。俺も、家族とかよく分かんない。」
すると彼は、え? と呟いて、軽く首を傾げた。
「母親って、ひばりさんじゃないの?」
今度は俺が、え? と首を傾げる番だった。目の前に立っている彼は、せいぜい23歳くらい。俺の母親が死んだ10年前は、彼だってまだ子供だったはずだ。
「そう、ですけど……。」
「だよね? きみ、ひばりさんそっくりだし。」
母親に似ている。そう言われるのもはじめてだった。俺は、困惑してきれいな男娼を見上げた。そっくりっていうことは、このひとは、俺の母親を見たことがあるのか。10年前に死んだ、俺の母親を。
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