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 返転の儀式用の部屋には、神官たち以外にも多くの人間が集まっていた。オーランド総騎士団長をはじめ、ヤシヴドやゼンといった騎士団長も手が空いている者は全員来ているようだ。決して広くはない室内に、今まで見たことがないほどの量の人が詰め込まれている。

 ミルバが転生者を二人伴って入れば、室内のすべての視線が集中した。その圧に怯え、コトネがきゅっと体を縮こめる。その背中をそっと支えたのはショウとウォレスだ。

「ショウ・クボタ、コトネ・アリカワの両名を連れてきました」

 オーランド総騎士団へ一礼すれば、アークレナとウォレスもそれに続く。

「ではコトネ・アリカワから儀式を行います」

 普段はこんなところに顔を出すことなどない神官長が、今ばかりはこの場を取り仕切っていた。神官長に指名されたコトネを魔法陣まで歩くように促す。だがコトネは緊張と恐怖から、その場で小刻みに震えて動けなくなっていた。

「有川さん。大丈夫だよ。これで日本に帰れるんだ」

「ほんとう、に?」

「うん。だから、あそこまで行ける?」

「……うん」

 ショウは囁くような声量で、優しくコトネに話しかける。いつだって騒がしい男だが、女性には優しく穏やかに応対できるようだ。ショウに説得され、コトネはゆっくりと魔法陣の中央まで歩いていく。

 普段は三人の神官が儀式を行うが、今回は五人に増えていた。正五角形の頂点にそれぞれ立った神官たちが呪文を唱え始めれば、魔法陣が淡く光り始める。徐々に神官の声は張り上げられ、光も増していく。

 前回は失敗した返転の儀式。ミルバの心臓がわずかに高鳴り始める。八年間見続けた返転の儀式でこれほど緊張するとは思わなかった。

 そして光は暴力的なほど眩しくなり、この場にいる全員が目を瞑るか顔を背けざるをえなくなる。真っ白に染まった室内でできることなど、ただ祈ることだけだ。神官の呪文が終わり、それと同時に光も徐々に弱まっていく。ちかちかする視界に何度か瞬きをしつつ、ミルバは薄目を開いて前を見た。

 おお、という誰かの感嘆が聞こえる。

 魔法陣の上には誰もいなかった。コトネ・アリカワはこの場から完全に姿を消していた。部屋の中がざわつく。成功だ。それはイトリであるミルバにとっては見慣れた景色だというのに、無意識に安堵の息をついていた。

 前回の失敗の原因は結局分からないままだが、今回成功したのなら問題はない。これでショウも同じようにニホンへ戻れる。

 そして室内の視線は必然的にショウへと集まった。

「では次に、ショウ・クボタの儀式を」

 ショウの肩がぴくりと震える。彼は静かに深呼吸をしていた。返転の儀式に緊張しているのか、それともこの人の圧に緊張しているのか。どちらなのかミルバには分からない。

「ショウ」

 ミルバは彼の名前を呼び、とんっ、と背中を軽く叩いた。

「元気でな」

 自然と穏やかな笑みが浮かぶ。ミルバを見上げるショウの瞳が、きらりと輝いた。続けざまにウォレスとアークレナも、ショウの肩や腕を優しく叩いていく。

 ショウは三人をぐるりと見回し、唇を緩ませ、くしゃりと破顔し、そして想像通りの大声を出す。

「はい! みなさんもお元気で!」

 三人に送り出され、ショウは魔法陣の真ん中へと歩いていく。一人の神官が静かにショウへと近づき、ぼそりと呪文を唱えた。瞳は瞬き一つで黒く染まり、髪の毛はまるで上からインクを洗い落とすかのように、赤から真っ黒へ戻っていく。

