11 それぞれの後悔

※不快な描写あり※



 ダミアーノに命令されて、キアラが人を殺めたのは一度目の人生からだった。


 最初は毒殺から。

 数時間で体内から排出されて証拠も消える毒を、密かに飲ませる仕事だった。


「そんな恐ろしいことできない」と、何度もダミアーノに懇願した。


 でも彼の甘い言葉に唆されて、愛しくて愛しくて彼のためなら何でもやれるって思って。彼女は意を決して紅茶に毒を混ぜた。


 標的である侯爵夫人の死亡が確認されたときは、身体中の血が沸騰したみたいに熱くなった。胸が苦しくて心臓が爆ぜそうだった。

 それから急激に寒気が襲ってきてガタガタと全身が震えはじめて、芯から肉体が凍ってしまいそうだった。自分の精神がどこかへ消えていきそうで恐ろしかった。


 ダミアーノはそんな錯乱したキアラを優しく抱きしめて、賞賛の言葉とキスの雨を降らせてくれて……その夜、初めて二人は結ばれた。


 とろけるくらいに幸福だった。あんなに気持ち良いことは生まれて初めてだった。

 自分はこんなに幸せになっていいのかしらと不思議に思ったくらいだ。


 あぁ、ダミアーノ様のために人を殺して……。


 その後は感覚が麻痺したように、平気で凄惨なことを行うようになった。

 もう、人が死んでもどうでもいい。だってダミアーノ様が褒めてくれるんだもの。気持ちいいこともいっぱいしてくれるんだもの。


 そのために、一人や二人犠牲になっても……私は構わない。


 キアラの恍惚とした歪んだ感情は、回帰するたびに激しい後悔に変化して襲いかかった。


(人を殺すなんて、私は、なんてことを……)


 他人の生存権を奪う――そのような非道で恐ろしい行為を平然とやってのけていた自分に、とてつもない嫌悪感とやるせない気持ちを抱き、何度も猛省した。


(私って最低だ…………)


 後悔は悪夢となって、頻繁に彼女を襲った。ごめんなさいごめんなさいと延々と叫び続けながら目覚める夜もあった。


 もう、あんなことは絶対にしない。人の道を外れることは。決して。

 回帰するたびに、彼女は心に誓う。


 でも、またダミアーノのことを愛してしまって、また暗い闇の道へと自ら進んでいくのだった。


 ――人として、外れた道へは絶対に進むなよ。


 レオナルドの呪いのような言葉が、打ち付けるようにキアラの頭の中に響く。彼の闇を切り裂くみたいなまっすぐに光り輝く双眸が、今でも彼女を捉えたままだった。


(そんなこと……分かってるわよ!)


 分かっている。余計なお世話だ。

 すっかり汚れている自分のことが、一番嫌いなのに。


(私だって、普通の道を歩みたい。令嬢として、普通に幸せになりたかっただけなのに……)


 誰から見られても問題のない、堂々とした明るい道。

 それは彼女が憧れている眩し過ぎる未来だった。







「なんで俺は彼女にあんなことを言ったんだ……」


 ぽつねんと一人取り残されたレオナルドは、まだ後悔に苛まれていた。

 なんて最低なことを口にしたのだろうか。表面上は、ほとんど面識のない令嬢なのに。


 彼はどんな些細な会話でも、常に頭の中で思考しながら喋るように心掛けていた。

 皇族――しかも皇太子の発言は重みが違う。一言一言に責任が伴うのだ。


 同時に、憎き皇太子の揚げ足をとってやろうという勢力から、常に見られている。だから浅はか言葉を投げることは絶対に許されなかった。


(彼女は社交界で吹聴するような性格ではないと思うが……。怒っているだろうな…………)


 はぁ、と深くため息をついた。

 胸がチクリとして、なんだか苦しい気がする。


 レオナルドには赤い瞳の他にも気になることがあった。キアラが小麦を買い占めようとしていたことだ。


 貴族のお嬢様がなぜあのようなものに投資する気になったのだろうか。平穏そのものの現在において、わざわざ大量に購入する理由が見当たらないのだ。


 皇后派閥だって、たまたま穀物組合との繋がりがあったから確保できたのであって、東部の洪水を予測できたわけではない。単に運が良かっただけだ。


 これから起こるはずの洪水は、回帰を繰り返している自分だけが知っている。



(まさか……キアラ・リグリーアも回帰しているのか……?)


