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ゼン・バースは言わずもがな第三騎士団の団長であり、ミルバの親友でもあった。同い年で見習い騎士の頃から一緒に行動することが多く、同じ騎士団に配属された時は大喜びしたものだ。
「乾杯」
白銀の鎧と黒いローブを脱げば、彼らはただの親友であり、それ以上でも以下でもない。馴染みの店でいつものカウンター席に座り、味の濃い料理にビールを傾ける。昔から変わらない夜の風景だ。
ゼンの話はどれもこれも他愛もないものばかりだった。昼間の話の続きはあえてすぐに振ってこないのだと気づいたから、ミルバもどうでもいい話を返した。まずはただ、親友と共に料理と酒を美味しく頂こう。明日はちょうど非番で、予定も午後からしかない。
新しくできたサンドイッチの露店、ウォレスが女に振られた話、もうすぐ七歳になるゼンの子ども、城内の食堂の飯が相変わらず不味い話、第三騎士団内で起こったくだらない喧嘩、最近入った騎士専門の鍛冶屋の腕がいい話。
「そういえば、最近魔物が増えてると聞いたが」
何杯目か忘れたビールを片手に、ミルバがナッツをつまみながら問いかける。
「ああ。正直な話、ここ数年の増え方は異常だ」
「手は足りてるのか」
「まぁ何とかな。できればイトリの力も借りたいが」
「たった三人増えたところで大して変わらないだろ。それに、最近こっちも多くてな」
「らしいな」
ソーセージを差したフォークを持つゼンの手が、口元まで持っていってぴたりと止まった。くすりと愉快そうに眼が細められる。
「それにしても、甥っ子とはね」
「笑うんじゃねぇよ」
じろりと見つめるミルバの視線など気にせず、ゼンはソーセージにかぶりつく。受け流されてしまった抗議の行き先はなく、むっすりとしたままミルバはフライドポテトを指で掴んだ。行儀など知らないとばかりに手づかみで食べ、塩のついた指をぺろりと舐める。
「で、どういうつもりだ?」
ようやく飲み会を開催するきっかけとなった質問が飛んできた。違法転生者に、ショウ・クボタにわざわざ稽古をつける理由はなんだ、と。
ミルバはビールをちろりと傾ける。なぜと聞かれ、ミルバは酒の回った頭でぼんやり考えた。昼間の冴えた頭ですら明確な答えなど出てこなかったのだ。アルコールに侵された脳みそで答えがはじき出せるとは思えない。
しかし、アルコールが入ったからこそ、言葉にできることがある。
「……ただ」
ゼンは黙ってこちらを見ている。急かしもせずに、ミルバの言葉をじっくり待っていた。
「違法転生者も、普通の人間だと思って」
イトリの仕事は嫌いだった。ミルバは好きでイトリの隊長になったわけではない。違法転生者が増え始めたころ、たまたまミルバが転生者を捕まえることが多かった。ただそれだけで、ミルバは騎士から異世界転生取締部隊の隊長へと任命された。転生者などが来るせいで、自分は騎士からイトリへと否応なく左遷させられたのだ。ミルバはずっと騎士でありたかった。
だから正直、送り返した転生者がどうなろうとどうでもよかった。向こうの世界で死んでこちらに来たのだとしたら、それはそのまま向こうの世界で死ぬのが自然の摂理だ。向こうに帰ったら死ぬと叫ぶ転生者も、作業的に送り返した。
だというのに、ショウ・クボタが帰らなかったせいで。彼がどこにでもいる普通の人間だと知ってしまったせいで。怒り笑い呆れ、共に飯を食って仕事をして他愛もない話をしたせいで。
「まぁ、だからなんだ、という話だが……」
「ああ、いいよもう。何となく分かったから」
「は?」
ミルバは眉間にしわを寄せたまま、訝しげな視線をゼンに向ける。
「君は面倒見がいいからね」
「……それはお前だろ」
自分が第三騎士団団長としてどれだけの人間に慕われているか、分からない男でもないだろうに。
