14 芽生えた心
キアラはダミアーノのことを愛していた。
初めて会った日の、弾けるようなときめき。彼女の世界が変わる瞬間。
それは幼い小さな恋心だったけれど、月日とともに抱えきれないほどにどんどん大きくなっていって。
婚約者のことを心の底から愛しいと思った。彼以外には何も要らない。彼がいればそれでいい。彼のためならなんだってできる。
彼への気持ちが膨らむと同時に、彼女の世界は狭まっていった。
ダミアーノはキアラの全てだった。
純粋な恋心は愛に変わって、それは次第に病的に濁っていった。彼女は奴隷のように彼の言われるがままになり、ついに人の道を外れ……最後は処刑されていった。
とてつもない大きな憎悪を持って次の人生を迎えても、再び彼を愛してしまった。
キアラの愛情は地中に根を張っていくように深く深くこびりついていって、それはもう完全に取り除くことはできなくなっていた。
それも、
これも、
(全部……魅了魔法だったのね…………!)
魔女のマナに覚醒したキアラには、ダミアーノの継ぎ接ぎの魔法が手に取るように分かった。それは魔導書を見様見真似で合成したお粗末なものだった。
でも、魔女の魔法は一滴でも効くと言われている。魔力を持っていなかった頃のキアラには、さぞかし効果覿面だったのだろう。
(私は……こんな、魔法で……)
子供じみた稚拙な魔法。こんなものに自分はずっと振り回されて、心を掻き乱されて、辛くて、苦しくて、悩んで、悩んで、悩み続けて。
(本当に、馬鹿みたい)
キアラの赤い瞳がダミアーノを捉えた。彼は壁に強く打ち付けられて、ずるずると倒れてその場にうずくまっている。
(馬鹿みたいだわ……)
キアラの心臓にどす黒いぬめった感情が灯る。それはじわじわと身体中に侵食していって、彼女の思考まで真っ黒く染め上げていく。
(馬鹿ね……)
キアラはダミアーノに向かって手を伸ばす。もう愛情など皆無の冷たい手。
指先から爪を伸ばすように細やかなマナが流れる。長く伸び続けるそれは、ダミアーノの喉元へブスリと突き刺さって――……、
「やめろ。リグリーア伯爵令嬢」
次の瞬間、レオナルドが彼女のマナを弾き飛ばした。
暗闇に堕ちた感情は泡のようにパッと消えて、彼女ははっと我に返る。
見ると、皇太子が己の冷たい手を握っていた。
「今ここで公爵令息を殺したら、君の人生も終わるぞ。良くて修道院送り……最悪は、処刑だ」
処刑。
その恐ろしい言葉が、彼女の正気を完全に戻した。
「わ……私は…………」
キアラの身体がみるみる脱力していく。同時にあんなに膨大なマナもしぼんでいって、心にぽっかりと穴が空いたみたいに彼女は茫然自失となった。途端に床に跪いて、重力に身体が持って行かれる。
「お、おい!」
レオナルドは、このまま床に溶けてしまうんじゃないかと思うくらいに力の抜けたキアラの肉体を、慌てて支えた。
「大丈夫か?」
「っ……」
床にへたり込んだままの彼女は、堰を切ったようにボロボロと涙を溢れさせた。
(なんで……なんでっ……!!)
彼女過去六回分の記憶が、脳裏に現れては消え去っていく。
好きで、好きで、たまらなくて。愛していて。だから、私は……ダミアーノ様のために…………人だって殺したのに………………。
(人の心をなんだと思っているの……!)
とてつもなくやるせない気持ちを何処へぶつければ分からずに、彼女はただ泣くしかなかった。
虚しい。
悔しい。
「っ……!?」
気が付くと、キアラの隣にはレオナルドが膝を付いて彼女を介抱していた。嗚咽する背中をトントンと叩いて、ハンカチで溢れる涙を拭っている。
(皇太子殿下……!?)
まさか次期皇帝である高貴な人物に慰められるなんて、驚きのあまり彼女は再び平静を取り戻した。恐れ多くて身体も強張る。
「な……なぜ……?」
本当は
皇太子は真面目な顔をして、
「何故と言われてもな。貴族社会の常識だと、泣いている淑女は紳士が助けなければならない。これは、遥か太古よりある騎士道というものを継承しており、現代帝国における法と直接の関与はないのだが、軍人として――いや、皇族として適切な応対だと思われる」
まるで法廷に立っているように淡々と述べる彼の様子が酷く滑稽で、キアラは思わずプッと吹き出した。
(前も思ったけど、本当に理屈的な方ね……)
彼の柔軟だか規律的だか分からない態度に、彼女の心は少しだけ柔らかくなった気がした。
(……対応、間違ったか?)
一方、レオナルドはキアラが急に笑い出したことに困惑し、眉根を寄せて己の言動を省みていた。
子供の頃から母親に口が酸っぱくなるほど言われてきた――騎士たるもの、弱き者を助けなければならない。
自分の目の前で、とても悲しそうに泣いている令嬢を放置することはできなかった。だから咄嗟に身体が動いたのだ。
……ただ、リグリーア伯爵令嬢を心から助けたいと思ったのだ。
何度も己を陥れた仇敵なのに。
「ありがとう……ございます……」
皇太子のおかげで少しだけ生気を取り戻したキアラは、涙を拭って呼吸を整えた。もう、泣いてなんかいられないのだ。
ぐったりと倒れいている婚約者を見る。
七回目の人生は彼から逃げ出したいと思っていた。関わるごとに彼を愛して、何度も過ちを繰り返して来たのだ。だから、その負の連鎖を断ちたいと考えていた。
――でも、それでいいの?
ダミアーノは悪意を持ってキアラを利用して、最後は冷酷に捨てていた。最初の人生からずっとだ。
このまま縁を切って「はい、さようなら」と離れるだけで良いのだろうか。
手切れ金を支払って、二度と関わらない人生で良いのだろうか。
嫌いな婚約者と別れたダミアーノは晴れてマルティーナと結ばれて、二人は幸せに暮らすだろう。
――それで、いいの?
堰き止められた濁流が一気に開放されるように、どくどくと脈が速くなる。心臓がぎゅっと痛んで、脂汗が出た。
二人に散々
(それじゃあ……私は今回も惨めな負け犬のままじゃない……!)
逃げたいと思った。
でも、もう逃げたくないと思った。
今の自分には、魔女のマナがある。
それは、ダミアーノと戦える武器になる。
キアラは顔を上げる。その赤い双眸は、色に負けないくらいの熱い炎が灯っていた。
(このままじゃ、引き下がれない……。ダミアーノ・ヴィッツィオ公爵令息……必ず復讐してやるわ…………!)
今度こそ……!
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