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「今回の違法転生者も捕縛し、投獄しております」
「うむ。ごくろう、ミルバ隊長」
コナルガルフ城内にある、騎士用の職務部屋。その中でも一番大きな執務室にミルバはいた。
室内には二人だけ。部屋の中央に立つミルバと、椅子に腰掛けた老年の男だ。男が腰掛ける椅子は上質な木で作られた高級品で、揃いの机には書類の山ができている。
ミルバの背筋はぴしりと伸び、両腕は行儀よく背中にまわされ、数十分前に丘の上で不貞腐れていた時とは大違いだった。それもそのはずで、ミルバの眼前にいる男の名前は、オーランド・キログ・フォンビナート。五つあるコナルガルフ騎士団を取りまとめる騎士団のトップ、総騎士団長であるからだ。
キログの名が冠する通り、総騎士団長は貴族出だ。名と姓の間の単語が貴族としての爵位を示している。とはいっても、貴族などに縁のないミルバにとって、キログの名が貴族の中でどれほどの地位なのかはさっぱり分からないが。
異世界転生取締部隊は騎士団ではない。だが騎士団以外に所属する場所もなく、特例として五つの騎士団と横並びになっている。
勿論、横並びだからといって、地位が同等というわけではないが。
「では、今回も神官の準備ができ次第、儀式を行ってくれ」
「はっ」
「まったく、転生者というものは一向に減らないな」
「ええ」
「転生者に魔物に、厄介なものばかり増えていく」
「魔物、ですか?」
やはり、あの丘の上から見た騎士団は魔物討伐帰りだったのか。オーランドは深いしわの刻まれた顔を、悩ましげに歪めている。
「いや、君には関係のない話だったな」
「……いえ」
オーランドに悪気はない。まごうことなき事実なのだから。
言葉のなくなった部屋に、重たいノックの音が二度響いた。続けて、扉の向こうから声が届く。
「第三騎士団団長、ゼン・ダースです。魔物討伐の報告に参りました」
「入ってくれ。もう下がっていいぞ」
言葉の前半は扉の向こうへ、後半はミルバへと向けられた。ミルバは深く頭を下げたが、オーランドがそれを見ることはない。彼の視線は扉を開けて入ってくる、ゼンのみに注がれているからだ。
明るい茶色の髪をかっちりと後ろに整え、爽やかで頼りがいのある顔には縦に傷が走っている。部下にも慕われ、街の人間からも人気がある、ゼン・ダースは非の打ち所のない騎士団長だ。
すれ違いざま、ミルバに気づいたゼンはにこりと笑って片手を上げる。だがミルバは他人行儀に小さく頭を下げただけで、顔も合わせず歩みも止めなかった。後ろから聞こえたゼンの苦笑は、扉が閉まる重たい音に重なってかき消された。
執務室を出たミルバが一直線に向かうのは、城のすぐそばにある離れだ。そこには騎士の詰所があり、階級のない平騎士たちのたまり場であった。鍛錬や見回りといった仕事がなければ、そこで待機していることが多い。
異世界転生取締部隊の詰所も、そこの近くに設置されていた。離れもいいところという端の端で、中も狭いが、隊員が三人しかいないのだから仕方がない。
扉を開けて中に入れば、中央に机と椅子、それに壁際に棚がいくつかあるだけの簡素な部屋が広がる。中にいた青い髪の男が振り返り、髪の毛よりも更に深い色をした瞳と視線がかち合った。三人しかいない部隊だというのに、更に一人減っている。
「アークだけか? ウォレスの馬鹿はまたサボりだな」
「ええ」
アークレナは平坦な返事をして、机の上に広げていた数枚の書類を集めて整えだした。
アークレナ・フブは異世界転生取締部隊の数少ない隊員の一人だ。重たげな瞼のじっとりとした目は、いつでも眠そうに見える。だがそのぼんやりとした顔とは正反対に、よく働き頭も切れる有能な青年だ。