「それに、何が分かったって?」
「気づいてないのかい。簡単に言うと、きみは新しく来た部下を可愛がってるだけなのさ」
部下を可愛がる。意味は分かるが、今の状況に当てはまらず、ミルバは目を点にした。
俺が、ショウ・クボタを、可愛がっている、だと。
「……転生者だぞ」
「自分で言ったんじゃないか。転生者も一人の人間だって」
「だからって」
「それとも、何か彼を気にかけるようなことがあったのかい?」
「……」
正直な話、それには心当たりがある。仏頂面で黙り込んだミルバに、ゼンは声を出して笑った。
「当たりか」
だって仕方がないだろう。目の前であんなに泣かれたんだぞ。多少は気にかけるというものだ。
ミルバとて分かってはいる。イトリで預かるとはいえ、剣の稽古までつける必要はないということを。これは単純に、ショウの望みを叶えてやっているだけだと。
「でも、君が楽しそうで何よりだよ」
「……随分と早い老眼だな。医者に見てもらえ」
「冷たいなぁ」
「俺は好きでイトリの隊長やってるんじゃないんだよ」
ぬるくなったビールを一気に飲み干す。つまみも何か追加したいし、次はビール以外の酒も頼みたい。ゼンのグラスも空になっているし、一緒に注文をするか。そう思ってゼンを見れば、彼は酒の場に似つかわしくない真面目な顔をしていた。
「なら、騎士に戻らないか」
「何?」
ゼンはミルバへ前のめりになり、熱の籠もった瞳を向けてくる。唇には少しばかり力が入っていて、その様子に冗談ではないのだと分かった。
「私は、イトリと第三騎士団を合併させたい。君たちを騎士に戻し、第三騎士団の業務の一つに異世界転生取締を加える。元々イトリは騎士団の中からできたんだ。最初の姿に戻すだけさ」
ゼンは一通り話し終えると、こちらをじっと見て反応を伺っていた。その真剣な瞳と声に、ミルバの酔いはあっという間にさめていく。あんなにぼやけていた頭が今は嫌というほど明晰だった。
「……つまり、お前の情けで俺を騎士に戻してやる、と?」
「違う。そういう意味じゃない」
「違わないだろ」
ミルバの声は冷たかった。がたりと立ち上がり、懐から適当に金を出す。料金は正確には分からないが、これまでの経験からして半分以上は間違いなくあるはずだ。ゼンに目もくれずに歩き出すが、掴まれた腕がその足を止めさせた。
「ミルバ」
振り向けば、真摯に見上げる焦げ茶の瞳とかち合った。
「私は、君と騎士として共に立ちたいだけだ」
俺だって、そう言って手を取れればどれだけ良かったか。だがミルバはすぐに顔を背ける。
「俺は、お前にだけは情けをかけられたくなかったよ」
腕を掴む手の力が弱まる。ミルバはその手を強く振りほどき、そして二度と振り返らずに店を出ていった。
店内はあれだけ賑やかだったというのに、一歩外に出れば喧騒は微かに聞こえるほどだ。一人夜道の歩みを進める。飲みなおす気もおきず、向かう先は一人暮らしの小さな自宅だ。
ゼンと食事をするときは、何かの祝い事でない限り料金は二人で割っていた。下っ端の騎士だった時から、騎士団長とイトリの隊長となった今も。どんな立場になってもゼンとは対等でいられる。ミルバにとってそれは嬉しくもあり、そして惨めでもあった。彼の優しさは時として、自分の立ち位置を強く思い知らされる。
悪くない話だと思う。ゼンのことだ、ウォレスとアークレナもまとめて第三騎士団に入れてくれるはずだ。ああ、だから手合わせもしていたのかもしれない。イトリと第三騎士団の垣根を低くするために。
騎士に戻りたいが戻りたくない。そんな子どものようなワガママを振りかざしている自分に嫌気がさす。けれど、ゼンにだけは同情されたくなかった。
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