12

  彼は、曖昧な表情で俺を見た。それは、なにを話すべきで、なにを話さないべきか、算段しているみたいな表情だった。

 待ってくれ、全て話してくれ。

 そう思って、俺は目の前の男娼の細い腕を咄嗟に掴んだ。彼は、ついさっきまで果物ナイフを手に疾走していた俺に腕を掴まれても、怯むそぶりも見せなかった。ただ、ちょっと困ったみたいに首を傾げ、どうしよっかな、と呟いただけで。

 「知ってること、全部話してくださいよ。」

 必死だった。俺が母親について知っていることは、名前だけだ。それが全てだ。顔すら知らない。これまで、知りたいと思ったことすらなかった。あまりにも、遠すぎて。でも、俺の母親以外は抱けないと泣いた父を、俺がひばりの子どもじゃなかったら放りだしていると言った父を、思い出せば喉から手が出るほど母の情報が欲しくなる。あの男の泣き所である、女の。

 きれいな男娼は、やっぱり困った顔をしていた。このひとは、なにか知っている。それも、決定的なことを。

 俺は、掴んだ腕をゆさぶった。

 「俺、母親のこと、なにも知らないんですよ。ほんとに。これまで、知りたいとも思わなかった。父親は多分、俺に隠してたんだと思います。母親のこと。じゃないと、不自然でしょう。再婚したわけでもないのに、写真の一枚もないって。」

 俺の言葉は途切れ途切れで、聞き取りずらかったと思う。それでも彼は、静かな顔でそれを聞き取ろうとしていてくれた。俺はその表情に安堵すら覚えて、さらに言葉を接いだ。だってこれまで生きてきて、こんなに真剣に俺の話を聞いてくれた人なんて、誰もいない。

 「これまで知りたいと思ったことないけど、今は知りたい。父親の心の中には、母親が今でも住んでるんだと思うから。母親以外、誰も入れないんだと思うから。……俺でも。息子、でも。俺、それがずっと、悔しかったのかもしれない。だから、母親のこと、見て見ぬふりしてきたのかもしれない。」

 言葉にしてみて、自分でも、そんなことを考えていたのか、と驚いたほどだった。でも、口に出した言葉は、まぎれもなく俺の本心だった。曇りなく。

 息子でも、入れなかった父親の心の中。そこにはおそらく、母親がいる。蚕が繭を作るみたいに、父親は母親の記憶とともに自分を包み込んで出てこられないようにしている。誰も、自分の中に入れないように。母のおもかげが、決して薄れないように。


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