冷雨
涙などいらない。悲しみに溺れるためだけの言葉を忌み厭う、怒りが言葉を絶えず降らす。冷たい言葉。
友などいらない。馴れ合い、分かち合えないことを確かめあうだけの関係性に、距離と微かな熱を抱いて、嫌って、嘘だけが重なり合って垂れる灰色の雲。
憐憫などいらない。優しいねっていわれたいための言葉は、優しくないねっていってあげたい。これも憐憫?
冷雨に濡れて歩く街道で、プラタナスの葉だけが灰色の世界にわずかな色を添えていた。靴の中の水。濡れた肩。他人の傘があたる苛立ち。弾ける水飛沫と一緒になって、しずくにうつるすべてが散り散りになればいいのにと願うだけの冷雨。夏を期待したのが馬鹿だったのかな。
冷気に誘われ、沈むように暗い道に立ち入った。水たまりに灰色の空が映り、透明だったはずの夜の心が濁っていく。顔をあげた。風にゆらめく葉を見上げた。道端に、鮮やかな紫陽花が咲くのを見た。葉陰に隠れる生き物たちのひそやかな憂鬱の声を聞く気がした。雨なんて、嫌い。
踏みしめるはずだったはずの足が水に浸かって、冷気がからだの表面をさわさわ走り、慄き、息詰まる。呼吸が止まり、冴えない空に向かって不平を吐く。湿り気を帯びた静寂が、しとやかな涙を装い、雨の麗しい季節を演出している。なんて、騙されてたまるかと、蒼い心が鋭い叫びを上げるのだった。
しおれた、季節外れのハナミズキの散って、流れた排水溝の水。無力なまま、なにもできないまま、雨が降るのを見過ごしている。ただ、消えてしまえばよかったのに。雨と、消えてしまえばよかったのに。
しとしと。しとしと。
降り注ぐ音に心の奥底から湧き上がる音を聞いた。今朝飲んだ苦いコーヒーが、腹の底で煮えているみたい。
涙などいらないと繰り返しうそぶいても、溢れんばかりの虚しさが、いつまでも肉体を冷たくした。
冷雨。冷雨で目を覚まして、もっと遠くを見て、ふるだけのよに、ながめるだけの嫌悪にあらがうように雨に打たれて冷えて、からだは、こころは、求めていた。冷たい雨。肌にしみこむ、冷たい雨が。
しとしと。しとしと。
肩を伝い、頬をつたい流れ落ちる、拒否できぬ虚無の涙が雨に溶ける。遠くを走る黒いタクシーが、灰色の世界を裂くと、たちまち安堵が膨らんだ。心臓が、どくん、どくんと、高鳴るのを聞く。
さあ、涙などいらない。友などいらない。憐憫などいらない。土のように冷たくなって、泥のように沈んで。しんで。
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