5 凱旋パーティー

 二週間後、北部で見事に勝利を飾った皇太子レオナルド・ジノーヴァーの凱旋パレード、そして記念式典が執り行われた。


 厳かな行事の後は、貴族たちが集まる華やかなパーティーが宮廷で盛大に開かれた。

 招待客リストには、もちろんリグリーア伯爵令嬢も入っている。



「……よしっ! 完了です、キアラ様!」


「ありがとう、ジュリア。最高の出来だわ」


「へっへ〜! 私は報酬分はキッチリ働く主義ですから!」


「そうだったわね。分かりやすくて、こちらとしてもやりやすいわ」と、キアラはくすりと笑って銀貨を一枚ジュリアに握らせる。


「まいど〜!」


 キアラの新たな侍女の名前はジュリア・ソルディー。

 身分は平民だが、大陸中に支店がある大商会の末娘で、そこら辺の下級貴族よりも影響力を持つ家門だった。


 代々事業を営む根っからの商売人であるソルディー家の人間の行動基準はだった。彼らにとって一枚の金貨は聖書よりも重いのだ。


 当然ジュリアもそんな価値観を持っていて、金銭で縛った契約には忠実だった。

 その上「伯爵令嬢の侍女」という立場は、家門の信頼度も上がって商売上有利に働くのではないかという打算もあった。


 二人の間には「お金」という目に見える絆がある。


 これまで事業を起こしたことのなかったキアラは、ジュリアに助言を求めながら王都に開く自分の商会の準備を進めていた。


「それにしても」ジュリアは困ったように眉根を下げる。「ドレスはその色でよろしかったのですか? 今夜は婚約者様とご一緒なのに」


 今日のキアラはワイン色の上品なドレスだった。そこには婚約者の瞳の色も髪の色の要素など、全く入っていない。


「……今日は皇太子殿下が主役の戦のお祝いだから、少しかしこまったほうがいいわ。ダミアーノ様は目立つから」と、冗談ぽく言い訳を並べる。


「そうなんですね。ん〜、貴族のルールは面倒くさそうですねぇ〜」


「まぁ、ね」


 ジュリアは妙な詮索はしないし、ご主人様の意向通りの仕事をしてくれる。そんなところもキアラは気に入っていた。


「さ、行きましょうか」


「はぁ〜い!」




 



「キアラ!」


 宮廷の大ホールで婚約者の姿をみとめるなり、ダミアーノは小走りに近付いた。

 キアラは無感情に軽くカーテシーをする。


「来ていたのか。手紙の返事もずっと来ないから心配したぞ。今日も一緒に入場したかったが……」


「申し訳ありません。体調を崩しておりましたの」


「それなら言ってくれればいいのに。オレも見舞いに――」


「少しだけ疲労がたまっていただけですから。病気でもないのに、ダミアーノ様にご心配をおかけできませんわ」


「そんな、他人行儀な。オレたちは婚約者同士なんだから、遠慮しなくていい」


「……そうですわね。大変失礼いたしました。お心遣いありがとう存じます」


(私のことを嵌めて処刑する予定のくせに)


 ――と、キアラは白けた様子で婚約者を見る。彼は酷く心配しているような顔付きで、愛しくない婚約者を見つめていた。


 彼女は慌てて目をそらす。また過去と同じように、彼を愛してしまうのが恐ろしかった。だから、なるべく婚約者には関わりたくなかったのだ。


「一曲いかがですか、伯爵令嬢?」


 一拍して、ダミアーノはキアラに手を差し出す。彼と一緒にダンスだなんて吐き気がするくらいに嫌だったが、立場上拒否なんてできない。目ざとい貴族たちに見つかって、どんな不名誉な噂を立てられるか分からないからだ。


