第95話 目覚め

「私、子供と遊ぶの好きなんだ!!」


 僕は君のことが好きだ。


「皆でわいわい遊ぶのも楽しいから好き!」


 僕は君のことが好きだ。


「あ、でもね、静かな場所で絵本を読むのも好きだよ」


 僕は君のことが好きだ。


「今度一緒に図書館行こ! 図書館デート!! えへへ」


 君は翼だ。


 いつも僕の背中を押してくれる、勇気の翼。


 僕は翼を失った。


 君がどこにもいない。


 僕は、どこに行けばいい?


 いつも僕に道を示してくれた君がいない。


 僕を置いて一人で行ってしまった。


 君の元まで、僕はどうやって行けばいい?


 置いて行かないで。


 あぁ、今日もまた。


 僕は迷子だ。

 


 自室のベッドで目を覚ました僕を支配したのは、呼吸すら面倒に感じるほどの虚無だった。眠気はないのに異様なほど身体が重い。今何時かと思って、時刻を確認するために開いたスマホには[1月2日 6:11]とある。


 ロック画面の壁紙に設定していた写真、4年前の入団試験でエミーリアさんに撮ってもらった僕ら3人の記念写真が否応なしに目に入る。


「……」


 僕は見ない振りをして、すぐにスマホの電源を切った。暗転した画面に薄っすらと映ったのは随分やつれた僕の顔だった。


 それすらも見ない振りをしてから起き上がってみれば、機械のスイッチがONになったみたいに身体は動き始めた。タンクトップ一枚とヨレヨレのスウェットパンツというだらしない恰好のまま部屋を出て、冷気で満たされた騎士寮の廊下を少し進み、最大10人が同時に使用できる洗面所へ向かう。

 

 まだ朝も早いので洗面所には誰もいなかった。この無駄に広く感じる洗面所を僕が独り占めしているというわけだ。その無駄に広い洗面所の中で一人、冷たい水で顔を洗う。


 顔を上げて見ると鏡の中の僕と目が合った。ぼさぼさの髪の毛と半開きの眼に、若干皺が寄った眉間。なるほど、随分陰気なメイクじゃないか。


 無駄なことを考えるのもそこそこにして自室に戻ろうとした僕は、隣の部屋の前で立ち止まった。リルの部屋だ。僕の部屋の右隣にはリルの部屋がある。左隣はスルトの部屋で、僕の部屋は二人に挟まれている。


 僕は扉をノックした。リルの部屋の扉を、ゆっくり三回。


「……」


 一分待ったが、リルはやっぱり出てこなかった。昨日と同じ結果。


 もうこんなことはやめにしよう。そう思いながら自室の扉の取っ手に手を掛けようとした。


 その瞬間ガチャリと、リルの部屋から扉が開く音がした。


「!!」


 僕は思わず振り向いた。きっと顔には「もしかしたら」という文字が浮かんでいたと思う。その「もしかしたら」を期待しながら振り向いた。


「あ……エルド」


 開いたのは、リルの部屋の隣。そこから出てきたのはアルベドさんだった。僕を見て気まずそうな顔をしている。


「…………お、おはよう……」

「…………おはようございます」


 僕は失望を押し殺して挨拶を返した。



「────よおエルド、隣座るぜ」


 噴水広場のベンチでぼーっとしていた僕に話しかけてきたのはアレクさんだった。どうやらさっきまで煙草を吸っていたようで、アレクさんが隣に座った瞬間ニコチンの匂いがした。


「早々に悪いが、明日の葬儀のことで言わなきゃならんことがあってな。今年から火葬することになった」

「……火葬?」


 僕は思わず聞き返した。


「土葬じゃないんですか?」

「あぁ。うちの国の話じゃないんだが、死体を操る霊臓を持った快楽殺人鬼が出た。確か……ブーマー・ハルトマンとか言ったか? 各国から指名手配を受けてるが、十年以上が過ぎた今でもまだ捕まってないらしい」


 死体を操る霊臓とはまた恐ろしい。そんな力を持っているのがよりによって殺人鬼とは、


「万が一ソイツがテミス王国に逃げ込んでいた場合、土葬じゃリルカが掘り起こされる可能性もあり得るだろ?」

「つまり、操られるくらいならってことですか」

「そういうことだ」


 なるほど、ようやく合点がいった。それなら火葬になるのも納得がいく。


「別に、僕は気にしませんよ。しっかりと弔えるなら、それでいい」

「…………」

「それより、あの少女はどうなったんですか?」


 アレクさんの顔が強張った。

 

「…………お前が希望したとおりになったよ、全部。リルカは生き残ってた霊魔の残党から少女を庇って殉職。助けられた少女……あのクソガキは騎士団で面倒を見ることで決定した。真相を知ってるのはグリムとモリーだけだ」


