第6話 イトリ

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 勇者ショウ・クボタが旅立った日から半年が経っていた。ショウが勇者として名乗りを上げた日から違法転生者は来ていない。それでもミルバは変わらずイトリの隊長で、ウォレスとアークレナも隊員として所属していた。いや正しくは、新生イトリ、であるが。

 イトリの詰所も同じ場所に鎮座している。簡素な四角い机と四つの椅子も変わらず、ミルバは定位置に座って人を待っていた。ウォレスとアークレナは街に見回りに行っており、部屋の中にはミルバしかいない。

 外からバタバタと足音が近づいてくる。やっと来たか、とため息混じりにミルバは立ち上がった。そして扉が勢いよく開く。

「ミルバさんごめん! 遅くなりました! ちゃんと余裕を持って部屋を出たんだけど、途中で忘れ物に気づいちゃって。こんな時にスマホがあれば楽に連絡がとれるのになぁ……。あ、スマホっていうのは日本にある、相手と連絡がとれる機械で。ねぇミルバさん、魔法で遠くの人と連絡とれたりしないの?」

「うるせぇ」

 だいぶ慣れたとはいえ、朝からショウの言葉の洪水を聞くのは堪える。えへへ、と笑うショウは半年前と何も変わっていない。

 ショウが帰ってきたのは一ヶ月前。彼の帰還に誰もが驚いた。その理由は突然だったからではない。ドラゴンの背中に乗って飛んできたからだ。

「で、何を忘れたんだよお前は」

「これ」

 そう言ってショウが持ち上げたのは、鞘に収まった長剣だ。鍔にはめ込まれた黒翡翠が変わらぬ輝きをはなっている。ショウがあの日、特別牢で見つけたという伝説の剣。

 あまりにも軽く言い放ったショウに、ミルバは片眉をしかめる。

「忘れるな、そんな大事なモンを」

「でも必要ないくらい平和なほうがよくない?」

「そういう話をしてんじゃないんだよ」

 国宝級の剣をのんきに家に置いてくるなと言っているのだ。だがショウの様子は馬耳東風、欠片も響いてはいなかった。

 ため息一つ、ミルバはいつもの黒いローブを羽織って詰所を出る。ショウと向かう先は街。新生イトリは、街の見回りも大事な仕事の一つとなっていた。





 ショウは確かにこの世界を平和にしたが、それは魔物を倒し魔王を殺したからではない。彼は魔王と和平を取り付けたのだ。互いにこれ以上の無益な殺し合いをやめよう、と。

 ミルバはあとから知ったのだが、ドラゴンで飛んできた時に魔王も一緒にきていたらしい。それも側近の一人もつけずに、だ。敵側の長が人間側の勇者と一緒に来たとなれば、王たちも多少は耳を貸さねばなるまい。魔王と勇者が人間の王を説得するという、些かおかしな光景を経て、人間と魔物の間にひとまずの和平は成立した。

 しかし、民衆が簡単に納得できるわけはない。

 ミルバは街を歩きながら辺りを見回す。あの襲撃で壊れた建物はかなり復旧したが、死んだ者は帰ってこない。

「あ! あんたらイトリだね!」

 女性に話しかけられ、ミルバとショウは足を止める。不愉快そうな顔をした女性は、茂みを指差して早口でまくし立てた。

「あっちにいるの、どうにかしてくれないかい? まだ子どもみたいだけど怖くて仕方がないよ」

 周りには、茂みを遠巻きで見つめる人たちが何人もいた。ミルバたちに気が付くと、訝しげな視線を向けつつ僅かに距離を取っていく。そんな態度にも慣れたもので、ミルバたちは人をかき分けて茂みの奥へと進んでいった。茂みが低い位置でガサガサと揺れ、そこから鱗のようなものが見え隠れしている。

「誰だい?」

 ショウの声に反応し、茂みからぴょこんと顔を出したのは幼い子どもだった。ただし人間ではない。緑の鱗に覆われた、魔物であるリザードマンの子ども。爬虫類によく似た瞳が、おどおどとこちらの様子を伺っていた。

「一人? 迷子?」

「城に来てるキャラバンの子か?」

「あーそっか。ねぇきみ、お城に戻ろうよ」

 身を低くしながら、ショウがリザードマンの子どもの下へ歩いていく。だが見知らぬ人間に怯えたのか、子どもはさらに茂みの奥へと入っていってしまった。

「あ! ミルバさん、おれちょっと追いかけてくるね!」

 あとを追って小走りで駆けていくショウの背中を見送り、ミルバは花壇の縁へと腰掛けた。茂みに群がっていた人々もいつの間にかいなくなっていた。代わりに鎧の音をさせて、一人の男がミルバの横に腰掛ける。