 魔法陣の真ん中へショウが立つ。つい先程の儀式と全く同じことが始まる。呪文と光が部屋に満ち、ミルバは目を閉じた。

 ああ、返転の儀式がこんなに急じゃなければ、もう一回ぐらい美味い店に連れて行ってやったのに。そんなことをつい思ってしまう。俺らしくないな、と小さく鼻で笑っても、呪文にかき消されて誰にも聞こえなかったであろう。

 瞼越しの光が弱まっていく。ミルバはゆっくりと目を開けた。

「え?」

 そう驚いたのは誰だろうか。

 ミルバの瞳が驚愕に見開く。室内の誰もが、その光景に驚き言葉を失っていた。

「え、おれ、何で……?」

 そこには、儀式をする前とまったく同じ光景が広がっていた。魔法陣の真ん中に立つショウは戸惑い、徐々に顔が青ざめていく。自分の体を見て触り、本当にここに存在しているのか確かめている。そして頭はきょろきょろと不安げに室内を見回す。まるで迷子になった子どもだ。

 さ迷っていた黒い瞳とミルバのスカイブルーの瞳がかち合う。どうしよう、と助けを求める視線にミルバは一歩踏み出したが、二人の間に白銀の鎧が割り込んだ。騎士の右手にはぎらりと光る長剣。なぜこんなところで剣を抜いている、と考える前に答えが目の前に現れる。騎士はショウへ向けて剣を大きく振りかぶっていた。

「待っ……!」

 ミルバの手が伸びるが、到底騎士の背中には届かない。しかしそれよりも遥かに早く飛び出した者がいた。

 振り下ろされた剣からガギンッという金属同士の重い音が鳴る。美しい緑の髪が、ショウと騎士の間で揺れていた。ウォレスは両手で剣を持ち、頭上から振り下ろされた剣を必死に押さえている。普段のへらへらとした表情が鳴りを潜め、ぎらつく瞳はまるで獣だった。

 騎士の後ろ姿からではどこの誰か分からないが、どこの団かは分かった。一人の騎士団長が部屋の中央へと歩みを進めたからだ。

「どういうおつもりですか、ヤシヴド騎士団長」

 どさりとショウが尻餅をつけば、緊迫した場に似合わないどこか間の抜けた音がした。

 ヤシヴドが手を下げるような動作をし、ウォレスと対峙していた騎士が剣を下げる。ウォレスもそれに合わせて腕を下ろしたが、両者ともに鞘には戻していなかった。

「殺すつもりはない。あくまで拘束しようとしただけだ」

 いきなり剣で斬り掛かっておいて、殺すつもりはないだと。ヤシヴドの言葉は到底信じられるものではない。

「ヤシヴド騎士団長」

 重厚な声はオーランド総騎士団長だ。ミルバもヤシヴドもオーランドの方を向き、ぴしりと体を整えた。斬りかかった騎士とウォレスは剣を鞘へと戻す。

「説明を」

 あわや流血沙汰だったというのに、オーランドは泰然たる態度を保っている。あの騎士に本気で殺意があれば、オーランド直属の騎士たちが動いていた。ならばヤシヴドも本気ではなかったということだが、おそらく腕の一本は落としていただろう。

 ヤシヴドはさらに前に出て、ショウのすぐ近くへ立つ。反対に剣を振った騎士は後ろへと下がった。

「私はこの違法転生者ショウ・クボタを、我がコナルガルフに災いを招く厄災だと考えています」

 雷のように重たく鋭い声でヤシヴドは喋り続ける。まるで演説でもするように声高で、自分が先駆者だと言わんばかりの立ち振る舞いだ。

「このショウ・クボタは儀式に失敗しています。それも二度。コトネ・アリカワは何の問題もなく成功したというのに。これは明らかに異質だ」

 事実を改めて叩きつけられる。一回目の失敗は神官たちのせいにできたが、今回は違う。コトネは成功してショウが失敗したということは、原因は儀式ではなくショウにあるということの証明だ。

