3 因縁の出会い
「おはようございます、お嬢様。朝のお支度を――」
「結構よ。今日は……いいえ、これからは支度は全て自分でやるから。あなたたちは他の仕事をやりなさい」
キアラは寝室に入ってきたメイドたちを冷たくあしらう。
昨日までは優しくて……むしろ少しおどおどしていて扱いやすかった主人の豹変した態度に、メイドたちは面食らった。
彼女たちは少しの間その場で固まっていたが、キアラにぎろりと一睨みされて慌てて部屋を出て行く。そしてコソコソとお嬢様の噂話にいそしむのだった。
「はぁ……」
扉越しに聞こえてくる使用人たちの囁き声にうんざりしながら、キアラは一人で身支度をはじめる。
プロのメイドのように凝った髪型はできないけど、清潔感を保てればそれでいい。ぬめぬめした汚い地下牢にいた頃に比べたら、櫛を通せるだけずっとマシだ。
六回のループをくぐり抜けて七回目の人生が始まった彼女には、他人を信じるという気持ちはもう残っていなかった。
侍女も、メイドも、料理人も、庭師も……そして家族も、何度も自分を裏切った。暗殺されかけたことだってある。
そんな薄情な他人の群れを誰が信じられるの?
彼らは今回もまたダミアーノから買収されて、自分のことを――…………、
「そうだわっ……お金よっ!」
ガタリと音を立てて、椅子から乱暴に立ち上がる。全身に電撃が走ったみたいにビリビリと痺れて、たちまち身体の芯から熱くなった。
胸の鼓動が、どんどん速くなる。
やっと明るい未来が見えてきそうな気がした。
過去の人生では、買収で他人を動かすことができた。
ダミアーノの工作で逆に陥れられたことばかりだったが、キアラ自身も賄賂で他人を動かすこと多かったのだ。……もっとも、全てダミアーノの命令の遂行のためだが。
そして人間は金で動く。動かせるのだ。
身分の低い者は生きるために、貴族たちはさらなる贅沢のために。
まれにどんなに金を積んでもどうにもできない高潔な人間もいるが、大体は賄賂で解決できた。
――きっと、婚約破棄も!
キアラはヴィッツィオ家が贅沢を好むことを知っていた。
家門の品位を守るためなどという馬鹿馬鹿しい理由で散財を重ねて、潤沢なお金はあっても全然足りない。
だからこそ、広大な領地と事業の成功で財の多いリグリーア伯爵家の娘と婚約したのだ。
もう無様な繰り返しはごめんだった。
今回も復讐をしようと決断しても、どうせまたダミアーノを愛してしまって破滅へ向かって一直線になるに決まっている。
そうなる前に、ここから逃げ出したかった。
そのためには、今すぐにでもダミアーノと婚約破棄。
でも持参金目当てのヴィッツィオ家も、名誉が欲しいリグリーア家も簡単に許してくれるはずがない。
そこで、買収なのだ。家門が払う予定の持参金と同じ――いや、倍以上の金額を払うのなら、おそらくヴィッツィオ家は納得してくれるはず。
かなりの確率で両親は激怒して勘当されると思うが、どうせ一人で生きるつもりだから構わない。むしろ、自由になれてラッキーだ。
幸いにも、キアラには過去の記憶があった。
六回分の膨大な記憶。ダミアーノの公爵見習いの仕事を手伝っていた彼女は政治や経済も令嬢にしては通じていて、事業をはじめる知識は十分だった。
そう……自分には未来が分かる。これから何が流行するのか、大きな事件、貴族の派閥間の陰謀……。
まるで神様になったみたいに全てを知っていた。
この知識を武器に、やれるはず。
(お父様は婚約破棄の手切れ金なんてくれるはずがないので、自分で稼ぐしかないわ……!
最初は、貯めていた毎月のお小遣いで首都に小さな商会から始めましょう。
もし文句を言われたら、これまでのお小遣いを10倍にして返却してやればいい!)
