第7話 藍葉さんはここまでいける 3
藍葉さんのことを空き教室に呼び出して2人きりになったものの、わたしはどうやって藍葉さんとキスをすれば良いか、まったくプランが思いついていなかった。何もせずに立ったまま藍葉さんと向き合って、表情を恐る恐る伺っているわたしは、多分かなり怪しい人になっていると思う。
「帰らないの?」
藍葉さんは不思議そうに首を傾げている。夕暮れ時に藍葉さんの頬もうっすら赤く染まっていた。わたしの頬はきっとうっすらどころでは済まないくらい赤くなっているに違いない。
「まだもうちょっとだけ、藍葉さんと一緒にいたいな」なんてそれっぽいことを言うと、藍葉さんは「わかった」と頷いてくれる。わたしも藍葉さんも何も話さずに、立ったまま三歩分くらいの距離を空けて向かい合っていた。この謎の距離感は、わたしの緊張の証。
「でも、こんな空き教室で残って何するの?」
藍葉さんが不思議そうに尋ねる。これ以上緊張しながら向かい合っていても、藍葉さんに疑われてしまうだけだ。わたしは思い切って、小さく息を吐いてから、藍葉さんに尋ねてみる。
「ねえ、藍葉さん、目瞑ってもらってもいい?」
「良いけど、」
藍葉さんは理由を聞こうとするような変な間を開けたけれど、結局何も言わずに目を瞑ってくれた。夕陽をバックに目を瞑る藍葉さんを、わたしはジッと見つめて一歩近づく。まだ距離は遠い。
もう一歩近づくと、藍葉さんの表情がよく見える。可愛らしい藍葉さんの丸顔がよく見えた。もう半歩近づくと、いよいよわたしは藍葉さんと向き合った。リップなしでも潤っている綺麗な唇を見つめる。
顔を近づけると、藍葉さんの小さな呼吸音も聞こえてくる。わたしはゆっくりと藍葉さんに顔を近づけていく。藍葉さんは近くで見ると、思っていた以上にまつ毛が長い。普段顔を合わせて話すことが少ないから、こんな至近距離で藍葉さんを見ることに緊張してきた。心臓が飛び出そうな気持ちになってくる。わたしも目を瞑って、藍葉さんにキスをしなきゃ……。
なんて思ってはいるのに、これ以上藍葉さんに近づけない。ほんの10センチほどの距離まで来て、わたしは止まってしまう。目を瞑ることもできず、キスをすることもできない。意味もなく藍葉さんと顔を近づけ合ってしまっている。
口元に藍葉さんの呼吸がかかるような位置まで来て、わたしは硬直してしまっていた。ダメだ、これ以上はもう藍葉さんに近づけなさそうだし、当然キスも難しそう。まさか、藍葉さんが拒むよりも先にわたしに限界が来てしまうなんて……。
お恥ずかしい限りだな、なんて思ってゆっくり離れようとした瞬間、藍葉さんが目を開けた。
「え?」
「えぇっ!?」
小さく驚く藍葉さんとほとんど同時に、わたしは驚きながら猫みたいに思いっきり跳ねるようにして後ろに下がった。それと同時にゴンっという鈍い音がした。
「痛ったあ!」
机が腰に当たって、痛みが走る。完全に取り乱してしまっていた。そんなわたしを見ても、きっと藍葉さんはいつも通りとても冷静なのだと思ったのに、なぜか胸を押さえて呼吸を荒げていた。
これはヤバいかも。キスしようとしていたのがバレて、ドン引きされたのかもしれない。百合が苦手だということを知っている友達が自分にキスをしようとしてきていたなんてことを理解されたら、わたしのことを嫌ってしまうに違いない。
「あ、藍葉さん……」
恐る恐る尋ねると、藍葉さんが息を呑みながら尋ねてくる。
「い、今何をしようとしたの……?」
普段全く表情を変えない、無表情の藍葉さんが目を大きく見開いて、動揺している。わたしはとんでもないことをしてしまったのかもしれない。
わたしは答えに窮した。どうやって誤魔化そう。きっと素直に言うと藍葉さんに嫌われてしまうし……。そうやって悩んでいると、藍葉さんがもう一度念を押してきた。
「教えてほしい。わたし、何かされるの?」
「ち、違うんだよ、藍葉さん……」
「教えて」
藍葉さんが、床に座っているわたしを圧をかけるみたいにジッと見下ろしてくる。そして、そのまましゃがんできて、わたしに視線を合わせて、顔を近づけてきた。藍葉さんがさらに圧をかけてきている。
「教えて」
「え、っと……」
観念した。わたしは下がりながら、大慌てで藍葉さんに土下座をする。
「すいませんでした! わたし、藍葉さんとキスしようとしました!」
「キス……。キ、キス!?」
藍葉さんが声を裏返して大きな声を出してから、両手で頬を押さえている。
「ご、ごめん、藍葉さん、嫌だったよね……」
「い、嫌じゃない……。けど……」
藍葉さんが頬を押さえたまま、上半身を左右に捻るようにして揺らし出した。普段見ないような珍しい光景にさらに罪悪感が湧いてしまう。キスなんてしようとしたから、藍葉さんがすっかりおかしくなってしまったみたいだ。
「あ、藍葉さん、ごめんね……」
「う、ううん。大丈夫」
藍葉さんが思いっきり首を横に振った。振りすぎて、そのまま首が360度回転してしまうのではないだろうかと不安になるくらい振っている。
ごめんね、ともう一度謝ろうとしたけれど、それより先に、藍葉さんが教室の入り口に向かって走り出してしまった。
「あ、藍葉さん……!」
わたしは止めようか迷ったけれど、わたしと一緒にいるのが嫌かもしれなさそうな藍葉さんのことをこれ以上引き止めるのも気が引けてしまう。あんなに感情を表に出している藍葉さん初めてみた。
「さすがにキスは嫌だよね……」
わたしは座ったまま、その場で頭を抱えて項垂れた。
「藍葉さんに嫌われちゃったよぉ……」
大きくため息をついてから、ゆっくりと立ち上がる。フラフラとした足取りで廊下を蛇行しながら歩いていく。体に力が入らない。
「こんなことなら、ワンチャンでの恋人なんて目指さずに、ずっと友達として側にいればよかった……」
月曜日に次に学校に行った時には、もう藍葉さんは話をしてくれないかもしれないし、一緒に帰ってくれないかもしれない……。
気分が悪くなってくる。わたしは途中で歩けなくなり、廊下の壁に背中をくっつけて、深呼吸をした。
家まで帰れる気しないなぁ、なんて思ってぼんやりしていたら、廊下を歩いてくる音が聞こえた。わたしの方にやってくる人物が誰かは俯いていたからわからなかった。
「何やってんの?」
わたしに心配そうに声をかけてくる少女の声を聞いて、わたしはゆっくりと顔をあげた。
「海音……」
海音に声をかけられて、わたしは堪えていた涙が一気に溢れ出してきた。
「え? ちょっと、どうしたのさ。大丈夫!?」
海音が慌ててわたしに近づいて、背中をさすってくれた。わたしはそのまましゃがみ込んで、声を出して泣いた。
「ねえ、わたし藍葉さんに嫌われちゃったよぉ!」
海音は何も聞かずに、わたしの背中を摩り続けてくれた。ひたすら泣いているわたしに海音は何も言わず、ただそばに居続けてくれたのだった。
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