第2話 オレンジジュースと間接キス
藍葉さんに告白前に振られてしまったことで頭がいっぱいになってぼんやりしていたから、後ろから肩をいきなり叩かれて驚いてしまう。わたしは慌てて振り向いた。長い髪の少女が、明るい笑顔でわたしを見つめている。
「なんだ、
「あたしで悪かったね」
呆れたように笑いながら海音がわたしの二の腕のあたりを少し強めに押した。
「別に悪くはないって、そんな揚げ足とらないでよ」
わたしが苦笑いをしていると、海音がわたしの制服の袖を引っ張って進み、席に座らせる。
「もうわたしたち次で降りるんだから、座る意味なくない?」
「どうせおんなじお金払うんだから、立つよりも座る方がお得じゃん」
「なんだかケチくさい考え」
わたしはため息をついた。
海音とは中学から一緒で、高校になってからもそれなりに付き合いがあった。というか、現在の高校生活において、藍葉さんの次に仲が良いのが海音である。最近はもっぱら藍葉さんとばかり一緒にいるから海音とはなんとなく久しぶりに会ったみたいな気分になる。毎日のように廊下ですれ違っては一言二言話はするというのに。
「こうやってゆっくり話すのは久しぶりだね」
海音が話しかけてきたときには、もう電車が最寄り駅に到着するアナウンスが流れていた。
「ゆっくりは話せなさそう」
ゆっくり話す間も無く、もう降りないといけないじゃん。
やっぱり座る必要なかったんじゃない? なんて思いながらすぐに席を立つ。座ってすぐに立って、スクワットみたいだ。藍葉さんとは競歩みたいに早歩きで帰るし、海音とはスクワットするし、なんだか足腰が強くなりそうだ。
電車から降りて、毎日見ている屋根のない、太陽の光をそのまま浴びれる駅のホームに降りると、海音が話しかけてきた。
「ねえ、帰りにジュース買っていっていい?」
「別に良いけど」
改札口が一つしかない小さな駅で降りた乗客はわたしたちを含めて5人ほどだった。年季の入っている駅を出てすぐのところに置いてある自動販売機に海音がお金を入れる。わたしたちが一緒に帰る時には、大抵海音がここでジュースを買うから、わたしも一緒に購入する。
自動販売機の見た目が古いせいで、ジュースも古いのではないかと心配になるけれど、中はちゃんと補充されているらしくて、ちゃんと来年が期限のジュースが入っている。まあ、当たり前だけど。
「炭酸よく飲めるね」
「菜々美は昔から炭酸苦手だもんね。今日もいつもの?」
海音に尋ねられてわたしは頷いた。
ここの自動販売機にある、オレンジの粒々が入った缶ジュースがわたしは昔から好きだった。わたしは海音の後でオレンジジュースを買う。海音がプシュッと炭酸を開けたのに続いて、わたしも缶ジュースのプルタブを引っ張った。
「やっぱり暑い時は炭酸水に限るね。こんなに美味しいのにカロリーゼロ。最高すぎ!」
9月の下旬はまだ暑かった。海音の喉に流れていく炭酸は、飲めないわたしでもとても美味しそうに見える。わたしもオレンジジュースの缶に口をつけた。暑い日に飲む冷たいオレンジジュースは格別だった。
「それ、美味しそう。一口もらって良い?」
海音が手を出してきたから、わたしは缶を渡す。
「一口だけだよ? 全部飲まないでよ?」
「全部はヤバいでしょ。そんなガブガブ飲まないから大丈夫だって」
海音が笑った。
海音はわたしが一度口を付けた缶ジュースを気にせずに飲む。間接キスだ。海音の喉にオレンジジュースが流れていくのを見て、わたしは考えた。
藍葉さんは、女の子同士の恋が苦手ということは、こういう間接キスみたいなことも嫌なだのろうか。それとも、このくらいなら友達同士の範囲内として判断してくれるのだろうか? なら、ハグは? 手を繋ぐのは? 次々と変な疑問が湧いてきてしまっていた。藍葉さんは、一体どこまでが許容範囲なのだろうか。
わたしが藍葉さんのことを考えていると、頬に冷たい缶が当たって思わずヒャッと変な声を出してしまった。
「ボーッとしてたけど、どうしたの?」
海音がわたしにオレンジジュースの缶を返しながら、不安そうに尋ねてきた。
「ご、ごめん、ちょっと暑くてボーッとしてたかも!」
藍葉さんの限界について考えていたなんて恥ずかしくて、声が上擦ってしまう。明らかに挙動不審なわたしを見て、海音は顔を近づけてくる。瞳を覗き込むみたいにして見つめてきた。
「ちょ、ちょっと、顔近いよ!」
わたしが指摘したら、海音はさらに顔を近づけてきて、鼻先が今にも触れそうな距離にまで顔を近づけてきた。海音の呼吸がわたしの唇に触れていた。
「藍葉さんのこと?」
「え? ……え? いや、えっと……」
ぴょんっと後ろに1歩分ほど跳ねるようにして下がり、視線を逸らして口をぱくぱくさせる。海音には藍葉さんのことが好きなんて一言も言っていないのに、なぜわかったのだろうか。
「図星か」
海音がため息を吐いた。
わたしは考えていることをしっかりと当てられてしまい、視線を宙に彷徨わせた。そうだよ、わたしは藍葉さんのことで頭がいっぱいなんだよ、とも言えずに、弱々しく返事をする。
