第9話 キューピット海音 2

10分ほど歩いてパンケーキのお店に入り、4人席に座って向かい合う。わたしと海音が横に座って、向かい側に藍葉さん。向かい合ってはいるけれど、藍葉さんは基本俯いているから、あまり目は合わなかった。


普段は目が合わないのはなんとなく物足りないけれど、今日はその方が助かる。わたしは藍葉さんのことを変に意識してしまっているから、目があったら間違いなく緊張してしまう。仮にジッとこちらを見られても、わたしの方から目を逸らしてしまう気がするし。


「わたしはスペシャルパンケーキにする」

真っ先に海音が宣言した。果物がたくさん乗った、一番高いやつ。


「この前お金ないって言ってたのに、大丈夫なの?」

「へーきへーき、この間テストで良い点取っておいたから、ママから臨時お小遣いをゲットしたのだよ」

海音がわたしにVサインを作ってきた。


「せっかくの臨時お小遣いとやらをパンケーキに突っ込んじゃうなんて、海音らしいけどさぁ……」

わたしはため息をついてから、いちごのパンケーキを指さして、「これにするから」と伝えておいた。


「藍葉さんはどうするの?」

わたしはメニュー表をジッと見つめている藍葉さんに尋ねた。

「悩む」

「ゆっくり選んだら良いからね」

「藍葉さんもスペシャルパンケーキにする?」

わたしに続いて、海音が言う。


「どれも捨てがたい」

藍葉さんはジッとスペシャルパンケーキを見つめた後に、頷いた。

「プレーンパンケーキにする」


藍葉さんは生クリームだけが乗ったシンプルなパンケーキを選んだ。それを見て、海音が楽しそうに微笑む。

「ほほう、藍葉さん、なかなか通だね」

藍葉さんが頷いた。

「素材の味を楽しみたい」


とりあえず、2人とも気が合いそうな感じでホッとする。やっぱり今日は海音についてきてもらってよかった。


藍葉さんは運ばれてきたパンケーキをジッと見つめてから、恐る恐るナイフで切った一切れを口に運ぶと、「わぁ」と小さな声を出していた。鳥以外で藍葉さんが感情を表に出すのは珍しい。パンケーキを気に入ってくれたみたいで良かった。


「美味しい」

「満足してくれて良かったよ」とわたしも喜ぶ。わたしの横では、スペシャルパンケーキで頬を膨らませた海音が大きく頷いていた。


「あんたね、もうちょっとゆっくり食べなさいよ」

「おいひいものはついあわへへたへひゃう」

よく聞き取れなかったけれど、多分「美味しいものはつい慌てて食べちゃう」と言ったのだろう。

「とりあえず、口の中に物を入れて喋るのやめなさい……」


海音が頬張っている間にも藍葉さんは一口ずつ小さく切り分けて食べていた。なんだか小動物みたいで可愛らしくて、わたしはつい視線を向けてしまう。

「可愛い……」と小さく呟いてしまった声は海音だけに聞こえたらしい。わたしの声を聞いてから、海音がクスッと笑った。


「心の声漏れてるよ」

「う、うるさいわね!」

そんなわたしたちの会話なんて眼中にないかのように黙々とパンケーキを食べ進めて行っている藍葉さんも小さく声を出す。


「美味しい」

それを聞いて、海音がわたしの方を見る。

「こっちも感情漏れてるし、2人とも似たもの同士だね」

藍葉さんと似たもの同士なら、嬉しいなと思う。


わたしたちはパンケーキを食べ進めた。甘いパンケーキに気持ちがすっかり油断しきっている時に、海音が突然思いもよらないことを尋ね出した。


「ねえ、藍葉さんって好きな子とかいるの?」

わたしは真横にいる海音の方を横目で睨んだ。海音はいったいなんとふざけた質問をしているのだろうか。頷かれたら嫌なんだけど。わたしはもう失恋が確定しているのだから、さらに傷口に塩を塗るみたいなことやめて欲しいんだけど……。