「探してきましょうか? どうせ街でナンパしてます」
「いや、いい。それより転生者は」
「いつもの牢屋に」
そう言いながら、アークレナはたった今纏めた書類をミルバへと差し出した。書類に書かれているのは名前と性別と国名と。見慣れた項目を埋めるのは、あの転生者から聞き出した情報だ。ただし埋まっていない欄も多く、大分歯抜けではある。まぁすぐに元の国に送り返すのだ。こんな書類、完璧でなくとも何も問題はない。
「名前はクボタ・ショウ。ただ出身国がニホンなので、ショウの方が名前かと」
ニホン、あるいはニッポン。どうして国名に表記ゆれがあるのかは謎だが、とにかくほとんどの転生者がニホンという国からだった。特徴としては黒髪黒目が多く、名前はファミリーネームが先に来る。あとはスキルだのチートだのギフトだのステータスだの、よく分からないことを言いがちだ。
「そのショウですが、どうやら記憶が曖昧のようです」
「記憶喪失か?」
ミルバは書類に視線を落としたまま聞き返す。視界の端でアークレナが首を横に振ったのが見えた。
「転生前後の記憶だけのようで」
「そいつは随分と都合のいい記憶喪失だ」
はっと皮肉気に鼻で笑い、ミルバは書類を机の上に置いた。数枚しかなく、しかも情報量も少ない書類など見終わるのもあっという間だ。
「それと、彼は何というか……」
「何というか?」
「少し、変わった男でした」
そう言葉をひねり出したアークレナは、苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。聡明で物事の言語化もしっかりできるアークレナが曖昧な言い方をするとは。牢屋に入れる時にひと悶着あったのか。
「まぁいい。神官が儀式のことを伝えに来るだろうから、お前はここにいろ」
「はい。……隊長はどこへ?」
「牢屋」
記憶喪失などとほざく転生者には、多少灸をすえてやらねばならない。ぶっきらぼうに言い捨て、今しがた入ってきたばかりの部屋をあとにした。
城でも城下町でもない方へ伸びる道を歩いていけば、巨大な建物が見えてくる。それはミルバも若かりし頃世話になった騎士の宿舎だが、今はそこに用事はない。ミルバの行き先は、その近くにある重々しい地下への扉だ。
「お、これはこれはイトリの隊長さん」
「っせえぞ、さっさと通せ」
誰が言い出したのか、異世界転生取締部隊、略してイトリ。
すっかり顔なじみとなった門番の騎士と軽口を叩き、ミルバは地下牢へと続く階段を下りていく。かつんかつんとブーツの音を地下に響かせながら、いつもの牢屋へと足を進めた。
しんと張り詰めた空気の中、囚人たちの冷たい視線が突き刺さる。そんな視線をものともせず、ミルバは目的の牢屋の前で足を止めた。
牢屋の中には、あの時捕まえた転生者が簡素なベッドに腰掛けていた。薄暗い中で、それよりも黒い頭が浮かんでいる。
「あっ!」
青年はミルバに気づくと、慌てて立ち上がり鉄格子を両手で握った。
「あんたあの時の人だよな! なぁ、ここどこ? おれなんで牢屋に入れられてんの? 百歩譲って牢屋に入んなきゃいけないとしてもさ、場所変えるのって無理? 正面のおじさんがすんごい睨んできてさぁ、もーおれ怖くて寝れないよぉ。てかベッド結構硬くない? あ、トイレってどこ?」
「うるせ……!」
出会い頭に押しつぶされそうなほど言葉の圧をかけられて、思わず脳みそから直通で言葉が出てしまった。何なんだこいつは。こんな男を、少し変わった男、だけですませるなアーク。
牢屋に入れられて気にすることがベッドの硬さ。どんな神経をしているのか。このショウ・クボタという男、肝の据わったとんでもない大物か、牢屋に入りなれている大罪人かの二択だ。
ミルバは気持ちを切り替えるように大きく息をつき、努めて冷静に口を開いた。
