もう、あなたを愛したくありません〜ループを越えた物質主義の令嬢は形のない愛を求める〜

あまぞらりゅう

1 もう愛さないって決めたのに

 キアラ・リグリーア伯爵令嬢のの処刑が始まろうとしていた。


 処刑なんて別に初めての経験じゃないし、今さら断頭台なんてもう慣れっこなはずなのに。

 それでも観衆の罵声や憎悪の目、そして頭上の錆びついた刃物の恐ろしさはどうしても拭いきれなかった。


 ぬるりとした脂汗で、全身がガクガクと震える。

 拷問によってボロボロになった身体を力いっぱい動かして、貴賓席を見上げた。


「ダミアーノ様……」


 そこには彼女のの婚約者だったダミアーノ・ヴィッツィオ公爵令息。その隣には彼の婚約者であるマルティーナ・ミア子爵令嬢が、勝ち誇ったように笑みを浮かべてこちらを見下げていた。


 彼らは処刑場ではなくまるでピクニックにでも来ているみたいに、肩を寄せ合ってくすくすと笑い合っている。二人の愛情の滲んだ視線が交差するたびに、キアラの胸は締め付けられるように苦しかった。


 自然と涙が溢れ出す。悲しくて悔しくて情けなくて、心がどうにかなりそうだった。


「なぜ、またあなたを愛してしまったの……」


 処刑人の声が聞こえる。

 すると歓声が大波のように彼女を襲ってきた。


 刃が、落ちる。


 ――ぼとり。


 彼女の小さな頭が転がった。


「もう……愛さないって決めたのに…………」


 だけど、涙はまだ止まらない。


 キアラはダミアーノを憎んでいた。

 キアラはダミアーノを愛していた。







 キアラとダミアーノは、よくある政略結婚だった。


 初めて二人が出会ったのは10歳のとき。父が決めて問答無用に婚約した相手のはずなのに、彼女は彼に一目惚れをした。


 タンザナイトみたいな青みがかった銀髪に、スカイブルーの澄んだ瞳。どちらかと言えば可愛らしい顔立ちは、寒色系の容姿と相まって中性的な美しさを持っていた。


 対してキアラは、映えない黒髪に赤みがかったブラウンの瞳。お世辞にも彼に釣り合う容姿だと思わなかった彼女は、せめて中身は頑張ろうと努力した。


 その結果、17歳になった今では、ダミアーノから公爵見習いの仕事の手伝いを頼まれるくらいには成長できた。見た目の華やかさの差は、結局埋められなかったけれど。


 それでもキアラは満足していた。自分が大好きな婚約者の役に立っているという事実は、彼女にとって誇りだった。だって二人はもうじき夫婦になるのだし、時間をかけて固い絆も築かれていったのだから。


 しかしダミアーノはキアラを愛していなかった。もちろん、絆なんて薄っぺらいものも持っていない。


 彼には心から愛する令嬢が別にいた。


 マルティーナ・ミア子爵令嬢。

 鈴のように揺れるゆる巻きのストロベリーブロンドに引き込まれるような碧色の大きな丸い瞳は、華やかなダミアーノの隣にはぴったりの令嬢だった。

 背丈の高いキアラとは正反対の華奢な身体も、庇護欲をそそられた。



 キアラが二人の関係に気付いたのは、最悪にも地下牢で自身の処刑の決定を告げられた日だった。


 その頃の彼女はダミアーノのためには何でもやって、汚い仕事にも手を染めていて、それが世間に知られて更に覚えのない罪も着せられて。わけもわからずに、寒くて薄暗い地下牢に放り込まれたのだ。