「い、いや、勝手に決めつけないでよ……」
「中学時代からずっと仲良くしてるんだし、取り乱した時の感情くらいはわかるよ」
海音は困ったように笑った。
「一体藍葉さんの何が菜々美を惹きつけてるんだろ」
「いや、だから勝手に藍葉さんのこと考えてたって体で話を進めないでよ……」
まあ、考えてたけど。
「じゃあ、わたしと間接キスしたことでエッチな気分になったとか?」
海音が楽しそうに尋ねてくる。
「そ、そんなわけないでしょ!」
わたしは思いっきり首を横に振った。間接キスのことは考えていたけれど、エッチな気分には断じてなっていない。
「残念だなぁ。エッチな気分になってるんだったら、舌絡ませたキスくらいならしてあげたのに」
「しなくて良いから!」
「ざーんねん」
海音がクスッと笑ってから、また真面目な顔をした。
「じゃあ、やっぱり藍葉さんのこと考えてボーッとしてたんだよね?」
「してない!」
「藍葉さんと間接キスしたらエッチな気分になる?」
「な、ならないし、藍葉さんは関係ないから!」
「でも、菜々美は藍葉さんのことは特別に思ってるよね? あたし、わかるよ。それはマジな話」
海音がほんのり口角を上げて、それなりに自信を持っている時の顔をしている。彼女の中で、わたしが藍葉さんを好きだと客観的にわかる何かがあるのだろうか。ちょっと気になってしまう。まさか、本当に顔に書いてあるとかじゃないよね……?
「……根拠は?」
「さっきまで一緒にいて、変な空気になってたから」
わたしは自分の顔が赤くなっていくのを感じた。藍葉さんと帰っていたところを見られていたのか。小さくため息をついてから、尋ねた。
「い、いつから見てたの?」
「女の子同士の恋の話をし出した時にはもうすぐ後ろにいたけど?」
割と序盤からいたらしくて、わたしは恥ずかしくてどんどん脈拍が早くなっていくのがわかる。
「な、なんで早く声かけてくれなかったの!?」
「声掛けようとしたんだけれど、なんか変な話題になってたし、空気が重たかったから声掛けれなかったんだって」
わたしはわたしで、どうしてそんな近くに海音がいたのに気が付かなかったのだろうか。多分、藍葉さんに夢中になっていたから、いろいろ考え事をしていて気付けなかったのだろう。やってしまった……。
「で、藍葉さんのことで何考えてたの?」
「だから、別に藍葉さんのことは関係ないって……」
ふうん、と海音が相槌を打ってから、続ける。
「でも、藍葉さんのことは好きなんでしょ?」
「す、好きって、そんな……。別に好きじゃないから!」
「嫌いなのに一緒にいるの?」
「嫌いじゃない!」
「じゃあ、好きなんじゃなん」
「べ、別に藍葉さんに恋してるとか、そんなんじゃないから!」
わたしは人通りがないのを良いことに、思いっきり大きな声で否定をしたけれど、その声を聞いて海音がキョトンとした顔をする。
「なんで恋とかそんな話になってるわけ?」
「な、なんでって、だって好きとか言うから……」
わたしの言葉を聞いて海音がニヤニヤしているのに気がついた。
「なるほどねぇ」
墓穴を掘ってしまった。好きを恋に勝手に変換して、一人で必死に否定するなんて、それじゃあわたしが恋愛対象として藍葉さんを見ているのを認めているみたいなものだ。
「待って、別にわたしは藍葉さんに恋してないから!」
「菜々美、どんどん認めちゃってるよ」
海音がケラケラと笑っていた。
「なるほどね。藍葉さんのこと好きだからわたしには最近冷たいってわけね」
「べ、別に冷たくはないでしょ?」
「昔は会うたびに抱きついてきたのに、最近は全然抱きしめてくれないじゃん」
「たまにハグはしてたけれど、そんな会うたびにってほどじゃないでしょ!」
「たまのハグすら最近はない気がするけど?」
「それは夏で暑いから汗かいちゃうからでしょ?」
「本当に?」
わたしは頷いたけれど、中学時代は夏でも気にせずハグをしていたから、本当は季節は関係ない。それはきっと海音もわかっている。
「じゃあ、今度藍葉さんの前でぎゅってしても良い?」
「だ、だからなんでそこで藍葉さんが出てくるの!」
「やっぱり藍葉さんの前ではダメ?」
「別に藍葉さんとわたしは何も関係ないから、好きにしたらいいよ」
「言ったな?」
「言ったよ!」
わたしの答えを聞いて、海音は楽しそうにニヤついていた。
わたしは強がったけれど、内心少し不安だった。ただ、藍葉さんが目の前で女の子同士が戯れ合っているところを見てどういう反応を示すのだろうかという興味が湧いたことは否めなかった。
嫌がるのだろうか、それとも、他人のイチャつきなら特に気にせず受け入れるのだろうか。もしかしたら、そこに藍葉さんの百合嫌いを克服させるきっかけとかもあるのではないだろうか。だとしたら、調査する価値はありそう。少なくとも、このまま負け確でいるよりもは、ずっと良い。
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