19 皇太子の婚約と嵌められた公爵令息

 キアラ・リグリーア伯爵令嬢とダミアーノ・ヴィッツィオ公爵令息の婚約解消は、意外にもすんなりと進んで行った。


 ヴィッツィオ家は、皇太子が提示した破格過ぎる手切れ金に溢れるほどに歓喜して即快諾。皇太子側が用意をした婚約解消についての誓約書も笑顔でサインをした。


 一方、リグリーア伯爵家も、キアラの想定外に両親は大喜びで迎えた。勘当を覚悟していた彼女は拍子抜けだった。


 公爵家よりも遥かに高貴な家柄――娘が皇太子妃になるという破壊力は凄まじいものがあった。彼らは驚愕し、恐れおののき、興奮して、天まで舞い上がった。


 加えてレオナルドは「支度金」と称して、伯爵家にも金貨2000枚を用意した。

 だが実のところは、婚姻に関する諸々の費用は皇太子側が全て負担をするので、これは騒ぎを起こした謝罪と口止め料のようなものだった。


 これも効果抜群だった。今では伯爵と夫人は、娘を立派な皇太子妃にすべく情熱を燃やしている。

 ちなみにこのことを後になって知ったキアラは、レオナルドへの返済にこれも含めると言って聞かなかった。



 内々に話を進めて、それから更に半月後。

 ついに皇太子と伯爵令嬢の婚約の成立が発表される。


 キアラとレオナルドの復讐の第一歩である――仮の婚約が。







 ダミアーノ・ヴィッツィオは、これまでにない酷い屈辱感を味わっていた。彼の記憶には残っていはいないが、それは過去六回で一番の辱めだった。


「あのクソビッチが……!」


 全身から溢れ出る怒りは収まらず、手元の分厚い本を花瓶に投げ付ける。

 しかしいくら物を壊しても、彼の心は嵐の海のように荒れ狂ったままだった。


 キアラ・リグリーア……あの汚らわしい女は二股をかけていた。

 しかも、あろうことか公爵令息と皇太子に!


(あんな地味で冴えなくて馬鹿で身分も低い女に、このオレが騙され続けていたとは……!)


 それは彼にとっての、初めてのでもあった。

 自分は元婚約者と皇太子に、まんまと嵌められたのだ――と。


 皇后から下賜された魅了魔法の魔道具は、婚約者には効かなかった。

 きっと皇太子が邪魔をしていたからに違いない。あの二人は結託して自分を陥れていたのだ。

 ずっと。ずっと。ずっと。


 今度は戸棚のガラスがガシャリと割れた。度重なる破壊に、ヴィッツィオ家の使用人たちはもう見て見ぬ振りだ。


「くそっ……! いつからだ……!?」


 少なくとも、キアラのブティック開店の日には二人は通じていたに違いない。あの爆発も、全て皇太子がやったことだろう。


 ……その前は、凱旋パーティー?


 あの夜は確実にキアラに魅了魔法がかかったと思って、安心して一度外へ出て、戻った時には彼女は部屋にいなかった。

 そして衝撃音のようなものが聞こえて現場に行ってみると、キアラと……なぜか皇太子が一緒にいた。なので、魅了魔法を解いたのも皇太子なのだろう。


(あの時点で既に二人は不貞を行っていた……? だが、いつ出会ったんだ?)


 皇太子は皇后の陰謀でずっと北部へ追いやられていた。

 当初の計画はそこでを遂げるはずだったのに、図々しくも皇太子は戻ってきた。「英雄」というふざけた称号を勝ち取って。


 そんな戦いに明け暮れる人間と、首都で能天気に過ごす貴族令嬢に、いつ接点があったのだろうか。

 いずれにせよ、


皇太子あいつのせいで、あの方からの信頼はぼろぼろだ……」


 すぐにでも何とかしなければならないと焦った。

 自分はそう遠くない未来に、第二皇子が皇位を継承した際に宰相になる身だ。その輝かしい栄誉を確実に手に入れるためにも、何とかしなければ……。


 キアラは地味で愚鈍で見ているだけで苛つくような女だったが、伯爵令嬢という身分、そして家門の財力は駒として丁度良かった。

 あの女を利用して、皇太子を廃して第二皇子を継承者に据える予定だった。


 だが、今はもうあれは皇太子のもの……。

 計画の変更は急を要した。


(マルティーナ……)


 愛しい恋人の顔が思い浮かぶ。自分の恋人は婚約者と違って、可愛くて華やかで頭も良くて自分に相応しい令嬢だ。

 キアラを処分する頃に彼女に立派な功績を作ってやって、両親から婚約を認めて貰う計画だった。

 その計画も、キアラあの女のせいで台無しだ。


 あの方の信頼を取り戻し、将来の宰相候補として返り咲くこと。

 愛するマルティーナと結婚をすること。


 ――それが、ダミアーノの最優先すべき課題だった。


 皇后陛下への一番の貢献は、皇太子を廃することだ。それはあの方の悲願だからだ。

 一気に信頼をマイナスからプラスに取り戻して、もう一度チャンスをいただくには、皇太子を陥れるしかない。



 しばらくダミアーノは考え続け、ある結論に辿り着く。


「そうだ……! オレは、被害者だ。不貞の汚らわしい二人に嵌められたのだ……!」 


 この手は使えると直感的に思った。

 皇太子の評判を落とす最良の手――いや、事実だ。


 キアラと皇太子は不貞を働き、皇太子は権力を使って下位身分の公爵令息から婚約者を奪った。これは、皇族としてあるまじき卑劣な行為である!


 同派閥の貴族たちを動員させて噂を流し……議会まで持って行く。そこで自分はを語って皇太子を糾弾。

 そして、最終的には廃太子だ。


「ふっ……ふふふ……」


 素晴らしい計画だと思った。

 いや、これは裁きだ。婚約者がいながら平然と不貞を働くキアラ、そそのかした皇太子。二人に与える天罰なのだ。


 ダミアーノはやっと破壊する手を止めた。

 そしてメラメラと瞳を赤黒く燃やす。


(キアラ……皇太子……絶対に復讐してやる…………!)

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