第4話 夕焼け空と赤い頬 2

班決めから少しの日が経ち、わたしたちは校外学習で水族館へとやってきた。他のメンバー達が一緒に集まってる中、わたしは藍葉さんと2人で、横に並んで魚を見て回っていた。それが意外だったらしい。少し離れた場所でわたしたちの様子を見ていた友達からスマホにメッセージが入っていた。


『無理に藍葉さんと仲良くしなくても良いんじゃない? 藍葉さん一人で周りたいかもよ?』

無理じゃないんだけどな、と思いながら、小さな声で藍葉さんに質問をする。


「藍葉さん、一人で周りたかったりする?」

「嫌な質問」

藍葉さんは巨大な水槽に視線を向けたまま、小さな声で答えた。つまり、一人では周りたくないという解釈でいいのだろうか。

「じゃあ、一緒に周るようにするね」

うん、と藍葉さんが頷いた。


とりあえず、藍葉さんが一人で居たくないことは理解した。なら、わたしはすることは簡単である。


『今日は藍葉さんと周るね』

『勝手にしたらいいけど』

少しムッとしているのは、シンプルな文面からでも理解できた。


『ごめん』と返したメッセージには既読だけが付いて、何も返ってこなかった。先ほどまで遠くから見ていた同じ班のメンバーの子達はもうどこかに行ってしまっていた。


やっぱりわたしは判断を誤ったのだろうか。わたしに対してどのような感情を持っているのかわからない藍葉さんの為に、少なくとも表面上は友達でいてくれている彼女たちを不機嫌にさせるのは、あまりにもリスクがありすぎる気がする。


「ねえ、藍葉さん、みんなと合流しよっか」

わたしが尋ねると、藍葉さんがいつも以上に小さな声を出す。

「友花はしない」

それだけ言って、藍葉さんは水槽におでこをくっつけて、周りの情報をシャットアウトした。


今ならまだ藍葉さんを置いてみんなと一緒に周る選択だってできる。それなのに、わたしはこの場から動けなかった。水槽の中をひたすら見つめる藍葉さんのことをわたしは見つめ続けていた。


藍葉さんはこっちを見ようとはしなかったから、わたしが藍葉さんのことを見ているのには気が付かなかった。水槽の中で固まって泳ぐイワシの群れが時折わたしたちのすぐ目の前を通っていく。


「藍葉さん、まだ見るの?」

わたしが声をかけたら、恐る恐る藍葉さんはこちらを向いた。

「みんなのところ行っちゃうの?」

「行かないよ」


それだけ言って、わたしは藍葉さんと次の水槽に向かって歩き出した。みんなのことを裏切るみたいな真似をするのは多分賢明な判断ではないのだと思うけれど、今は藍葉さんと一緒にいたい。


藍葉さんは口数が多い子ではないから、ほとんど話さない。藍葉さんはどの水槽の前でも、顔をくっつけるくらいの勢いで中を覗く。高校生が小学生よりも真剣に魚を見ているから、悪目立ちしていた。時々通る人がギョッとしたような顔で、藍葉さんのことを二度見していた。


「顔近づけすぎじゃない?」

「ちゃんと見たいから」

目に焼き付けるみたいにしっかりと見ている。


わたしは藍葉さんのペースに合わせる。なぜだかわからないけれど、わたしにはこの藍葉さんのマイペースなところが心地良かった。


わたしはしっかりと水槽を見ながら時々藍葉さんの方に視線を向ける。真面目な顔で水槽の中を見続ける藍葉さんが飽きてきたタイミングを見計らって次に移動する。藍葉さん主導で館内を回っていたけれど、わたしはイルカショーの時間を確認して、声をかける。


「ねえ、イルカ見に行きたいんだけど」

「いいよ」と二つ返事で藍葉さんが頷く。多分、藍葉さんもイルカを見に行きたかったのだろう。藍葉さんはすぐに水槽に背を向けて、歩き出す。


わたしたちはイルカを見るために座る。藍葉さんの希望もあって、一番前の席に座った。すぐ横に座っている藍葉さんが緊張した面持ちで、両手を膝の上でギュッと握って、ジッとイルカを見つめている。


わたしは相変わらず、イルカを見ながら時々藍葉さんの方も見つめていた。ジッとイルカを見つめている藍葉さんは、やっぱりわたしの視線に気づきそうにもなかった。わたしのことなんて、まったく眼中になさそうだ。


