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 「……敬吾さんに、許可取ってから話したいんだけどね。」

 なんで黙ってるのかも、俺には分からないし、と、きれいな男娼はため息交じりに言った。話してくれる気になったのか、と、俺が身を乗り出すと、彼はため息を深くし、腕、離して、と言った。

 「逃げないから。腕、痛い。」

 俺は、はっとして掴んでいた腕を離した。こんなに力が入っていたなんて、とびっくりするくらい、指が強張っていた。彼の白猫みたいな肘の少し上には、俺の手形がくっきりと残った。

 「あ、ごめんなさい。」

 うつくしく整えた身体は、彼の売り物であるはずだ。これでは商売ができないのではないかと思って、慌てて謝ると、彼は平然と肩をすくめた。

 「手形くらい、よくつけられてるよ。腕でまだまし。」

 きみも分かっているんじゃない? と首を傾げた彼を見て、俺はこれまで脳味噌の奥深くに封印してきた記憶が、写真をばらまいたみたいに目の前に散らばるのを感じた。

 首に、手形をつけて帰ってきた父親。あれは、一度や二度のことではなくて。リビングのソファに、空気が抜けかけた人形みたいに座り込んでいる、いつもの父親。その首にくっきりと刻まれた赤い手形は、無彩色の世界にいきなり鮮やかな色彩が割り込んできたみたいだった。はじめの頃は、俺はまだ父親が売春をしているとは気が付いていなかったので、ただ、その手形のわけの分からなさに怯えた。しばらくして、父の生業に気が付いてからは、見て見ぬふりをするようになった。それは父親の存在ごと。

 「……首に、手形が。」

 立ちくらみみたいに、一瞬目の前が白くなった。膝が砕けそうになって、一歩後ずさる。すると彼は、慌てた様子もなく的確な動作で俺の肩を支え、座ろう、と囁いた。俺は彼に従って、道の端っこに腰を下す。彼は、真っ白いスカートをはいているのに、それに構いもせずに薄汚れたアスファルトの上に膝を抱えた。

 「思い出したくないことを、思い出させちゃったみたいだね。」

 ごめん、と、彼が軽く頭を下げて、俺の表情を覗き込んだ。大きな猫目が、街灯を反射して光っている。

 「……いいんです。ここに来るって決めた時から、そんなの、分かりきってたことですから。」

 バイトを始めたのは、父を買うためではない。単に、父が売春で稼いだ金を使うのが嫌になったからだ。それに、金を貯めて一人で暮らせたら、と思う気持ちもあった。じゃあ、いつここに来ることを決めたのかといえば……、よく分からない。今晩、果物ナイフを掴んだ瞬間に、心が決まったような気もするし、もっと前から、父が観音通りで身体を売っていると悟った日からずっと決めていたことみたいな気もする。

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