「ショウ・クボタ、記憶がないなどと、ふざけたことを抜かしているらしいな」
「へー、やっぱり名前が先に来るんだ」
頭が痛くなってきた。
「あ、やば、また人の話聞かないで喋っちゃった。いやぁすんません、何度も注意されたけど、中々直んなくて。で、何だっけ? ここに来た時の記憶?」
「……ああ」
耐えろ俺。今ここで何かを言えば、また話が脱線する。
「て言っても、ほんとに覚えてないんだよなぁ。昨日はサークルの友達と飲み会行って、みんな内定貰ってたからハメ外したなぁ。で、地下鉄乗って、最寄りで降りて…………気づいたらあの丘にいた、みたいな」
照れと若干の申し訳無さが混じったように苦笑すれば、その顔には幼さが滲む。こんな状況下でなければ、愛嬌のある青年だと思えていただろう。
「こっちの世界に来た目的は」
「来たくて来たんじゃないからさぁ」
「こっちへ来た方法は」
「それもさっぱり」
「一緒に来た違法転生者はいるのか」
「分かんない」
一つ質問をするたびに、ミルバの眉間のシワが深くなっていく。これ以上続けても埒が明かない。どだい覚えていないのなら、時間の無駄だ。
それに不思議と、ショウが嘘をついているようには見えなかった。彼のことを信じたくなる、力になってやりたくなる、奇妙な魅力がある男だ。
「分かった、もういい。儀式の日が決まればまた連絡する。それまでここにいろ」
ミルバが踵を返し牢屋に背を向け歩きだすと、その背中へショウの声が飛んでくる。
「え! もう行っちゃうの? そっちばっかり質問してズルくない? 待ってよぉ、えーと……ミルバさん!」
思わずミルバは足を止め、牢屋を振り返る。ショウは鉄格子に食いつかんばかりの体制のまま、へらりと笑った。
「だよ、ね?」
「よく覚えていたな」
ミルバが名乗ったのは一度だけ。それもショウを捕まえる時に、剣を喉元につきつけながら。
だがそれだけだ。やはり肝は座っているようだが、だからといってミルバがここに留まる理由にはならない。無言で歩き出したミルバへ、また数多の言葉が投げられる。
「うそじゃん!? 今のは話を聞いてくれる流れだったじゃあん! 期待持たせてフるのはよくないって! ねーえーミルバさーん。あ、じゃあそっちの騎士さん! 色々教えてよぉ!」
捕まらないミルバを諦め、ショウは看守をしている騎士へと大声で話しかけた。呼ばれた騎士は鬱陶しそうな視線をミルバへと向け、顎で牢屋を指す。
ショウの大声は無視できる。囚人たちのナイフのような視線も無視できる。だが騎士の視線は無視できなかった。ただでさえイトリの立ち位置は危うく、厄介者扱いをされることもある。これ以上、一応同僚である騎士たちからの評判を悪くはしたくなかった。
ミルバはこれみよがしに大きなため息をつく。近くにあった丸椅子を手繰り寄せ、牢屋の前に置いて腰掛けた。
「少しだけだぞ」
「やったー! ありがとうミルバさん!」
ぱあっとショウの顔に満面の笑みが咲く。可愛げのある青年だ、などと思いそうになって頭を振った。
「で、何が聞きたい。ベッドは変えられんぞ」
「ベッドもだけど……ここどこ?」
それは確かに真っ当な質問だ。
「ここはトユン国の首都コナルガルフ」
「トユン国……それって王様とかいたりするの?」
「当たり前だろ」
コナルガルフ城にはこの国の王、アラリアズ・ヤーフ・トユンがいる。ニホンには王すらいないとは、一体どうやって国が成り立っているのか。
「ファンタジー映画みたいだなぁ……。あと、さっきから言ってる、違法転生者、って何?」
そこもか、と言いそうになった言葉を飲み込んだ。彼の言葉を信じれば、自分の意志ではなくその時の記憶もなく転生したのだから、不思議に思うのも仕方がない。
「異世界転生は知っているか?」