「……喜んで」


 キアラは婚約者の手を取る。そして作り笑いを浮かべながら、一緒にホールの中央へ向かった。


「病み上がりのようだから今日は軽めのダンスにしよう」


「ありがとうございます」


 互いに愛していない婚約者同士のダンス。貴族社会ではよくある光景だったが、彼らは義務として粛々とステップを踏む。


 キアラも最大限の警戒をしながら、ダミアーノとの一曲を我慢して踊った。


(大丈夫……。私はまだ彼を憎んでいる……)


 ループをするようになってから、キアラは定期的に自分の気持ちを確認している。はじめは毎晩、今では毎時間ごとにだ。


 現時点では、まだ大丈夫だった。

 ダミアーノを愛おしく思う気持ちなんて、少しも持っていない。


(でも、ループを重ねる度に、彼を好きになるタイミングが早くなっている気がするのよね)


 彼に対する愛情が、このまま加速するのが怖いと思った。

 もし次にループしたときに、その時点でダミアーノを愛してしまっていたら……。そんな恐ろしいことは絶対に阻止しなければ。


「キアラ」


 はっと我に返る。いつの間にか一曲が終わっていて、次に踊る人たちと交代する時間になっていた。


「本当に大丈夫か? 顔色が悪い」


「だ……大丈夫ですから」


 キアラは逃げるように婚約者から離れようとする。

 しかし、ダミアーノは彼女の手を強く握って離さなかった。ぐっと彼女の腰を寄せて囁く。


「少し休憩したほうがいい。このままだと心配だ。行こう」


「っ……!」


 ダミアーノは有無を言わさずキアラを連れて行く。令嬢が殿方の力に勝てるはずもなく、彼女はずるずると引きずらるように付いて行った。


 大声を出して抵抗すべきだろうか。

 でも、婚約者同士だし、なにより皇帝陛下主催のパーティーで騒ぎを起こすことなんて許されなかった。




「扉は少し開けておくから。安心してくれ」


「はい……」


 二階には休憩室が設けられていて、広めのサロンや個室が用意されてあった。パーティーで疲れた貴族たちはここで会話を楽しんだり、男女で休んだりする。


 キアラとダミアーノは婚約者同士なので二人で個室にいてもおかしくないのだが、世間体を重んじる高位貴族は、はしたないことはやらないものだ。


 これにはキアラも同意だった。婚約破棄をする予定の男とのあらぬ疑いは作りたくないのだ。


 ここはソファーも机も椅子もない。だからキアラは仕方なくベッドに軽く腰掛けた。

 すると、ダミアーノが身体が密着するくらいの勢いで隣に座ってきた。途端に彼女はぞくりと寒気がして、冷や汗が出た。


「済まなかったな」


 婚約者の意外な言葉にキアラは面食らう。


「な……なにがですの……?」


 まさかあのダミアーノが自分に謝るなんて。

 そこに嬉しさは全くなく、なんとも言えない異様な不気味さを感じた。本能的に嫌な予感がする。


「ほら、この前の茶会の。オレが浅はかだった。悪い……」


「そうですか……」


 謝罪は受けるつもりもないし、許すつもりもない。六回も破滅させられて、そんな次元はとっくに過ぎている。


 でも、そんなことはおくびにも出さない。

 ダミアーノとはこのままゆっくり離れていって、最後はお金で解決なのだ。


「キアラ」


 ダミアーノがキアラの左頬に手をあてる。そしてじっと彼女の瞳を見つめた。

 スカイブルーの瞳が彼女を閉じ込める。


 ――ドクン。


 キアラの心臓が大きく跳ねる。


 みるみる全身が熱くなって、身体の深い底から愛しい想いが溢れ出てきて、胸が張り裂けそうになった。


(ダミアーノ様……!)


 キアラの失われた感情は激しく燃え上がって、目の前の――最愛の、愛しい婚約者をうっとりと見つめた。

 彼を愛する気持ちが、無限に膨れ上がっていくのを感じる。




 キアラはダミアーノを憎んでいた。


 キアラはダミアーノを愛している。


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