「やあ、ミルバ。新生イトリの調子はどうだい?」

 ゼンはにこりと人好きのする笑みを浮かべ、ミルバへ問いかけた。ミルバもふっと鼻で笑う。

「良くはねぇよ」

 半年前に比べれば、悪くもないが。

 魔物との和平が結ばれてから、イトリはその役割を増やすこととなった。その名は異種族間友好取持部隊。人間と魔物の間に立って、二種族間の潤滑油となる仕事だ。とはいっても実際は結局雑用で、今日のような迷子の捜索や、来賓魔物の道案内も初めてではない。

 ショウと魔王が望んだ和平は、互いに領土をかっちりと分けて一切の干渉をしない、というものではなかった。その逆で、積極的な交流を持ち、互いの友好を深めたいという。無論口で言うほど簡単ではないことぐらい、ショウにも分かっていた。その辺りは魔王とも話し合っていたようで、いくつかの規約を考えていたらしい。

 互いの国を行き来するには、国が認めた許可書を携帯しておくこと。相手の国の言語が喋れるようになっておくこと。最初のうちは国の重役や商人といった者だけで、一般人が自由に行き来するのはもっと国が落ち着いてから。そして、何もないように自分たちが頑張る、と。そう、ショウは『たち』と言ったのだ。『たち』に含まれているミルバに何の許可もなく。

「そのわりには楽しそうな顔をしているよ。少なくとも半年前よりは」

「そりゃあ、給金は上がったからな」

 くだらない冗談を返して二人で小さく笑う。ゼンの左腕もミルバの右肩も、今はすっかり傷も治っていた。傷跡は多少残っているが、後遺症の類は全くない。ゼンは穏やかに笑いながら、瞳は少しばかり真剣な色を灯している。

「魔物と交流の多いイトリの隊長さんに聞きたいんだが」

「何だよ」

「半年前の襲撃は一部の過激派の独断、厳重に処罰をした。魔王の言葉はどこまで真実だと思う?」

「……さぁな」

 あの襲撃について魔王がそう言ったことは知っているが、ミルバは魔王と直接会ったことはない。会ったとしても、一介の人間でしかないミルバ如きが魔王の真意を測るなど不可能だ。半年前の襲撃の真相など知らない。ショウと魔王の間にどういったやり取りがあったのかも知らない。

 ミルバにとって、魔王を信用できる要素は何もない。

「だが、今はショウを信じてみようかと思う」

 魔王は信用していないが、ショウは信用している。命の恩人である勇者が望むことだ。少しくらい付き合ってやるのもいい。

 ショウのために、と柔らかな笑みを浮かべて話していることに、ミルバ自身は気づいていない。気づいているのは隣にいるゼンだけだ。ゼンは大きく体を伸ばすと、あーあとわざとらしく声を出した。

「そんなにイトリが大事だと、君をうちに誘えないじゃないか」

 いつぞやの酒場とは随分違う、冗談めかした言い方だった。

「ああ、悪いな」

 からりと笑って、ミルバも軽口を返した。ただ、とミルバは深刻そうに言葉を続ける。

「ただ?」

「俺が隊長なのはおかしい」

 ミルバにとっては真剣な悩みだった。だがゼンはあっはっはっと朗らかに笑う。じろりと見てもどこ吹く風だ。

「多数決で決まったんだろう?」

「そうだが……」

 ミルバに三票入ってしまったせいでまた隊長だ。誰がどう考えたって、ミルバではなくショウが隊長になるべきだろう。それがなぜか、ウォレスとアークレナもミルバに手を上げていた。ウォレスはともかく、アークレナはもっと合理的な判断ができる男だと思っていたのに。

「まぁ頑張れよ、ミルバ隊長。また飲みに行こう」

 黒のローブ越しに肩を軽く叩き、ゼンは城の方へと歩いて行った。

 ミルバはなりたくてイトリの隊長になったわけではない。それは八年前から変わらない事実だ。しかし、今までよりも少しだけ、イトリの隊長という肩書きが嫌ではなくなっていた。あんなに嫌で、騎士に戻りたいと願っていたのに。人間変わるものだ。いや、この場合は変えられたというべきか。

 あの十日足らずの日々で、ミルバはショウに感化された。彼の底抜けの明るさとまっすぐな言動が、ミルバに及ぼした影響だ。

「ミルバさん、おまたせ」

 がさがさと音を立て、茂みの中からショウが戻ってきた。頭や肩に葉っぱが付いたまま、リザードマンの子どもと手を繋いでいる。ミルバは口を開きながら立ち上がった。

「キャラバンの子だったか?」

「うん。お父さんの仕事についてきたんだって」

 言葉が通じたということは、ちゃんと翻訳魔法をかけてあるということ。正式な手続きを踏んだうえで入国したに違いなさそうだ。不法入国をしてくるような魔物は、言葉も通じないことが多い。

「……おじさんたち、だれ? にんげん?」

 リザードマンの子どもは、不安そうな目でショウとミルバを交互に見上げている。ちらりとミルバを見たショウの顔には、ミルバさんに質問だよ、と書いてあった。おじさんがどちらを指しているのか分かるが、不愉快である。

