第5話 藍葉さんはここまでいける 1

そんなわけで、現在わたしは藍葉さんに対して報われない恋の感情を持っている。


しかし、先日海音みおんと話していたときに名案が浮かんだのだ! 


藍葉さんがどこまで許容してくれるのかを探り、限界まで少しずつステップアップをさせていき、藍葉さんにわたしのことを意識させていく作戦だ。一歩間違えたらドン引きされてしまうというリスクもあるけれど、このくらいのリスクを負わないと、そもそもわたしのことを恋愛対象に入れてくれていない藍葉さんを振り向かせるのはほぼ不可能なのだ。


そんなわけで、わたしはその日の帰り、藍葉さんと手を繋いでみるところから始めることにした。一応校外学習のときにも手は繋いでいるから、これはそこまで難しくないはず。


わたしはいつもの帰り道、早足で歩く藍葉さんの手をソッと握った。藍葉さんの柔らかい感触がわたしの手に触れる。藍葉さんは一旦止まって、首を傾げてわたしの方を見た。


「どうしたの?」

「えっと……」

わたしが答えに悩んでいると、藍葉さんはまた普通に歩き出した。

「まあ、なんでもいいけど」

深く探るつもりはないらしい。


とりあえず、手を繋ぐのは何の問題もないらしい。藍葉さんとは駅につくまで無事に一緒に手を繋ぎ続けることができた。藍葉さんとは別れてからも柔らかい手の感触はしばらく残り続けていた。


「とりあえず、手を繋ぐのは大丈夫なのか」

わたしは家に帰って一人でノートにチェックをつけておいた。


『手を繋ぐ✔︎

 ハグ

 体をさする

 間接キス

 頬を撫でる

 キス(口以外)

 キス(軽めのやつ)

 キス(しっかりしたやつ)

 その先』


ジッとノートを見つめてみる。

「その先……」

自分で書いてみて、考えてみて、ポンと頭から湯気が出てしまったような気がして、顔が赤くなる。


「ダメだ、これじゃわたし変態みたいじゃん!」

慌てて「その先」と書かれている項目の横に×を付けておいた。


「だいたい、キスのレパートリー多すぎるよね……」

キスのところにも×を書いておこうかと思ったけれど、手が止まる。おっとりした藍葉さんの、リップも塗られていないのに柔らかそうな唇を思い出してしまう。


「×はしたくないかも……」

自分の中で一瞬の葛藤はあったけれど、そんなつまらない葛藤は一瞬で終わってしまった。×をつけるのはやめた。


「た、多分キスに行くまでに藍葉さんに拒まれるから大丈夫だよね……」

まあ、拒まれることを前提にしている時点で大丈夫じゃないのだけれど……。


次の日、わたしは学校で藍葉さんにハグをする機会を伺った。いきなりハグするのは不自然だから、できるだけ自然な形で。そう思っていると、小テストの返却があったから、終わった後の休み時間に藍葉さんの元に近づいた。


「ねえ、藍葉さん。小テスト何点だった?」

「20点だけど」


20点満点の小テストで20点を取ったということは満点ということ。これはお祝いに乗じてハグができる! わたしは座っている藍葉さんの体にギュッと体を密着させてみた。藍葉さんの小さくほっそりとした体の温かみがわたしに触れる。


「すごーい! おめでとう!」

「別にいつも通りだけど……」

謙遜でも照れもなく、本当に事実として藍葉さんの中に小テストで満点を取ることが当たり前というような言い方。さすが優等生の藍葉さん。


結局、わたしがハグをしても冷静に、とくに困惑をすることもなく、いつも通りの無表情のままだった。つまり、ハグはセーフということ。家に帰ったらハグのところにもチェックを入れておこう。


それだけでハグのチャレンジについては終わったと思ったのに、体育の時間にあった時間にもチャンスがあった。400メートル走のタイムを測ったのだけれど、なんと藍葉さんがクラスで一番タイムが早かったのだ。