「ダミアーノ様!」


 愛する婚約者の顔を認めた途端、全身から喜びが溢れ出す。あぁ、やっと愛しの王子様が私を救いに来てくれたのだと。


 だが彼の後ろからちょこんと現れた令嬢を目にした途端、彼女の表情はみるみる曇った。


「うわぁ〜! 本当に乞食みたい。汚ぁ〜い! 惨めなこと!」


 キアラは一瞬マルティーナが何を言っているのか分からなくて、目をぱちくりさせる。

 しかし次のダミアーノの言葉で、世界が暗転したようなとてつもない衝撃を受けた。


「だからティーナには刺激が強すぎるって言ったんだよ。これから処分されるなんて目に入れる価値もない」


 初めて聞く冷たい声音と初めて見る冷たい瞳に、キアラの心臓は凍り付いた。

 思考が、追いつかない。


「っ……っ…………」


 あまりのショックに言葉も出ない。

 ただパクパクと唇を動かして、目の前の二人を見つめるだけだった。


「あっ、そうだ〜! 自己紹介がまだだった!」マルティーナが可愛らしくポンと手を叩く。「もう知ってると思うけど、わたしはマルティーナ・ミア。ダミアンの婚約者で〜っす! 来年にはマルティーナ・ヴィッツィオになるの」


「えっ……」


 やっと掠れた声が出た。


 マルティーナは笑顔で続けて、


「正式な婚約者になれたのはついこの間だけどぉ〜、わたしたち、ずっと前から愛し合っていたの〜」


 見せ付けるようにダミアーノに抱きついて、頬に軽くキスをした。


「どういう……こと……?」


 キアラは懇願するようにダミアーノを見る。

 全身から血の気が引いて、寒くて寒くて仕方がなかった。


 嘘であって欲しかった。君を助けに来たよって抱きしめて欲しかった。


「あぁ」彼の氷のような瞳がかつての婚約者を捉えた。「どういうことって、そういうことだよ。ティーナはオレの婚約者だ」


「そんなっ……! 聞いていないわ!」


「言ってないからな。これから消えるゴミに言う必要あるか?」


 キアラの心にひびが入る。


「も〜! ダミアンったら! おバカちゃんにも分かるように、ちゃんと一から説明しなくちゃダメ!」


「はぁ〜〜っ。面倒くせぇ……」


「じゃあ、わたしが代わりに教えてあげる! あのね、ダミアンとわたしはずっと前から愛し合っていたの。でもね、あなたが二人の幸せの邪魔をしていたの。だから……ん〜〜、単刀直入に言うと――」


 マルティーナのお人形のような顔がぐいと檻に近付いた。


「キアラ・リグリーア伯爵令嬢はぁ〜、ずっとわたしたちに騙されていたのでしたぁ〜!」


 パチパチパチ……と、あどけない拍手が地下に響く。


「……」


 心の亀裂はますます深くなっていく。


「そういうことだ。お前はもう用済みってわけ。オレの代わりに汚れ仕事をご苦労さん。おかげで邪魔な皇太子は消えたし、オレの公爵としての将来も安泰だ」


 心は、ついに、砕けた。


「うふふふふ。ダミアンからこれっぽっちも愛されてもないのに、一生懸命頑張っちゃって可哀想な子。あなた人殺しにまで手を染めたんだってね? 本当、最っ低っっ……」


「もう行こうぜ。こんなゴミ女、顔も見たくない。さっさと死ね」


 それが、キアラがダミアーノと言葉を交わした最後だった。

 心が完全に壊れてしまった彼女には、もうなんの感情も残っていなかった。


 それからまもなくしてキアラは処刑された。


 すっかり心は死に絶えて、肉体なんてもうどうでも良かったけど。







 しかしキアラは目覚めてしまった。

 壊れた記憶を持ったまま、過去に回帰していたのだ。


 全てを知ってしまった彼女に、再び感情という炎が灯る。


「ダミアーノ……マルティーナ……絶対に許さない…………」


 キアラの中に深く刻まれた感情は「怒りと憎悪」――それだけだった。


「絶対に復讐してやるわ……。二人まとめて地獄に落としてやる……!」




 だが、彼女の復讐は失敗に終わってしまう。



 何故なら、キアラは再びダミアーノを愛してしまったのだ。

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