「俺たちは、異世界転生取締及び異種族間友好取持部隊だ」

 もう転生者は来ていないのだから、正直そっちは消してもいいような気がするが。ミルバが長ったらしい部隊名を言っても、子どもは言葉の羅列を理解できていなさそうだ。ショウは子どもと手を繋いだまま、正面にしゃがみこむ。

「略して、イトリって呼んでね」

「イトリ?」

「そう」

 ショウはにこりと笑うと、リザードマンの子どもを抱き上げた。ずっと心許なさそうな表情をしていた子どもだったが、少しだけ穏やかになる。幸い、泣きも暴れもしていないから、このまま城に戻ればいい。

 子どもはショウの腰で揺れる剣に興味を持ったようで、体を捩ってそれに手を伸ばしている。

「危ないよ」

 そう言うが、鞘の中の剣は錆びており、多少危険ではあるが触っても斬れることはない。繊細な細工の施された美しい鞘は新しく作ってもらったものだが、中身はあの時牢屋で拾ったままだ。研ぐべきだと誰に言われても、ショウは首を縦に振らなかった。

「ショウ」

 ずっとショウに聞きたかったことがある。いや、聞かなければならなかったことがある。ミルバがまっすぐ視線を向ければ、太陽がショウの輪郭を縁取った。

「お前、ニホンに帰らなくてよかったのか」

 あの時返転の儀式が失敗したのは、勇者として為すべきことを為していなかったから。だが世界は平和になり、勇者の役目は終わった。おとぎ話の勇者と聖女も、魔王を倒した後は元の世界へ帰ったというのが定番だ。きっと、ショウも望めばニホンに帰れるはず。

「……うーん」

「帰ってもいいんだぞ。両親や友人にだって会いたいだろ」

 いつぞやに丘で大泣きしたことを思い出して、ショウは少し照れて笑う。そして彼はその緩やかな笑みのまま話し出す。

「でも、魔物と和平を結ぼうって言いだしたのはおれだから。ここで日本に帰るのはちょっと違うかなって。もうちょっと世界が平和になるまでは、こっちで頑張るよ」

「そうか」

「うん。おれ、頑張るからさ、ミルバさんも手を貸してくれる?」

 初めて牢屋を脱走したショウを見つけた時、ミルバはあの黒い瞳にいやに惹きつけられたことを覚えている。今にして思えば、アレはきっと女神の加護に魅せられていたのだろう。この勇者の味方になってもらうために、好意的な感情を持つように。今はあの時感じた押し付けがましさは一切感じない。

「……仕方ないな」

「ありがとう!」

 ぱぁっと笑顔の花が咲く。まったくもってガキのような反応だ。

 新生イトリとしての仕事は未知であるが、頷いてしまったからにはやるしかない。まずはこのリザードマンの子どもを親の元まで連れて行く。初めのうちは、そんな穏やかな仕事でいい。

 そう思ったのに。

「ミルバ隊長ー!」

 ミルバの名前を呼びながら走ってくるのは、ウォレスとアークレナだ。先に街の見回りをしていたはずだが、何かあったのだろうか。よくよく見れば、アークレナは黒のローブを着ていなかった。詰所を出た時は確かに着ていたというのに。

「隊長ヤバいです」

 いつになく真剣な顔のウォレスが、ミルバの視線を誘導するように自分の後ろを見た。そこには軽装のアークレナの横にもう一人、黒のローブを頭から被った人が立っている。

 嫌な予感がした。八年間何度も味わってきた、イトリ隊長としての嫌な予感だ。

「おい、まさか」

 こくりと頷いたアークレナが、もう一人に被せたローブをちらりとめくる。そこには予想通り、黒い髪と黒い瞳の少年が涙目でこちらを見ていた。

「なん……!」

 叫びかけた大声を何とか飲み込む。

 世界は平和になった。勇者候補の転生者が来る必要などもうない。だがミルバの眼前には間違いなくニホン出身らしき転生者がいた。ミルバは声を上げる代わりに、盛大に顔をしかめて頭をがりがりとかく。そんなミルバの横で、ショウがどこか納得したように、あーとか細い声を出す。

「女神さま、わりと雑っていうか、おっちょこちょいな感じあったから……」

「……つまり?」

「これからも転生者、来るかも?」

 ショウは苦笑し、ウォレスはあららとのんきに呟いて、アークレナはため息をつき、ミルバは固まった。これから増える厄介事と、想像に容易いヤシヴドの小言と、自分たちの手間とを考え、そして一つの結論にたどり着く。

 ああ、やっぱり、イトリの隊長なんてやるもんじゃない。

 前には違法転生者、後ろにはリザードマンの子ども。イトリは間違いなく、異世界転生取締及び異種族間友好取持部隊だった。

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ミルバ・カザロイドは隊長である 紅石 @co_seki

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