藍葉さんは集団での競技は苦手みたいだけれど、徒競走とか、水泳とか、マラソンとか、個人競技はかなり得意みたい。それは前に聞いたことがあったのだけれど、まさか陸上部の子よりも早いなんて思わなかった。


「藍葉さん、すごいね!!!」

さっきみたいにわざとらしい言葉ではなく、心の底からすごいと思って出た言葉。これはお祝いの流れだし、ハグしても大丈夫ではないだろうか。


わたしは思い切って藍葉さんの体をギュッと抱きしめてみた。走り終わった彼女の体操服からは、ほんのり汗で濡れた感触が伝わってくる。藍葉さんの優しい性格みたいに温かい体の温もりが伝わってきているのを実感していたら、今まで冷静だった藍葉さんが顔を歪めた。


「気持ち悪いと思う」

「えっと……、ごめんね。抱きしめたら嫌だよね……」


女性同士の恋愛が苦手な藍葉さんだったら、やっぱりハグはダメなのかもしれない。さっきも我慢してくれていたけれど、本当は抱きしめられるのが嫌だったのかも。


今は走り終えて、疲れ切っていたから本音が出てしまったということだろうな。わたしがガッカリしていると、藍葉さんはいつものように感情の入っていない小さな声で呟く。


「抱きしめてくれるのは別に嫌じゃないけど、友花の汗つけちゃうのは申し訳ない」

「あ、ごめんね……」

優しく配慮してくれていたらしい。一応、ハグ自体は大丈夫みたいだった。


『手を繋ぐ✔︎

 ハグ✔︎

 体をさする

 間接キス

 頬を撫でる

 キス(口以外)

 キス(軽めのやつ)

 キス(しっかりしたやつ)

 ×その先』

家に帰ってから、チェックの増えたノートを見つめて、わたしは小さく頷いた。


「次は体をさする、か……」

そろそろ藍葉さんも拒むよね、と思いながら、また学校に行った時に、できるだけ自然を装いながら試してみる。


「ねえ、藍葉さん。背中痒くない?」

「痒くないけど」と藍葉さんが答えるまでに、わたしは藍葉さんのことを抱きしめた。


「背中かいてあげるね!」

「痒くないけど」


藍葉さんが同じことをもう一度、今度は不思議そうに答えていたけれど、わたしは気にせず背中を搔くふりをして、藍葉さんの背中をさすってみた。


「逆に痒くなりそう」

藍葉さんが困ったように呟いていた。

「あ、ごめんね。嫌だった?」

「嫌じゃないけど、不思議」

藍葉さんがそれほど不思議ではなさそうな声で答えてくれた。


「梅川さん、最近何考えてるかわからない」

周りの子には関心なくてマイペースだと思っていたけれど、意外とわたしが考えていることとかを気にしてくれていたのか。


そして、藍葉さんがどこまで許容してくれているかを試す作業をしていることも、もしかしてバレているのだろうか。わたしはジトッとした嫌な汗をかきながら、藍葉さんに尋ねて見る。


「えっと……、何か勘付いてたりする?」

「何の話?」

藍葉さんは、まったくわからないと言うように、ゆっくりと首を横に振った。


「嫌な思いとかさせちゃってたりする……?」

「まったくしてない」

藍葉さんが首を傾げていた。とりあえず、さする行為までは問題なく受け入れてくれたみたいだ。


『手を繋ぐ✔︎

 ハグ✔︎

 体をさする✔︎

 間接キス

 頬を撫でる

 キス(口以外)

 キス(軽めのやつ)

 キス(しっかりしたやつ)

 ×その先』

家に帰ってからチェックの増えたノートを見つめる。


「キスで固めた方がよかったのかな?」

少しだけそんなことを思ったけれど、間接キスをするよりも、頬を撫でる方が、絶対に難易度が高そうだった。


そんなわけで、わたしはまた機を見計らって、いつものように藍葉さんに実験をする。毎日のように藍葉さんにちょっかいをかけているというのに、藍葉さんは特にわたしに対して警戒することもない。


