第3話 夕焼け空と赤い頬 1

海音と別れてから、わたしはそのまま自分の家に帰る気にもなれず、夕焼け空に照らされながら、近所の公園のブランコに一人で座っていた。当然、考えるのは藍葉さんのこと。


「やっぱりわたし、藍葉さんのこと好きなんだよね……」

ギーギーと音を立てる錆びたブランコに座りながら、ため息をついた。


告白する前から失恋した気持ちは、その後に海音に会ったおかげで少しは和らいだかと思ったけれど、やっぱり一人になるとまた辛くなってしまう。赤い空も相まって、なんとも言えない気分になる。


そして、こんな夜になりかけの赤い夕焼け空を見ると、藍葉さんに恋をし始めた頃のことを思い出す。藍葉さんと仲良くなるきっかになった日も、今みたいに夕暮れ時だった。


藍葉さんと初めてまともに話したのは、1学期の中間試験が終わってから少し経ったくらいの頃だった。数Ⅱで17点という、高校2年生になって初めてのテストにしてはハードな点数を取ってしまったわたしは、隣のクラスで追試を受け終わり、教室に戻るところだった。


「年々数学がダメになっていってる気がする」

中間の時とまったく同じテストであるというのに、35点しか取れず、追試の合格ラインである60点には程遠い点数を叩き出してしまっていた。明日も追試確定だ。


仲の良い子たちはみんな無事にテストをクリアして帰ってしまっているから、わたしは一人教室に戻って帰りの準備をするつもりにしていた。誰もいないはずの教室の扉を開けると、窓際の席に一人クラスメイトがいるのに気がついた。


「藍葉さん……?」

誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。


今年から同じクラスになった、いつも一人でいる子。勉強は学年でトップ成績の頭の良い子だから、追試で学校に残っているわけでもないだろうし、誰かを待っているわけでもないと思う。一体何をしているのだろうか。わたしはソッとそばに近づいてみた。


かなり失礼なことを言うと、普段藍葉さんは教室の中に空気みたいに溶けているから、これまで存在を意識したことはほとんどなかった。けれど、夕焼け空を見ながら頬杖をついて一人黄昏ている藍葉さんはかなり絵になるのかもしれない。アニメの中にいるみたいな気分になる。


小動物みたいに大きな黒目がちの瞳がどこを見ているのかわからなかったけれど、彼女はずっと窓の外をみて、ぼんやりとしていた。


「何してるの?」

声をかける気はなかったのに、つい声をかけてしまった。独特の世界観を持った彼女のことを放っておくことができなかった。


けれど、何も答えてくれなかった。彼女はわたしの言葉を華麗にスルーした。どうやら無視されたみたいで、わたしはため息をつく。藍葉さんが座っている席の目の前まで来たのに、なんだか恥ずかしい。


なんだか気まずいから、急いで自分の席に戻ってカバンをまとめて帰りの準備をしようとしたけれど、藍葉さんの席の目の前から動こうとしたら、藍葉さんが体を大きく震わせた。突然動いた藍葉さんを見て、わたしの方も驚いてしまう。


「え? 何ごと?」

わたしが言おうとした言葉が、なぜか藍葉さんの口から出てきた。

「何ごと……、ってわたしのセリフなんだけど……」

「だって、友花の前にいきなり人が……」


藍葉さんがか細い声で返してきた。あまり自分のことを名前で呼んでいる友達に会ったことがなかったから、優等生の藍葉さんの一人称が名前呼びなことには少しだけ驚いた。


「いきなりって、わたし声かけながら来たつもりなんだけど……」

「聞こえなかった」

藍葉さんよりもよっぽど大きな声を出していたつもりだけれど。


「わたしの声が聞こえないくらい集中してたって、一体何してたのよ」

「あそこ」

藍葉さんは人差し指で窓の外に生えている木を指し示した。窓の近くに生えている高い木に何があるのだろうか。


「木がどうしたの?」

「木じゃない。鳥」

もう一度しっかりと、今度は鳥に注目して見てみると、たしかに親鳥が小鳥に餌をやっているところが見えた。


「鳥の親子?」

「可愛いでしょ」

藍葉さんは夕焼け空に照らされながら、ほんの少しだけ口角をあげて、微笑んだ。藍葉さんの表情が緩んだ瞬間を初めて見て、少しドキッとしてしまう。


わたしの記憶の片隅にある藍葉友花という人物は、常に不機嫌そうな無表情だったからより一層藍葉さんの笑顔が可愛らしく見えてしまった。藍葉さんは次の瞬間にはまたいつものポーカーフェイスに戻っていたけれど、さっきの可愛い笑顔がわたしは忘れられなかった。


