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「思い出したことがあるんですが」

 次の日もやはり雑用で、風で倒れた大木の撤去だった。だが現場についてみれば道具が足りないということになり、イトリの中でも力と体力が余ってそうな二人を取りに走らせた。ミルバとアークレナは二人が帰ってくるまで留守番だ。

「昨日、ウォレスが子どもたちと勇者の話をしていたでしょう」

「あのおとぎ話か?」

「はい。あの話は、この国に伝わる伝承や神話が元になったという話があるんです」

「伝承? そんなもん、俺は聞いたことないな」

 ミルバは塀にもたれて腕を組んだ。まだ午前中であるが、街のはずれのせいか人通りはほとんどない。

「ええ。普通はこんなこと教わりません」

 ごく普通の家庭で育ったミルバは、コナルガルフでは一般的なレベルの教育は受けている。それ以上の教育を受けるとなれば、一部の上流階級の人間だ。ミルバはそこで、ああと小さく呟いた。

「そうだったな、お前」

「ええ、没落していますが」

 ふっと薄く笑うアークレナには自虐も悲哀もなく、ただ事実を淡々と話しているだけだった。

 アークレナには捨てた名がある。名と姓の間に存在していた、貴族としての証だ。今ではそれを名乗ることもなく、ただのアークレナ・フブとして生きている。ミルバもそれを聞いたことはないし、知ったところで何もしない。

「はるか昔、女神アリアミレスは世界の危機を救うため国中のあちこちから人間を集め、そこから一人の勇者を選んで力を与えたと言われています」

「女神なんていたのか」

「はい。それで、あちこちから集めた、がいつの間にか別の世界からという意味になり、転生者が勇者という話になったそうですが……」

「が?」

「転生者が大量に来ることと、あちこちから人間を集めたこと、少し似ていませんか」

 ミルバは眉をひそめる。言葉の意味は理解できるが、大真面目に言うことではないだろう。

「大昔の神話と同じことが起こってるって? こじつけが過ぎるだろ」

「俺もそう思いますが、少し気になって」

「なら、伝説の剣も地下から掘り出さないとな」

「白銀に輝く長剣で、鍔のところに黒翡翠の宝玉がついてるそうですよ」

「はっ。そりゃあ参考になるね」

 鼻で笑ってバカにしてやれば、アークレナもくすりと笑った。自分でもこじつけすぎているとは思っていたようだ。

 ただ、アークレナにはこれだけの知識や知恵があり、頭の回転も速い。ウォレスには転生者相手には勿体ないほど、剣の腕が立つ。たまにイトリの隊長として思うことがある。

「……アーク、お前このままイトリの隊員でいいのか?」

 イトリとして働いても地位も名誉も何もない。それは隊長であるミルバが誰よりも一番分かっている。若く才能のある二人を、こんなところで燻ぶらせておくのはどうなのか、と。

「ははっ」

 至極真剣に聞いたというのに、当の本人には笑い飛ばされた。

「ミルバ隊長、俺たちはむしろ感謝してるんですよ。騎士の中で鼻つまみ者だった俺たちを拾ってくれて」

 没落貴族の一人息子アークレナと、生きるために何でもしてきたウォレス。見習い騎士時代は互いの出生を理由に苦労したと、そんな話を前に聞いた。

 アークレナは嘘偽りない好意を、ミルバの目を見ながら当たり前のように言う。それを真正面から受け止めてしまい、ミルバは大きなため息をついて、呆れましたと言わんばかりに片手で顔を覆った。

「ここにいたところで出世はできんぞ」

「出世欲はないので」

「給金だって上がらんし」

「ああ……それはちょっと隊長に頑張ってもらいたいです」

「おい」

 良い話じゃなかったのか。

 お前なぁと言い返そうとしたが、遠くから聞こえた悲鳴がそれを遮った。声のした方を見れば、中心街へと繋がる道で突き飛ばされ転んだ女性と、女性の方を見もせずに走り抜ける男がいた。さらにその後ろに見慣れた男が一人。

「ウォレス?」

 ウォレスは美しい緑の髪が振り乱れるのもいとわず、逃げる男と距離を詰め、そして飛び掛かって押し倒した。ミルバたちも思わず駆け寄ると、ウォレスは俯けに倒した男へ馬乗りになり、腕を背中で捻り上げていた。力の入らない男の手からショルダーバッグがぽとりと落ちる。

 それでもウォレスは捻り上げる手を緩めることはなく、ミルバたちが近づいても男に視線を落としたまま顔を上げなかった。

「すんません。騎士を呼んでもらえ――」

 そこでようやく視線をちらりとこちらに向け、目を丸くした。その途端鋭く光っていた瞳が和らぎ、へらりと気の抜けた笑みが浮かぶ。

「なんだアークかー。隊長もお疲れ様っす」

「いや、何してるんだお前」

「こいつが目の前でバッグを盗んだんで、あ、そうだお姉さん大丈夫ー!? ちょいアーク、変わって」

「は?」

 捻ったままの男の腕をアークに無理矢理持たせると、ウォレスはショルダーバッグを拾い上げた。乱れた髪を整えながら転んだ女性の方へと走っていく。ウォレスの背中を視線だけで追いかければ、女性のそばにはショウがしゃがみこんでいた。絡まった黒のローブの端を正し、ウォレスは女性のすぐそばへと片膝をつく。

「お姉さん、怪我はない? 安心して、バッグはオレが取り戻したから」

 ウォレスはキメ顔とやたらいい声で女性に手を差し伸べている。見るまでもなく、アークレナがじっとりとした目をウォレスに向けているのが分かった。その場に居辛くなったのか、ショウはそろりと立ち上げるとミルバたちの方へと小走りで近づいてくる。

「何やってるんだお前ら」

「いや、おれもびっくりしたんだって。それにしてもウォレスさんってスゴいんだね。バッグひったくられた瞬間に犯人を追いかけだして、あっという間に追いついちゃうし。おれはびっくりして何もできなかったや。すぐに動けたウォレスさんかっこよかったなぁ。あとなんか顔もキリッとしてた」

 三人の視線の先、ウォレスは女性と楽しそうに談笑している。そろそろ食事にでも誘うところか。ナンパ癖とサボり癖がなければ、戦闘能力の高い優秀な男なのだが。

「ウォレス! 仕事だぞ帰ってこい!」

 上機嫌な背中に鋭利な言葉の矢を飛ばしたのは、ミルバではなくアークレナだ。きっとミルバ以上に、彼のナンパ癖に辟易としているのだろう。

 ウォレスは女性と更に何言か話して、渋々こちらへと歩いてきた。走りもせずに、不満げに唇を尖らせている。

「邪魔すんなよー」

「仕事中にナンパするほうが悪い」

「はいはい。真面目ねお前は」

「で、道具はどうしたんだ?」

「……あ」

 ショウとウォレスが顔を見合わせて、間抜けな声を落とした。

「いや違うんだって。持ってきてたんだけど、犯人を追いかける時に…………その辺に放り投げました」

「……取ってこい」

 酷く冷たいアークレナの声に促され、ウォレスは走って来た道を戻っていった。

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