イルカが水飛沫しぶきをあげながら水面から浮上して飛び上がるのに合わせて、藍葉さんもほんの少し体を浮かせている。なんだか子どもみたいで可愛いかった。


藍葉さんと話すまでは、無口無表情の暗い子というイメージしかなかったけれど、関わり合いになればなるほど藍葉さんの可愛らしいところをみることができた。


こうして、校外学習が終わる頃にはわたしはすっかり藍葉さんと一緒にいることが楽しくなっていた。お土産で買ったペンギンのぬいぐるみを嬉しそうにこそっと抱きしめている藍葉さんを見て、わたしは声をかける。


「ねえ、藍葉さんちょっと近づいて」

わたしは藍葉さんに体を引っ付けて、スマホを構える。せっかくだから、記念にツーショットを撮っておきたかった。

「SNSにあげないでね」


藍葉さんはそれだけ言うと、わたしの指示通り体をくっつけてくれた。ミルクみたいに甘い匂いが漂ってくる。藍葉さんはぬいぐるみを抱きしめたまま、スマホのインカメラをジッと見つめていた。


パシャリとお土産コーナーの近くで撮った写真。楽しそうなわたしと、無表情の藍葉さんが写っている。終始無表情の藍葉さんは本当に今日一日楽しんでくれたのだろうか。少し心配になったから、尋ねてみる。

「楽しくなかった?」

「笑わないと楽しくないってわけじゃない」


いつも通り独特な言い回しだけれど、藍葉さんなりに楽しかったということで良いのだろうか。それならまあ良いのだけれど。


「後で送って」

藍葉さんが静かに言う。

「今の写真?」

「そう」

2人で撮った写真を欲しがるなんて意外だったけれど、わたしは素直に藍葉さんにメッセージアプリで写真を送っておいた。


自由時間が終わる間際に元々わたしも一緒に周る予定だった、同じグループの子たちと合流する。わたしがみんなから離れて藍葉さんと2人で周ることを選んでしまったから、少し気まずい。


わたしと藍葉さんが一緒にやってきたのを見て、友達のうちの一人がわたしに声をかける。

「インキャの面倒見るの大変だったんじゃないの?」

しっかりと藍葉さんにも聞こえるように言われた。


わたしが藍葉さんを取るのか、同じグループの子を取るのか、見定められている。藍葉さんは相変わらず、何も言わないし、表情も変えない。でも、そんなこと言われて良い気はしないと思う。


わたしが藍葉さんの敵になってしまうわけにはいかない。わたしは藍葉さんの手をギュッと握る。藍葉さんの小さくて、温かい手がほんの少しだけ震えているようにも感じられた。


「楽しかったよ。やっぱり水族館は良いよね」

わたしは笑顔で返答しておいた。彼女は小さくため息をついて、「あっそ」とだけ言って去って行き、他の子のいる場所へと向かう。多分、わたしは明日からグループからハブられるんだろうな。まあ、良いけど。


わたしと藍葉さんはまた2人になった。

「嫌な思いさせちゃったよね……」

「梅川さんのせいじゃない」

「でも、わたしが一緒にいたから、藍葉さんは嫌な思いをしちゃったわけだし……」

「一緒にいて受けた嫌な思いとは比にならないくらい楽しい思いをしたから、梅川さんのせいじゃない。わたしは今日梅川さんと一緒にいて楽しかった」


今までわたしの方をほとんど見なかった藍葉さんはわたしのことを見上げて、ジッと瞳を覗き込んでいた。ガラスみたいに綺麗な黒目がちの瞳がわたしを覗き込む。夕焼けに染まった藍葉さんの頬は、元々赤かったのに、さらに赤らんでいた。


なぜだかわたしの心臓の鼓動が普段よりも早くなっている。なぜだろう、藍葉さんに見つめられて、わたしは緊張してしまっていた。


「顔、赤いね」

藍葉さんがわたしの思っていたことを口にした。どうやら、わたしの頬も赤くなっているらしい。


「夕焼け空だからかな」

「そうだね」

藍葉さんが納得してくれて良かったけれど、わたしの頬が赤いのは多分夕焼け空だけのせいではないと思う。藍葉さんのせいでもあるのだと思う。

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