それどころか、藍葉さんはわたしに近づいてきている気すらする。今日だって、一緒にお弁当を食べている時に、突如藍葉さんは手を伸ばしてきて、わたしの口元に触れたのだ。


「あ、藍葉さん!?」

「梅川さん、ご飯粒ついてるよ」


真面目な顔でわたしの口元からご飯粒を取ってくれた。なんだかこれでは藍葉さんの方がわたしに対してどこまでいけるかの実験をしているみたいだ。


もちろん、百合が苦手な藍葉さんがそんなことをするわけがないから、元の天然さが炸裂しているのか、それとも藍葉さんの優しい気持ちが爆発しているのか、どちらかなのだろう。わたしも負けずに間接キスを試みる。


「ねえ、藍葉さん。これ新しく発売したやつみたい。美味しいらしいから飲んでみたら?」

わたしがスイカ味のジュースを渡すけれど、藍葉さんは受け取ろうとはしなかった。


「友花、そういうの苦手」

「あ、そっか……」

家に帰ったら間接キスにバツをして、ここで実験を終わらせようと思ったけれど、藍葉さんは続けた。


「友花、スイカってあんまり好きじゃない」

「あ、そっちか……」

「そっちって、どっち?」


藍葉さんが首を傾げていたから、わたしは慌てて「なんでもない!」と首を横に振った。とりあえず、まだ間接キスについてはいけるのか、いけないのか、わかっていない段階だ。


他に何か良いものはないだろうかと考えたけれど、わたしは特に間接キスにつながりそうなものは持っていなかった。そんなときに目についたのは、藍葉さんのコップ付きの年季の入っていそうな水筒だった。多分だけど、小学生の頃から使っているのだと思う。


わたしは一か八か実験のために藍葉さんの飲んでいる水筒のお茶を指差した。

「ソ、ソレ、美味シソウダネ……!」

緊張と焦りで絵に描いたような棒読みになってしまった。多分、漫画なら目がグルグルしちゃってると思う。そのくらい、取り乱してしまっている。そんなわたしを見ても、藍葉さんは表情を崩さない。


「普通の麦茶だけど」

「ス、スイカデ口ガ甘クナッタカラ、普通ノオ茶飲ミタイナ……!」

棒読みを続けてしまう。藍葉さん以外が聞いたら絶対に突っ込まれるような話し方なのに、藍葉さんは全然違和感を持っていないようだった。


「良いけど。本当にうちで作った普通のお茶だよ?」

「良いよ、良い! 普通のお茶サイコー!!」

緊張でおかしなテンションになってしまう。


片思い中の子の普段使いの水筒なんて、普通の市販の飲み物の間接キスよりもレベルが高い気がする。藍葉さんはなんでもなさそうにコップにお茶を注いでから、わたしのほうに差し出してくる。


「あ、ありがと……」

わたしは普段よりも小刻みになっている呼吸を一旦止めて、一息に飲み干した。


ちょっと濃いけれど、普通の麦茶の範囲である。とくに何の変哲もない普通の麦茶だけれど、藍葉さんとの間接キスなのだから、これは特別な麦茶なのである。


「なんだか友花のお家の麦茶、梅川さんが飲んだら美味しそうに見える」

わたしは一体どんな顔で飲んでいたのだろうか。さぞかし幸せそうな顔をして飲んでいたに違いない……。考えたらちょっと恥ずかしくなる。


「美味しかったよ」と答えている間に、藍葉さんは先ほどわたしが使ったコップでお茶を飲み始めていた。

「やっぱり普通のお茶だけどな」

藍葉さんはいつものように子どもみたいに無邪気に小首を傾げている。わたしは「ごちそうさまでした」と返事をしておいた。

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