「それに、魔物が増えだしたのは五年前、そして違法転生者が増えだしたのも五年前です。これをただの偶然と片付けても良いのでしょうか」

 ヤシヴドがショウを見下ろして睨みつける。ショウはびくりと体を震わし、視線を逸らした。

「転生者が魔物を呼び寄せている。その二つには因果関係があると考えるのが自然です」

 逸らしたショウの黒い瞳とかち合う。狼狽と恐怖に染まった顔が、ミルバに助けを求めていた。次の瞬間、ミルバは弾かれたように声を上げる。

「お待ちください」

 頭の中でもう一人の自分が、お前は何をしているのかと嘲笑している。ああ気持ちはわかるさ。情けない話だが、ミルバの心臓は早鐘を打っていたし、張り上げた声だって揺れている。それでも声を上げずにはいられなかった。魔法陣の真ん中で、ショウが一人で震えているから。

「……転生者と魔物に因果関係があるとおっしゃるなら」

 ミルバはこれから荒唐無稽な仮説を叫ぼうとしている。

「こうは考えられませんか」

 口にするのも馬鹿馬鹿しい単語で、夢見がちなガキのような話だ。

 ごくりと唾を飲み込む。せめて声が掠れないように、ヤシヴドには遠く及ばなくても少しでも力強く、説得力が少しでも増すように。

「ショウは魔物と戦うために転生した、勇者だと」

 ヤシヴドは勿論、オーランドやゼンすら固まった。それでもミルバは真剣な表情を崩さなかった。ミルバとて到底本気で信じているわけではないが、押し通さなければならない。

 ざわ、と室内に動揺が広がっていく。それは徐々に驚きと嗤いの形を成していく。ミルバだって、そちら側にいれば嘲笑っていた。

 こちらを睨むヤシヴドの瞳に射殺されそうになる。それでも、震える手を誤魔化すように強く握りしめて前を向く。後戻りする気などさらさらなかった。

「……本気でそんな馬鹿を言うつもりか、ミルバ隊長」

「はい」

 本気なわけがあるか。だがこれしか思いつかなかった。子どもの頃しか信じていないような、それ故に誰もが知っているおとぎ話。ろくな証拠もなしに、転生者と魔物に因果関係があると言い出したのは向こうだ。ならばミルバのおとぎ話も受け入れてもらわなければ。

 ヤシヴドとて馬鹿ではない。ミルバが本気でそんなおとぎ話を信じているわけではないと分かっている。詭弁で煙に巻こうとしていることなど気づいている。蔑む瞳は雄弁に語っていた。あの転生者に絆されたか、と。

 ああ、そうだ、絆されたのだと思う。でもあいつは見てくれた。今の、騎士ではない、イトリの隊長としての俺を。

 地位や名誉が手に入るわけではない。給金が多いわけでもなく、誰かに感謝をされるわけでもない。誰に認められもしない。そもそもやりたくてしている仕事ではない。それでも八年続けてきた仕事で、ミルバさんが隊長で良かったと言ってくれたのだ。

 ショウには恩がある。恩人を助けたいと思って何が悪い。

「おとぎ話ではなく、伝承や神話だとすれば多少は信じて頂けますか?」

 ミルバの脳裏に浮かぶのは、数日前にアークレナから聞いた他愛もない話。まさかこんなところで役に立つとは、夢にも思わなかった。

「女神アリアミレスが勇者候補を大量に集めたという話は、今の転生者が大量に来る状況と、少し似通っています」

 聞いたときはこじつけもいいところだと笑ったが、今はこの詭弁に縋るのが唯一の道だ。この理論に反応を示したのは、ヤシヴドではなくオーランドだった。やはり貴族であるオーランドはこの神話を知っているらしい。そしてもう一人、意外な人物が反応した。