 彼ははっとなって、急激に背筋が凍る。

 そう考えると全ての辻褄が合った。小麦の投資はもちろん、彼女の行動。あれは婚約者から逃れようとしているのではないだろうか。


 凱旋パーティーではヴィッツィオ公爵令息を避けようとしている素振りだった。少なくとも、現段階では好意を寄せているようには見えなかった。


(彼女も未来を変えようとしている……?)


 それは、あの赤い瞳と関係あるのだろうか。

 考えれば考えるほど不可解なことだらけで、頭が痛くなった。


 まずは確証を掴むところから始めようと思った。

 彼女はどこまで知っているのか。過去の行動は己の意思なのか、あるいは本意なのか。

 魔法は本当に使えないのか。過去も赤い瞳になったことがあるのか。それは先天的なものなのか、後天的なものなのか。


 そして……これからどうしたいのか。


 彼女の返答次第では、過去のことは水に流しても良いと考えた。この終わらない世界から一緒に抜け出せるように。

 もし彼女が婚約者や皇后派閥と決別したいのなら、手を結んでも構わない。


(いや……)


 レオナルドは苦笑する。そんなゴタゴタした理屈ではない。

 キアラの本当の気持ちを知りたいと思っただけなのだ。


 ただ彼女のことをもっと知りたかった。







「はぁ……」


 二人だけの秘め事が終わってベッドで愛の囁きを交わしていると、突然ダミアーノがため息をついた。


「……今日は、荒れているのね」と、マルティーナは苦笑する。


「あぁ……」


 彼は一拍黙り込んでから、


「上手くいっていない」


 不機嫌そうに答えた。


「リグリーア伯爵令嬢のこと?」


「それ以外あるか」


「もうっ」マルティーナはくすりと笑う。「本当にあの子のことが嫌いなのね」


「当然だろ? 初対面の時からオレはあの女が大嫌いなんだよ」


 陰気臭い女。

 それが、ダミアーノのが最初に受けたキアラの印象だった。


 烏のような黒い髪に地味な赤茶色の瞳。両親の陰に隠れておどおどしていて、挨拶もろくにできない詰まらない令嬢。

 おまけに顔もさえないし。スタイルは良いが、女にしては背が高すぎると思った。


 彼の好みはマルティーナみたいな可愛らしい女の子。

 華やかで、華奢で、愛嬌がある――そんな守ってあげたいと思うような可憐な令嬢だった。


「また言ってる」と、マルティーナはふふっと可憐に笑う。「早く婚約破棄ができるといいね」


「あぁ。そのためにも、あの方からいただいたをあの女に使ってみているんだが……」


「上手くいってない、ってことなのね?」


 ダミアーノは頷いた。


「数人の使用人に試してみたら確実に効果があったのだが、あの女だけには効かないようだ」


 マルティーナは「うーん」と少し首を傾げてから、


「……だったら、いっぱい使ってみたら?」


「どういうことだ?」


「家庭教師からマナ中毒のことを習ったの。今、若者のあいだで問題になってるって」


 魔力耐性のない人間が大量のマナを短時間に一気に浴びると、中毒症状を起こす。それは精神がどこかへ飛んでしまうように快楽を伴い、一部で流行していたのだ。


「そうか……!」ダミアーノの顔がパッと明るくなる。「あの女をマナ中毒にして、判断力が弱まった時に仕掛ければいいのか」


「そうよ! もし中毒から戻らなかったら、それを理由に婚約破棄できるし〜」


「そうだな。マナ中毒でトリップして、男たちと遊んでいた女に仕立て上げればいいものな」


 ダミアーノの胸に希望の光が灯った。今の状態で使えないのなら、無理矢理にでも使えるようにすればいい。この作戦だと、どう転んでも自分には有利に働くだろう。


 あの女が大罪で処刑されようと、中毒で廃人になろうと、自分にはどうでもいい。


 関係ない。

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