「うん。漫画とか流行ってるよ。でもまさか、本当にあるとは思わなかったなぁ」
「こちらの世界に許可なく転生してくる者たちが、違法転生者だ」
「許可? 異世界転生って、こっちの人たちが召喚とかすんじゃないの?」
「昔はそうだったらしいがな」
国の危機を救うために、魔王と戦う力を持つ勇者や聖女を異世界から召喚する。そんな話を聞いたことはあるが、あくまで過去の話。いわゆるおとぎ話。しかもその時の召喚の余波で、今もニホンとこの世界が繋がっているという噂もある。とんだ迷惑だ。
「おれがその違法転生者で、あんたたちがそれを捕まえる、えー……なんとか部隊」
「異世界転生取締部隊」
「長いね」
「略してイトリと呼ぶ奴もいる」
「イトリ? すげーマトリみたいでかっこいい! あ、マトリってのは日本にある麻薬取締部の略で」
また話が脱線していく。ツッコむのも面倒くさくなったミルバは、相槌も打たずにぼんやりとショウを眺めた。
どんぐり眼の黒目が特徴的な顔は、ころころと表情が変わっていく。人畜無害とはこういう男のことを言うのだろうな、などと現実逃避に思う。捕まえたミルバが言うのもおかしな話だが、転生時の記憶がないのに不安にならないものか。
ショウはまた一人で暴走していることに気づいたのか、照れながら頭をかいた。
「ご、ごめん。せっかく残ってくれたのに」
「質問は終わりか?」
「……おれって、これからどうなるの?」
その声は少し固く、今までで一番緊張感があった。
この能天気そうな男でも、流石に気になるようだ。きゅっと口を一文字にしたショウが、鉄格子を握りしめてミルバをまっすぐ見つめる。ショウの顔に初めて不安のようなものが浮かんでた。
「隊長ー」
足音とミルバを呼ぶ声が地下に反響した。足音はどんどん近づき、やがて一人の男が髪の毛を揺らして現れる。
「どうしたウォレス、何かあったのか?」
ウォレス・マロシィはもう一人のイトリの隊員だ。金に近いオレンジの瞳も、後ろで束ねた鮮やかな緑色の髪も、地下の薄暗さではぼやけてしまっている。飄々とした色男でサボり癖が酷いが、剣の腕は立つ男である。
ウォレスはいつものようにへらへらとした様子で、ミルバの近くまで歩いてきた。
「神官が来てたので、伝言に」
「わざわざ?」
「はい。返転の儀式、明日朝一でやるそうっすよ」
「明日? 随分早いな」
「なので伝言に、と。最近魔物の被害が多いから、人員を多めに入れてるみたいっす。多分、魔物被害の方に力を入れてぇから」
「転生者はさっさと片付けたい」
ウォレスはこくりと頷く。そういえば総騎士団長に報告に行った時も、魔物が増えていると言っていた。
「あのー……」
二人の会話におそるおそる割って入ったのは、待ちぼうけをくらったショウだ。八の字になった眉が随分と情けない。
「おれはどういう目に合うのでございましょうか……?」
急に謎の丁寧語でどうしたのかと眉をしかめたが、すぐに思い当たる節に気づいた。転生者を片付ける、と言ったのはミルバだ。
「良かったな、ショウ・クボタ」
ミルバは喋りながら立ち上がり、丸椅子を投げるように隅へ置く。ショウと目線を合わせると、こちらの方が少し背が高かった。
「明日、ニホンへ帰れるぞ」
目を丸くすれば、どんぐり眼が更に際立つ。ショウはきょとんとした顔を晒していたが、徐々に混乱から驚きへと表情を変えていく。そして、すっ、と息を吸った音が聞こえた。
「おれ日本に帰れるのっ!?」
「うるせぇ!」
地下に大音声が響き渡る。近距離で音圧を浴びたミルバとウォレスは耳を塞いで怒鳴り返し、離れたところにいた看守の騎士すら盛大に顔をしかめた。
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