海音の質問を聞いて、藍葉さんがいつものように首を傾げた。

「どうして?」

「純粋に気になっただけだよ」

藍葉さんがジッと悩ましげに宙を見る。


「そんな質問、無理に答えなくて良いからね?」

答えたくなさそうな藍葉さんに対して慌ててフォローを入れるけれど、その言葉がすっかり自分の世界に入り切っている藍葉さんの耳に届いているのかはわからなかった。


しばらく彷徨っていた視線がまたこちらに帰ってくる。そして、わたしと一瞬目があってドキリとしたけれど、そのまま海音のことを真っ直ぐな瞳が見据えていた。

「いるよ」


わたしは空いた口が塞がらなくなる。ほら、やっぱりそんなこと聞かなければ良かったのに。そのまま背もたれに深くもたれかかった。


わたしのショックな気持ちなんて気にせずに、海音は微笑んだ。

「やっぱりね。そうだと思ったよ」

藍葉さんに好きな子がいると想定した上でわたしの目の前で藍葉さんに恋バナをふっかけるなんて、もしかしたら海音は性格が悪いのかも。ちょっと呆れてしまった。


「ねえ、誰が好きか聞いても良い?」

さらに海音が楽しそうに藍葉さんに尋ねる。

「えっ」と藍葉さんが珍しく困惑の表情を見せる。

「どうしよう」と藍葉さんがかなり困っている様子だった。


「言わなくていいよ。海音が揶揄ってるだけだから」

「あたしは別に揶揄ってるわけじゃないんだけどなぁ。ただただこの世界から報われない恋が少しでも減って欲しいだけ」

海音が満足気に言うけれど、藍葉さんの好きな人を知ったところで、わたしの恋が残念な結末を迎えるだけではないかと思い、少しムッとする。


「ま、教えてくれないんならそれでもいっか」

海音が諦めてくれてホッとしたけれど、まだまだ海音の突飛な行動は終わらなかった。わたしの顔の前に、一口大に切ったスペシャルパンケーキとフルーツを持ってくる。


「何のつもり……?」

「口開けないと食べられないよ?」

「い、良いよ。わたしは自分のあるし」

「そんなこと言わないでって。ほら、美味しいから」


海音に促されて、わたしは仕方がないから口を開ける。開いた口に入れられた果実の乗ったパンケーキは確かに美味しい。


「ね? 食べて良かったでしょ?」

「良かったけど……」

小さくため息をつく。突然どうしたのだろうか。


「さ、今度はあたしに一口ちょうだい」

海音が大きな口を開けてくる。まあ、一口もらってしまったし、諦めて口に入れてみた。海音の口にパンケーキが収まると、海音が嬉しそうに声をあげた。

「やっぱり美味しいね〜」


そんなわたしたちのことを藍葉さんがほんの少しだけ不機嫌そうにジッとみていた。それもそのはずだ。藍葉さんは多分女子同士で過度なスキンシップを見るのも苦手だろうから。


わたしは慌てて背筋を伸ばして藍葉さんに向き直る。わたしと一瞬目があった後、藍葉さんがポツリと呟く。


「帰りたい」

「用事とかあるの?」

「ない。暇」


藍葉さんはまた静かになった。本気で帰ろうとしている様子ない。一体さっきの呟きは何だったのだろうかと少し不思議には思ったけれど、またいつもの藍葉さんに戻ったみたいだ。


深くは気にせず、パンケーキを食べ続けていると、藍葉さんが小さな声で呟く。

「ねえ、友花のパンケーキも美味しいよ」

一番普通のやつだから、味はなんとなく想像つくけれど、藍葉さんはわたしの方に一口サイズに切ったプレーンパンケーキをフォークにさして持ってくる。


「口開けて」

間接キスみたいになってしまうけれど、大丈夫なのだろうか。


「良いの……?」

「食べてくれなきゃ嫌」

「……わかった」


藍葉さんが良いなら、わたしは大歓迎。藍葉さんの伸ばしてくれたフォークに口元を近づけた。

「美味しいね」

シンプルな味わいだけれど、生クリームとパンケーキが同時に口の中で混ざり合って美味しかった。


「ありがとう」とお礼を言ったのと同時に藍葉さんが目を瞑って口を大きく開けていた。なんだか餌を待つ雛鳥みたいで可愛らしかった。


「わたしのも欲しいの?」

藍葉さんが頷いたから、わたしも一口分渡す。苺の配分を多くして、口元に持っていく。パンケーキが口の中に入ったら、藍葉さんが口を閉じた。パンケーキを咀嚼しながら、頬を押さえて微笑んでいた。


「美味しい」と言う小さな声はいつもと変わらず感情はこもっていなかったけれど、顔は満足気だった。可愛いな、と思ってもう一口パンケーキを食べさせてあげたくもなったけれど、あんまり出過ぎたまねをするのもよくないかと思い、やめておいた。珍しく嬉しそうな藍葉さんの表情が見れて満足な気持ちの中、パンケーキを食べ進めたのだった。


「この後どうしよっか」

「カラオケとかで良いんじゃない?」

海音が答えたから、藍葉さんをチラリと見た。


「藍葉さんカラオケで大丈夫?」

「梅川さん、カラオケ好きなの?」

「えっと……、まあ、結構好きだけど……」

藍葉さんが大きな瞳をこちらに向けてから、頷く。


「じゃあ、友花カラオケ行きたい」

「よしっ、じゃあ決まりだね!」

海音が楽しそうに声を出した。とりあえず、藍葉さんがまだ帰らなくても良いみたいで助かった。

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