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 翌日も似たような雑用であったが、思いの外仕事が早く終わり、午後が丸々空き時間となった。流石に解散するわけにはいかないが、詰所でのんびりしてもいい。

「あの、実はおれ、ちょっとやりたいことがあるんですけど」

 ショウがそう言い出した時、てっきり街中で行きたいところがあるのだと思った。ちゃんと外に出たのは一昨日が初めてだし、気になる店でもあったのだろうと。

 だがショウの願いは街ではなかった。向かった先は城のそば、騎士たちが集まる鍛錬場だ。

「いいか、まず剣を相手に向けて威圧するだろ。で、相手が隙を見せたところへ、こう!」

「ウォレス。お前のは喧嘩殺法だから駄目だと、昔教官にも言われただろ。ショウ、まずは基本の立ち方からだ」

 ミルバは壁に背中を預け、腕組みをして部下たちを眺めていた。ウォレスとアークレナが、真反対のアプローチでショウに剣を教えている。勿論基礎を押さえたアークレナの教え方が正しいが、ショウの性格上、感覚派のウォレスの方が合っているかもしれない。

 剣術を教えてほしい、とショウが言い出したのは、あの時魔物に襲われたことが要因であろう。護身用として短剣は持たせているが、使えなければただの飾り。最低限の動き方ぐらいは知っていて損はない。

「魔物とは戦いたくないし、できれば仲良くなれたらいいんだけど……。でも自分の身くらいは自分で守れるようにならないとって」

 魔物と仲良く、とは謎の発想ではあるが、ショウが戦いを好まない人間だということはうっすら分かっていた。魔物が存在しない世界から来たから、そういった感情を持つこともあるのだろう。

 教官役は部下に任せることにした。人に教えることは良い経験になる。決してミルバがサボりたかったわけではない。断じて。

 しかし、そんな平穏な昼下がりは一瞬にして消え去る。ミルバの横に、男が一人現れたからだ。

「イトリの隊長殿は、転生者の反乱でも企んでいるのかな」

 第五騎士団長、ヤシヴド・シモラ。当時最年少で騎士団長に就任した実力派。短く刈り上げた髪と、太い眉が特徴的な厳つい顔がこちらを見下ろす。ミルバより年下だが、貫禄ならヤシヴドの方が間違いなく上だ。

 そんな騎士団長が真っ昼間から突っかかってくるとは、どうやらかなり暇なようだ。ミルバは視線を一度向けただけで、言葉は何も返さなかった。ヤシヴドが不服そうに鼻を鳴らしてから、さも驚きましたとわざとらしく声をあげる。ようやくそこで腕組みも解いた。

「これは失礼。独り言かと思いまして」

 ヤシヴドの太い眉に力が入る。騎士団長は誰も彼もガタイがいいが、ヤシヴドはその中でも特にだ。身長が180あるミルバですら、並べば小さく見えてしまう。そんな彼に見下されても、ミルバは欠片も怯みはしなかった。

「たかだか数時間の鍛錬で反乱も何もないでしょう」

「転生者に僅かでも力を与えるのが問題なのだ。聞けば、剣まで持たせているらしいな」

「最低限の護身用です。返転の儀式を行うからには、それまで生きていてもらわないと困りますので」

「ならば牢屋にぶち込んで四六時中見張っていろ。それが貴様らイトリの仕事だ」

「お言葉ですが、今期の牢屋の警邏は、第二騎士団と第五騎士団が担当では?」

 お互い一歩も引かない睨み合いが続く。ヤシヴドはミルバを蔑んだ目で見下ろし、言葉を吐き捨てた。

「貴様は五年前の事件を忘れたのか」

 瞬間、ミルバの頭がかっと沸騰し、血なまぐさい光景が脳裏に弾け飛ぶ。鼻をつく血臭は今でも頭を揺さぶり、地面に転がる哀れな遺体が瞼の裏に蘇る。今でも嫌というほど鮮明に思い出せる。忘れることなどできない。そんなこと許されない。

 ヤシヴドの胸倉を掴みたい衝動を抑え、ミルバは白くなるほど強く両手を握り占めた。鋭い眼光がヤシヴドを上目遣いに睨みつけるが、彼の瞳もまた氷のような冷たさを宿している。

「おや、ヤシヴド騎士団長もミルバ隊長に用事で?」

 ひりついた空気をぬうように、ある種場違いな爽やかな声が二人の耳に飛び込んできた。心地よい低音の持ち主は、その場の空気も読まずにこりと笑みを浮かべて歩いてくる。白銀の鎧ががしゃがしゃと金属音を立てた。ヤシヴドがあからさまに顔をしかめ、隠す気のない舌打ちが吐き捨てられる。

「ゼンか」

「はい。イトリが午後から予定が開いていると聞いたので、うちと手合わせを頼みたいなと思いまして。勿論、ヤシヴド騎士団長のご用事が済んでからで構いません」

「ふん、もうよい」

 ヤシヴドは最後に殊更強くミルバを睨みつけると、足早にその場を去っていった。その背中が城内に消えるまで、二人の間に言葉はなく、互いの顔を見ることもなかった。ヤシヴドが完全に見えなくなってから、ミルバはゼンへ恭しく頭を下げる。

「これはゼン騎士団長。俺に何かご用ですか?」

「やめてくれ。私は友人として君に会いに来たんだ」

 真剣な顔でまっすぐ見つめられ、ミルバはばつが悪そうにため息をついた。頭をがりがりと乱暴にかき、改めてゼンへと向き直る。皮肉も嫌味も通じない、おおらかで懐の深い友人へと。

「……助かったよ」

 ミルバのぶっきらぼうな礼に、ゼンはにこりと笑みを返す。

「ヤシヴド騎士団長は転生者嫌いだからな。話半分に聞いておけばいいさ。……と、言いたいところだが」

「ん?」

「転生者に稽古をつけるなんて、どういう風の吹き回しだい?」

 返転の儀式を行うまで自分の身は自分で守ってもらいたいから。その理由も決して嘘ではない。嘘ではないが、それだけでもない。ミルバはそう気づきつつも、それ以外の理由は自分ですらよく分かっていなった。

「いや、それ聞くのは、今はやめておこう」

 ゼンの目線がミルバから外される。その先を追えば、鍛錬をやめてこちらを見ている三人がいた。心配というよりは好奇心で見ていえるようだったから、揉め事の内容までは分かっていないだろう。そりゃあ、騎士団長が次々と現れれば気にもなるというもの。

 ミルバは何でもないと、三人を追い払うように手を振った。三人がまた稽古に戻ってから、ゼンが笑いかける。

「今晩空いているか? 飲みにいこう。話はその時に」

「……ああ」

「じゃあいつもの店に」

 そう言ってゼンはくるりと踵を返した。その背中へミルバは言葉をかける。

「手合わせはいいのか」

「甥っ子への稽古中だろ? また今度頼むよ」

 まったく相変わらずのお人好しだ。最初からショウを稽古していると知っていたくせに。

 今度優先的に都合をつけて、第三騎士団との時間を取るか。同じ団の人間以外と手合わせをしたい、という希望により、たまに第三騎士団とイトリは合同稽古をすることがあった。特に、ウォレスの子どもの頃から染みついた下町喧嘩殺法は、動きの予想がしにくく戦いがいがあるらしい。

 まぁそれすら、ゼンに気を遣われている可能性すらあるが。

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