その時は、まともに会話したばかりだから、まだ明確には恋なんてしていなかったはずだけれど、後から思えばわたしは藍葉さんの不意の笑顔にすっかり魅入られてしまったのだと思う。


藍葉さんと初めて話してから2週間程したある日、わたしたちは校外学習で水族館に行くための班を決めることになった。


「校外学習の班、どうしよっか?」

同じグループの友達から聞かれて、わたしは悩んだ。来週学校の行事で校外学習で水族館に行くのに、5人で1つのグループを作らないといけないけれど、わたしたちのグループはは4人で一緒に行動することが多かった。


「藍葉さんに声かけても良い?」

わたしが提案すると、みんなの表情が曇る。

「なんで藍葉さん……?」

あまり藍葉さんを誘うことに対して歓迎ムードではなさそうだった。


クラスの子たちにとって、藍葉さんはとっつきにくくて無愛想な不思議ちゃんというイメージ。だから、残念ながらわたしの提案を聞いても、みんななかなか頷いてくれなかった。


確かに、不思議ちゃんというのは間違っていないかもしれないけれど、そんな不思議ちゃんなところが藍葉さんの可愛らしいところなのに。みんなに伝わらないこの気持ちがもどかしい。この間の独特な空気感と不意の笑顔にすっかり魅了されてしまったわたしは、是非とも藍葉さんと一緒に校外学習で行動をしてみたかった。


「もう一人で残ってる子藍葉さんくらいしかいないよ?」

わたしが念を押してからも、みんなまだ悩んでいた。藍葉さんが一人でいることを、誘うための大義名分にはしたけれど、わたしは藍葉さんが一人でなかったとしても誘いたかった。魚を見つめる藍葉さんは一体どんな顔をしているのだろうか、とっても気になってしまっていた。


ジッと反応を伺っていると、ようやく空気が動く。

「まあ、いっか」

ようやく一人がため息混じりに口を開き、みんなも渋々賛同してくれる。


「オッケー、じゃあ誘ってくる」

「菜々美、なんか嬉しそうだね」

不思議そうに尋ねてくる友達にわたしは曖昧な笑顔で返してから、藍葉さんの元へと向かった。


「ねえ、藍葉さん、郊外学習うちの班に入らない?」

藍葉さんはわたしのことを大きな瞳で見つめながら、小首を傾げた。

「どうして?」

「どうしてって……」


二つ返事で入ってくれるものだと思っていたから、疑問を持たれたことに対して、疑問を持ってしまう。もしわたしたちの班に入らなければ、藍葉さんはどこの班に入れてもらうつもりなのだろうか。


「理由がないなら嫌」

まさか、断られるとは思っていなかったわたしは一瞬キョトンとしてしまっていると、藍葉さんはわたしから顔を背けてしまったから、慌てて引き止める。


「ま、待ってよ、藍葉さん! 理由ならちゃんとあるから!」

藍葉さんはそっぽを向けた顔をまたわたしの方に戻してくれた。

「わたしはこの間ちょっと喋って藍葉さんに興味を持ったから、一緒に水族館周りたいって思って誘ったんだよ。そんな理由で藍葉さんは大丈夫?」

わたしが理由を伝えると、藍葉さんはあっさり頷いた。


「ちゃんと理由があるなら一緒に周る」

藍葉さんは先ほどとは打って変わって、素直に一緒に周りたがってくれた。

「良かった……。わたし、藍葉さんに拒まれてるのかと思ったから、ちょっとビックリしちゃった……」

ホッと小さくため息をついた。そんな様子を見て、藍葉さんは小さな声で言う。


「可哀想な友花でいるのは嫌なの」

藍葉さんはわたしのブレザーの袖をギュッと掴んだ。なんだか小さな子供みたいだ。よくわからないけれど、藍葉さんは納得してわたしたちの班に混ざってくれるらしい。

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