 アレクさんは不満そうな声で僕に告げた。


「……俺は豚箱で野垂れ死ねばいいと思ってる」

「そんなの僕だってそうですよ。叶うなら僕の手で罰してやりたいくらいです」


 僕はアレクさんを肯定した。あれから三日過ぎたが、あの少女に対する黒い気持ちは一切変わっていない。


 そしてこれからも消えることはないだろう。


 だが、僕の気持ちなんてどうでもいい。


「……だけど、リルなら…………きっとこうしたはずだから」


 他でもないリルが許したのだ。

 

 ならば、外野の僕がとやかく言うつもりはない。


「…………」


 アレクさんは黙り込んだ。それからしばらくの間は重たい沈黙が流れていた。


 それは一分だったかもしれないし、十分だったかもしれない。もしかしたら一時間、あるいはそれ以上だったかもしれない。とにかく長く感じた。


「「善悪は神に在らず、神は善悪に非ず」」


 不意にアレクさんが呟いた。


「「世界は人によって創られる。故に人はただ善く在るべきである」」

「……『ビフォー・T・ジャスティティア』第二章・百五十九頁の六行目。"名も亡き聖者"の警句其の四」


 突然それを口にした理由は分からないが、この言葉はよく知っている。


『エルド見て!! ここの"名も亡き聖者"の言葉!! 素敵だと思わない?』


 毎日のようにリルから聞かされていたから。


「異常に詳しいな」

「その警句は、リルが一番気に入っていたものだったんで……」


 "名も亡き聖者"、正体不明の聖人。


 騎士王ラムレスと深い関係があったとされる人物だ。『ビフォー・T・ジャスティティア』においては"名も亡き聖者"が残したとされる警句が何度も出てくるが、当人が登場したことは一度もない。その不自然さと謎に満ちたバックボーンに惹かれた大勢の人間から考察対象にされている。


 だけどリルは、純粋に"名も亡き聖者"が残した警句に感銘を受けていた。その警句を一言一句違わず座右の銘にするくらいだ。


「……一説じゃ"名も亡き聖者"は神々と交信することが出来たらしい。神々から授かった言葉を警句として人々に伝えたんだとよ」


 アレクさんは話題の継続を選択した。


 何でいきなりこの話題を出してきたのか、理由はやっぱり分からない。状況と前後の会話を鑑みても脈絡が無さすぎる。


 だが、この話が本題ではないことはなんとなく分かる。


「言いたいことがあるならさっさと言ってくれませんか」

「…………」


 図星だったようで、アレクさんは項垂れた。


 失礼な態度を取っていることは自覚しているが、それでも本音を隠せなかった。


 それに、今の僕にそういう配慮をする余裕なんてない。


「こんなことがあっても、お前はまだ善く在ろうと思えるか?」


 こんなこと、というのはつまりそういうことだろう。


 ならば答えは簡単だ。



 アレクさんが驚いたような目で僕を見た。


「もうどうでもいいんです。もう考えることすらも怠い」


 翼の折れた小鳥がいた。


 僕の足元にいたその白い小鳥はジッと空を見上げているが、微動だにしない。怪我をしてから大分時間が過ぎているのか、かなり衰弱しているようで、最早生きているのか死んでいるのか分からない。


「だけど、リルに頼まれたから」


 そっと小鳥を手で掬い上げると、死んでいなかった小鳥は小さく首を傾げて僕の顔を見た。


「なるべく努力はしてみます」


 アレクさんは依然として衝撃を受けたような表情のままだった。


「……そうかい」

 

 ようやく声を絞り出したアレクさんは、少しだけ顔が明るくなっていた。


 これ以上話すことも無さそうだ。


 そう判断した僕はベンチから立ち上がった。


「やることが出来たので、これで失礼します。また明日の葬儀で────」


 僕が言おうとしたその瞬間、凄まじい爆発音が轟いた。


「「!!?」」


 音がした方向を急いで振り向いたとき、僕は何が起こったのかすぐに理解出来た。


「まさか────」


 爆発が起こったのは王国の中心、天高くそびえ立つテミスの神像だ。三日前の戦いで唯一無傷を保っていた神像だ。


 その神像が今、琥珀色の炎に巻かれて崩壊している。爆発の余波で飛散した神像の巨大な破片が落下している。


 いや、違う。爆発したんじゃない。爆破されたんだ。


 誰に?


 決まっている。


 理由は分からないけど、こんなことが出来るのは一人しかいない。


「スルト……!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アフター・C=ジャスティティア───正義になり損ねた男はあまねく悪を焼却する 金剛ハヤト @hunwariikouka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画