20 謁見

 七回目の人生では、キアラは初めてのことばかりで驚きの連続だった。

 特にダミアーノとの婚約解消とレオナルドとの婚約は、彼女にとって嵐のように大きな変化だった。


 これで、やっと一歩前へ進める。


 婚約解消の手続きはレオナルドが彼女の前へ立ってくれて、無事に完了した。

 おかげでダミアーノとは顔を合わせずに済んで心からほっとした。

 プライドの高い彼のことだから、きっと激高して問いつめて、暴言を吐いて、極限まで攻撃して来るだろう。


 そして、力を得た今の自身は、おそらく反撃する。その時に誤って魔女のマナを発動してしまうかもしれない。

 仮にそうなったら、瞬く間に皇太子側が不利になる。

 新しい婚約者には、迷惑を掛けたくないと思っていた。


「キアラ嬢、今日はとても綺麗だ」


 ……この、キラキラした顔で甘い言葉を掛けてくる婚約者には。



「そ……そうですか。それは恐れ入りますわ……」と、キアラは顔を引きつりながら答える。


「髪の色と瞳の色を変えると言われた時は少々残念な気持ちだったが、その焦げ茶色の髪も赤茶色の瞳も美しいな」とレオナルド。


「あ、ありがとうございます……」


 キアラはみるみる顔を赤くする。エスコートされている手袋越しの手の平まで熱くなって、レオナルドに伝わってしまうんじゃないかとヒヤヒヤした。


 二人は今、皇帝に拝謁するために謁見の間へと向かっていた。婚約の報告のためだ。

 期間限定の仮の婚約と言っても、世間には正式な婚約で貫き通している。なので実の父親である皇帝に挨拶をするのは当然の義務だった。

 もっとも、皇太子の婚約を皇帝を通さずに勝手に決めた時点で、義務もへったくれもないのだが。


 レオナルドはアルヴィーノ侯爵の助言をもとに、今日のための特別なドレスをキアラに贈った。

 これもアルヴィーノ侯爵の助言をもとに、自身の瞳の色であるエメラルドグリーンのドレスだ。

 さらにアルヴィーノ侯爵の助言をもとに、自然な婚約者同士に見せるために、キアラのことをうんと褒めた。


「良いですか、殿下? 婚約者のことは思いっ切り褒めてください。愛する女性のことは褒めて褒めて褒めまくる。これが、紳士の心得というものです」


「分かった。だが、褒めるとは……どのように……?」


「それは思っていることを素直に口にするだけで良いのです! ――殿下は、リグリーア伯爵令嬢の見目をどう思いますか?」


「美しいと思うが」


「はい! それをそのまま口にするだけで良いのです! これからは令嬢に対して思ったことをどんどん言いましょう」


 ――と、いう具合だ。


 侯爵は主から「皇后を倒すという目的を達成するための期間限定の仮の婚約」だと聞いているが、それだけで終わらせたくなかった。まだ付き合いは浅いが、キアラは皇太子妃に相応しい令嬢だと感じたのだ。


「そのドレスもとても良く似合っている」


「ありがとうございます。殿下の見立てが素晴らしいのですわ」


「いや、君だからこそ着こなせるのだ」


「っ……!?」


 キアラは皇太子の直接的過ぎる言葉に参っていた。


(ほだされては駄目よ、キアラ! 私たちはお金で結ばれた関係なんだから!)


 必死で己に言い聞かせるが、惚れ惚れするほどに美しい殿方の甘い言葉は、凄まじい破壊力を持っていた。


 さっきからずっとこんな調子だった。レオナルドが褒めて、キアラが赤面して、後ろを歩くアルヴィーノ侯爵とジュリアがニヤニヤしながら二人の様子を楽しむ。


 ……なんというか、とても平和だった。







 謁見の間を前にして、キアラはふと足を止めた。皇帝相手に時間の遅延は絶対に許されないのに、どうしても足が進まない。


「やはり君も気付いたか」と、レオナルドが小声で言う。


 キアラは合わせるように小さく頷いて、


「えぇ……。このマナの気配は……」


「あぁ。魔女のマナだ」


 皇帝を守る特別に重厚な扉なはずのに、禍々しいマナは煙のように中からゆらゆらと溢れ出ている。魚が腐ったような生臭さに、思わず顔を顰めた。


 ふと気になって振り返ると、侯爵もジュリアも足を止めた二人を不思議そうに見つめていただけだった。


「あれは私以外に誰も気付いていない。あんなに気味の悪いものなのにな」


 どうやら、高度なマナを宿す人間にしか感じないらしい。


「これは……ブティックの時と同じく、人工的に作られたものですわね」


「おそらくな。――君のマナのほうは皇后に気付かれないと思うが……これを」


 レオナルドはポケットからキラリと輝く物を出して、


「マナを抑える魔道具の指輪だ。この日に間に合って良かったよ。今後、公の場に出る際は必ず身につけるように」


 キアラの左手をゆっくりと持ち上げた。

 そして、ダイヤモンドのように七色に光る魔石の指輪を、彼女の左薬指にそっとはめた。

 後ろからジュリアのきゃっと言う悲鳴が上がって、アルヴィーノ侯爵も短く口笛を吹いた。


「っ……! あ、ありがとうございます……」


 だがそんな冷やかしはキアラの耳には届かず、ただ羞恥心で顔を真っ赤にさせる。


 思えば過去の六回の人生で、ダミアーノからはこのようなロマンチックなことをされたことは、一度たりともなかった。なので、殿方に免疫のないキアラには刺激が強かった。


(なにを恥ずかしがっているのよ……。ただの仮の婚約なのに……)


 レオナルドとは互いの利害のみで結びついている軽薄な関係だ。それに、この指輪は魔女のマナが周囲に露呈しないための魔道具だ。特別な意味はない。

 ……と、彼女はまたもや自身に強く言い聞かせる。


 一方、少し鈍感なレオナルドは、


「似合うな」


 満足そうにふっと微笑んだ。


 この指輪は魔道具ではあるが、キアラの美しさに相応しいデザインを考えて作らせたものだ。

 彼女の黒い髪と赤い瞳に合わせたものだったが、今の姿でも十分に似合う。


 褒めても褒めても、彼女の美しさに己の気持ちは追い付かないくらいだった。




「殿下、そろそろ」


 アルヴィーノ侯爵の呼びかけで、和んでいた空気が一瞬で引き締まる。

 扉の向こうには皇帝アントーニオと――レオナルドの宿敵である皇后ヴィットリーア。


 キアラも自然と背筋が伸びた。


「さぁ、行こうか」


 レオナルドはキアラの手を取る。

 キアラは彼に手を預ける。


 そして、おもむろに扉が開く。


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