浮遊

とこしなえに風をついばみ、飛びつづけなければならなくなった。まるみを帯びた私のからだは、あらがうこともできず夜に飲まれて藍をうたう、藍を藍を、もっと深くふかくに沈む色になれなかった、私の藍を夜にうたう。

切りくちから血はながれずに、こぼれた紅玉は落ちて地に眠りを求める私の欠片。美しさこそ意味だと偽り、偽りに言葉を与えてそれをまた美しさと呼び、順繰りぐるぐる輪廻をめぐる私の欠片は、私からはなれてはじめて輝きを増す。


「歩けないなんて、とても不便ね」


紐は切れず、風をつかんだまま無機質な絶望をみずからに向けたやいばのようにもてあそんでいる、かるく投げる、かるく傷つく。夜は、路地裏の猫のための子守唄をずっと口ずさんでいる、なんて迷惑をかえりみないストゼロ酩酊状態でも、風をついばみ意味からとおいとおい。

足を切られた憎しみよりも、とこしなえに風をついばみ、飛びつづけなければならなくなった、と苦しむ私の姿に自己陶酔する、そんな滑稽を笑ってくれと、うたうたうたたうたうよ、とこしなえに風をついばみ意味から離れて、はなれた先にまた新しい意味をひろいあつめたいのに、やはり足がない。


蝋人形のように、甘い川に流されて死ぬだけの運命だったらよかったのに、と空を飛びながら夢を見る私は地を這う蟻らを羨んでいる。裏切りは羨みから生まれて恨みになる過程のはかない輝きだとか、足を失うまで知ることのなかった光だけが愛おしくて、空から地の底を覗きみる、そこはまるで星の膿。ひどく臭う、石のにおい、土のにおい、生きているものの、かつて死んだにおい。これから死ぬであろうにおい。

「でも、靴がいらないから安上がりでしょ」とあなたはいう。

あなたときみは、なんだか似ている。遠くて尊くて、うとうと眠くなるような美しさが恨めしくて、言葉遊びもなんだか宙に浮くのは足がないから。言い訳ばかりの私をゆるしてね、ゆるしてくれるよね、近くにいるからね、かみさま。あなたにひかる、かみさま。



希望の朝はパンとバターの匂いに少しミルクを足して、ベーコンの少し焦げた香りが加わればなおいい。感嘆符の困惑してふるえる姿に私の胸はわくわく高鳴り、流線型の不完全さこそが私の証と、ふとその言い訳の不可解を知った。

足があればいいのに、朝の香りだけでは私は足りない、まだまだ足りない、足があれば意味のうえを好きなだけあるけるのに、空虚、くうきょ、風潮を読む空虚、ふうちょうである空虚、風ばかりついばみ、パンもベーコンも食べられないくらいお腹いっぱいなのに空虚なふうちょう。


極楽をのぞむのに黒の瞳に映るのはあこがれの大地ばかり。

裏の目取れば、忘れたはずの遠い光にかくれて、図表に紛れた時計は死神を忘れかけたまま、望遠鏡でのぞいた私はやはり、とこしなえに風をついばみ、飛びつづけなければならなくなった。

枯れぬはずの草が枯れ、悔やむはずの心は病み、恨むはずの誰かをなくして感情だけが地につかず、とこしなえに風をついばみ、飛びつづけなければならなくなった。

足をなくして歩けない、死にゆかない、気にもならない私の流線型は所詮、天の謀の如き風の所業。風をついばみ飛びつづけるしかしかたない私に、休む枝を持たない私に、生きている資格があるのかわからない、ただの星座のなやみごと。

ウラノメトリアのかみの空なら自由に飛べるとゆるされた。撫でる風の裂くような鋭い冷たさだけが、朝の日のひかりの声にやさしく紅の色を添えた。

切られた足をどこに忘れたのだろう、奪われた足はどこに捨てられたのだろう。切り口から溢れる紅玉の輝きだけが私を慰めたのに、癒やしたのに、風はますますつめたくなる、冬の透明な空。ひくくさす、真昼の太陽。


「ほらね、すぐに地上から遠ざかる、意味から遠ざかる。だってお前には足がないから」


はるか遠くから嘲るあなたは地に足をつきあるき、風にのみ身を委ねる自由の憂鬱をやすやす貶め、哄笑は高い空へと抜ける。

大地からも空からも見捨てられて風のみが唯一の友というからには、ついばむのは終わりにしよう。とこしなえに風をついばみ、飛びつづけなければならなくなった私は飛ぶのをやめて、足がないまま落ちるしかなくなったなら、風は私をゆるすのかな、私に意味をくれるのかな。私は少し心細い。

時の不可逆にあらがうままエントロピーに置き去りにされ、心の渇きは整然として、冷たい雨を吸って濡れ鼠のように縮こまっていく、愚かな私の流線型のからだと不足はあるいは、誰かに笑われるためにあるのだろうか。


「どうせ地につかないから、紅玉だけが傷口からぽろぽろこぼれるだけだから」


とこしなえに風をついばみ、飛びつづけなければならなくなった。足がない私は歩き方を知らない。



また夜が来て、羅針盤を手に十字の星のまわりを飛んだ。

藍と光の星空にふやけて、どろどろになった私の肉体がしがらみをすり抜け、流れながれるエリダヌス川の果てのはて、アケルナルのさらに向こうにとけいを見つけた。

地に届いたのだと知る。死に届いたのだと知る。鉄の臭いをあしらい笑う、命に近い感触がある。生きた、いきた、と藍と紅をうたいたかった。

嬉しいなんて知られたくなくて、沈黙したまま鳳凰の脇を通り過ぎる、果ての闇に聞こえぬはずの周波数に耳を傾けながら、パルサーの過去の歌を聞く、聞く、私はもううたわなくていいのだと祝う。

夜に、地についたから。足がなくても、足がなくても死に、地に、届いたから。


とこしなえに風をついばむことなどない、足のない私の、歩けない私にも、眠る場所を用意してくれた星のかみ。かみのうえのウラノメトリア。

こぼれ落ちた紅玉の色に埋もれて眠る、私の墓標に詩を綴るのは私ではない誰かだろうか。甘い時の暗い淵に死が潜む、浮遊する日差しへの願いの中の囁きに、いつか飛んだ空の雪と、吐き出したみにくい言葉の数々とともに、私は埋もれていく。藍と紅に埋もれていく、うれしい。

赤い闇に銀の指輪がささやいている、生まれた時のとおいあなたかなたの輝きに触れる孤独な鳥は、音のない世界でようやくやすらぎを得る。砂を噛むような明朗たる月の夜のまっしろい輝きは、一夜の夢のごときはかなき物語だったから。もううたわなくていいんだ、もう光らなくていいんだ。孤独を捨てて、あたたかい地の中へ。


奪われた手紙に書かれた言葉。とこしなえに風をついばみ、飛び続けなければならなくなった、そう嘆いた言葉はそのまま空で浮遊したまま、星座となって淡く瞬く。

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