15 消えたマナの行方

「うぅっ……」


 ダミアーノに意識が戻り、おもむろに顔を上げた。

 だんだんと視界が開けてくる。頭が殴られたみたいにガンガンと重かった。身体中もきしむように痛い。


「っ……!?」


 眼前には愛しくない婚約者と――レオナルド・ジノーヴァー皇太子!


「あら、お目覚めですの」


 キアラの冷えた声が彼の頭上で響く。

 彼女は既に泣き止んだものの、激しい嗚咽の影響は残って目を赤く腫れさせていた。その変化は婚約者に無関心のダミアーノでもすぐに分かった。


「キアラ、どうしたんだその顔は。――まさか、皇太子殿下となにかあったのか……!?」


「いいえ。殿下は関係ありませんわ」と、キアラは首を横に振る。


「……街を視察していたらここから異様なマナを感知してな。もしや魔獣でも出没したのかと思って飛んで来たのだ」と、レオナルドは厳しい視線を公爵令息に投げた。


「私もいきなり爆発が起こって、とても驚きましたわ。何故このようなことが起きたのか理由も分かりませんし、ダミアーノ様は倒れているし……。突然のことで混乱していしまって、泣いてしまいましたの」


 彼女は今度は弱々しい令嬢の演技を始めた。か細い肩を震わせる姿は、とても魔女には見えない。


「本当に、ダミアーノ様のことが心配で……」


 キアラはポロリと再び涙を流す。さっきと違って今は感情のこもっていない涙――嘘泣きだ。


 彼女は魔女の力に目覚めたことは他人に知られてはならないと思った。それは現代の帝国で禁止されているのもあるが、なによりこの力は復讐に使えるからだ。

 だから特に、ダミアーノとマルティーナには絶対に知られたらならないと考えたのだ。


「そうか……。それは済まなかったな。怖かっただろう」


 ダミアーノもキアラを心配する素振りを見せる。そして状況を理解できないような困惑した顔をして、おろおろと周囲を見回した。


 魔力のない婚約者と二人きりならまだしも、ここに皇太子がいるのは不味いと彼は思った。

 あの方からいただいた力は、決して外部に漏らしてはならない。それが敵対している皇太子ならなおさらだ。


 だからここはキアラに合わせて、自分も知らぬ存ぜぬで通す。

 幸いにも自分は少しのあいだ気絶をしてしまった。ここは未知のマナに当てられた可哀想な婚約者同士ということにしておこうか。


「オレも不意のことで驚いたよ。一体なにが起こったんだろうか……やはり、殿下のおっしゃるように、魔獣が関与しているのでしょうか」


(はっ)


 レオナルドは心の中で毒付く。何が魔獣だ。よくもまぁ厚かましく嘘がつけるな。実際に自分は魔女のマナを感知している。偽物と――本物を。


「……妙なマナは花々から発せられたようだが、これらは貴公が持ち込んだと伯爵令嬢から聞いたが?」


 レオナルドは周囲を見回した。部屋中を埋め尽くすほどの美しい花たちは今では無惨に茶色く枯れ果てて、爆発の影響で散り散りになっていた。

 灰燼のようなそれからは、もう偽りのマナの力は感じ取れない。おそらくキアラの持つ本物のマナによって、魔力自体が消滅してしまったのだろう。


 理由は分からないが、自身の持ち込んだ魔女のマナがすっかり消え去っているのをダミアーノも感じて、彼はそれを利用することに決めた。


 勝利を確信した彼は軽く口角を上げながら頷いて、


「たしかに私が花を持ち込みました。本日は我が婚約者の記念すべきブティックの開店日ですから。盛大に祝いたくて従者に珍しい花も仕入れさせたので、ひょっとすると魔獣がマナでマーキングしていたのかもしれませんね」


「なるほど」


 レオナルドはしばし考え込む素振りを見せる。公爵令息がこのまま言い逃れをするのは想定内だった。


 しかし実際に人工的なマナの気配は消え去っているから、証拠がない。そんな状況下で皇后の手下である彼を責めるのは己が不利になるだろうと思った。

 無駄な争いを起こすよりは、もっと泳がせてから確実に証拠を押さえたい。


 キアラは二人の会話を黙って見つめていた。魔力のないはずの自分は、マナの気配でさえ感じることができない……ことになっている。

 ここで余計な口出しをして、目覚めた魔力が二人に露見してしまうことを避けたかった。


「その可能性が一番だな。稀少な花は自然から採取したのだろう。その際に魔獣がマーキングをしていて、魔力のない人物は気付かずに持ち帰ったのだろうな」


 レオナルドは自らダミアーノに調子を合わせてやる。ここは公爵令息の茶番に付き合うことにしようか。


「二人とも災難だったな。命が無事でなによりだ。――リグリーア伯爵令嬢、怖い思いをしただろう? 君さえ良ければ、近くに待機させている私の騎士たちにここの後始末をさせたいのだが……どうだろうか?」


「そんな。皇太子殿下の騎士様に雑用をさせるなんて恐れ多いことですわ」


 レオナルドはふっと笑って、


「首都は平和そのもので、彼らの身体はなまっているんだ。喜んで掃除をやるよ。それに万が一、魔獣のマーキングが生きていたら危ない」


「……それでしたら、お言葉に甘えてお願いいたします」


 キアラは笑顔で答えるが、少し警戒もしていた。


 ここには魔獣の気配なんて端っから存在しないし、ダミアーノが放っていた怪しいマナも自分が完全に消し去った。

 だから彼には何か別の意図があるのだと思った。はたまた本当にただの高潔な精神か。


 いずれにせよ、ダミアーノと二人きりで過ごすより、皇太子と一緒にいたほうが安全だ。高貴な方の顔を潰すような無礼を働きたくないし、断る理由はない。


「ヴィッツィオ公爵令息。君は怪我をしているな。頭を打っているようだし、今日はもう帰りなさい」


 レオナルドはキアラの代弁をするように、ダミアーノに声を掛けた。彼女も婚約者の帰宅を願っていたので、渡りに船で皇太子に続く。


「そうですわ、ダミアーノ様。早く治療をしたほうが良いと思います」


 ダミアーノは婚約者としてキアラを心配するような素振りを見せてから、


「皇太子殿下にそう言われたら辞去するしかありませんね。私としても、魔獣という未知のマナにやられて身体が重いので、こちらで失礼させていただきます。キアラも心配ありがとう」


 皇太子の気遣いは、彼にとっても好都合だった。このままここにいたら、いつ襤褸ぼろが出るか分からない。あの方に不利益になるようなことは、決して行ってはならないのだ。


「私は魔力がないのでダミアーノ様のお辛さが分かりませんが、とても疲弊しているように見えますので、どうかお大事に」


 キアラはさっさとダミアーノを追い出そうと、使用人のように扉を開ける。彼は皇太子に恭しく一礼をして、踵を返した。



 静かに扉が閉まる。

 キアラとレオナルドが取り残される。


「さて……」


 二人きりになった途端に、レオナルドは少しだけ姿勢を崩した。彼なりに緊張していたらしい。


「これで邪魔者はいなくなった。腹を割って話そうじゃないか、リグリーア伯爵令嬢」


 にわかにキアラに嫌な予感が走った。

 もしかしたら、自分は選択を間違えたのかもしれない。一刻も早くダミアーノに出て行って欲しくて、皇太子について深く考えなかったのかもしれない。


 そんな彼女の悪い予感は、見事に的中をした。


「その……魔女のマナについて説明してもらおうか」

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