「……アリ、ア、ミレス……?」

 尻餅をついたまま茫然と固まっていたショウが、か細い声で女神の名前を呟いた。

「アリアミレス」

 もう一度、今度はさっきよりもしっかりと音にして。その直後、ショウの顔が痛みに歪み両手で頭を抱えた。聞いたこともない低い呻き声をあげ、床にうずくまる。

「ショウ!?」

 ミルバはショウの名前を呼んでそばへと駆け寄った。ずっとショウの近くで警戒していたウォレスも、すぐにしゃがみこんで寄り添う。だがミルバの声もウォレスの手も届かずに、ショウは一人苦しみ続けている。一体何があったというのか。

 ショウは目を見開き、歯を食いしばり、指が白くなるほど頭を強く抱え、そしてその場に倒れこんだ。同時に呻き声は消え、少し乱れた呼吸が小さく聞こえてくる。

「ショウ!」

 揺すってみても返事はない。瞳は固く閉じられており、気を失っているのが見て取れた。

 突然の出来事に誰もが戸惑う中、平静を乱さなかったのはやはりオーランドだった。治癒魔法が使える神官を呼び、ショウの容態を確認させる。幸い、外的にも内的にも傷を負っていないようで、ただ気絶しただけのようだ。オーランドは重たい鎧の音をさせながら、ショウへ近づいた。

「ショウ・クボタの処遇については今下せるものではない」

「……」

「彼を通常の地下牢ではなく、地下深くの特別牢の方へ」

 ミルバもヤシヴドも黙って指示を受け入れた。オーランド総騎士団長に口答えなどできず、尚且つその指示は至極真っ当であったからだ。当の本人が理由もなく倒れてしまったのでは、これ以上できることなどない。ショウを担ごうとして、ヤシヴドの第五騎士団とイトリが睨みあう。

「イトリの連中に任せれば、途中で逃がす可能性がある」

「恐れながら、先ほど突然斬りかかった第五騎士団に任せられるほど能天気ではありません」

「なら、うちが受け持とう」

 二人がばちりと火花を散らす中、間を取り持ったのはゼンだった。

「我が第三騎士団が責任をもってショウ・クボタを牢屋まで護送する。それなら二人とも文句はないだろう?」

 ゼンは誠実さに満ちた瞳で、ミルバとヤシヴドを交互に見る。ミルバとしてはゼンならば何も文句はなく、ヤシヴドも無言で頷いた。二人の返事を受け止めてから、ゼンは自分の騎士団の騎士数人へと指示を出す。騎士たちに丁重に抱えられ、ショウは部屋から出ていった。

 ひとまずこの場は収まったが、ショウの処遇はいずれ下されるだろう。それもヤシヴドの望む方へ転がる可能性は高い。五年前の事件もあり、この世界では転生者を嫌うものが多い。勇者だという馬鹿げた説などその場のインパクトだけで、ずっと主張できるようなものではないのだ。

 険しい顔のミルバの下へ、ウォレスとアークレナが静かに近寄った。思考はまだ散々としていたが、まずは部下をねぎらいたい。

「ウォレス、流石だな」

「どーも」

「アーク、お前の知識のおかげだ」

「まさかあの話をするとは思いませんでしたよ」

 ウォレスとアークレナはまだ少し緊張していたが、それでもミルバに比べれば穏やかなものだった。そんな二人に、ミルバのささくれだった気持ちも落ち着いていく。

「なぜ返転の儀式が失敗したんでしょう」

「さぁな……」

「また牢屋生活します?」

「生活はしてないだろ」

 こんな時でも変わらないウォレスの軽口はありがたい。ミルバとアークレナだけでは重たく考え過ぎてしまう。

 ここにずっといても何にもならないと、他の騎士たちは部屋を出ていこうとしている。ヤシヴドはまだ部屋の中にいたが、ゼンはもういなかった。

「大変です!」

 その時、騎士の一人が部屋へ駆け込んできた。息も絶え絶えで、顔には酷く焦りが浮かんでいる。だが騎士は息を整える暇すら惜しいとばかりに、無理矢理息を吸い込んで叫んだ。

「魔物が街に侵入しましたっ!」

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