そうと決まったら早速行動あるのみ。
キアラは急いで支度をして街へ向かった。馬車に揺られながら、今後の計画を立てる。
まずは極力ダミアーノに会わない。
彼に対して強い憎しみを抱いている今の気持ちを維持するために。
そして自らの手でお金を稼ぐ。
できれば半年以内に婚約破棄の手切れ金の倍を稼ぐ。これは早ければ早いほどいい。
だから事業が軌道に乗ったら、投資家に声をかけて融資を募ろう。それにはリグリーア家もヴィッツィオ家にも関係のない人物がいいだろう。
(そうね……皇太子なんてどうかしら? 皇族なら私財も多いだろうし、ヴィッツィオ家が属していた派閥の敵だったしね)
皇太子レオナルド・ジノーヴァーは今は亡き第一皇妃の子で、皇帝の長子だった。
皇后の息子は第二皇子で、皇位を虎視眈々と狙っている。
勢力は皇后派閥が帝国最大だが、実績は第二皇子よりも皇太子のほうが圧倒的で、皇帝からの信頼も手伝って現状では皇太子派閥が有利だった。
(……ま、それも皇后の陰謀でひっくり返るんだけどね)
まずは自分のできるところから始めようと思った。今日は商会の拠点を探しに行こう。
感情など持ち合わせていない硬貨だったら、絶対に自分を裏切らない。
◇
物件探しで街を散策の途中、ふとキアラの目にある店の看板が入ってきた。
(魔道具屋……?)
何の変哲もない看板なのに、なぜか彼女は釘付けになる。
魔法の使えない彼女には関係のない店だったが、どことなく惹かれるものがあってフラフラと光に集まる蝶のように誘い込まれていった。
カランと音を立てて扉を開ける。店の中は夕暮れみたいに薄暗くて乾燥した埃っぽい空間で、不安定な空気に思わず顔をしかめた。
それでも誘惑には勝てずに、店に並べられてある商品を眺める。造形は美しいと感じたが、何に使うのかよく分からなかった。
(魔法か……)
ふっと軽くため息をつく。魔法は貴族ならば使える者が多いけど、キアラの中には少しも魔法を行使できるマナが宿っていなかった。
(たしか一人に一つの属性の魔法が使えて、他属性の魔法は魔道具でマナを変換させて発動できるんだっけ……?)
自分にも魔法が使えたらダミアーノを倒せるのにな……と、彼女はちょっと羨んだ。
「きゃっ」
その時、キアラはなにかにぶつかった。顔を上げると、眼前には軍服を着た人物が立っている。
(薄暗くて見えなかったわ……)
キアラは慌てて頭を下げて、
「申し訳ございませんでした。私の不注意です」
「いや……。俺のほうこそ悪かった。怪我はないか?」
目の前の人物と、目が合った。
刹那、キアラはドキリと心臓が跳ね上がる。
(あれは……皇太子殿下……!?)
そこには北部で戦っているはずの皇太子レオナルド・ジノーヴァーが立っていたのだ。
遠くからではあるが過去に何度も見かけた懐かしい顔をみとめるなり、彼女の中にみるみる同情心が生まれてくる。
(いつも皇后に嵌められて処刑される可哀想な人……!)
彼女の知る皇太子は、皇后とその派閥の計略によっていつも処刑で最期を迎える哀れな姿だった。自分自身も毎回ダミアーノに嵌められて処刑されていたので、どことなく親近感を覚える。
(あなたも毎回苦労しているわね……。今回こそは互いに幸せになれるといいわね)
そんな風に他人行儀に慰めるキアラだった。
レオナルドのほうは違っていた。夢にまで見た憎き伯爵令嬢の顔をみとめた瞬間にカッと全身が熱くなって、血が沸騰しそうになる。
(何故ここにキアラ・リグリーアがいる……!?)
彼の記憶が正しければ、伯爵令嬢はまだ表舞台に立っていない。それに魔力のない彼女がこの店に来るなんて……。
(婚約者の使いか? 皇后派閥はこの時点でもう動いていたのだな……)
そんな皇太子の異様な空気を彼女は嗅ぎ取って、心配そうに声をかけた。
「私は問題ありません。あの……あなたのほうこそお怪我はありませんか? 大丈夫でしょうか?」
緊張感を孕んだ嫌な沈黙。
レオナルドは返事をしない。
キアラがどうしようかと首を傾げていると――、
「っ……!?」
にわかに皇太子が剣を抜いた。
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