第10話 キューピット海音 3

カラオケ店までは、パンケーキのお店から5分ほど歩いたら到着した。全国展開している普通のカラオケ店に3人で入る。近くに学校が多いからか、寂れた駅の周辺地域の割にはいろいろと遊べる場所があるのはありがたい。


「藍葉さん、どんなの歌うの?」

藍葉さんに尋ねてみたけれど、藍葉さんは困ったように首を傾げていた。

「普通の」

わたしも藍葉さんみたいに首を傾げてしまった。普通のって、どう言う意味だろうか。


「友花、梅川さんの歌聞くだけでいい」

「なんか恥ずかしいからやめてよ……。わたし、歌上手くないんだから。ちゃんと藍葉さんも歌ってよね!」

藍葉さんは、わかった、と小さく頷いた。


とりあえず、部屋の奥から海音、わたし、藍葉さんの順に横並びで席についた。席について真っ先にデンモクを触り出したのは海音だった。

「よっしゃ、じゃあわたしから歌っちゃうね!」


海音が最近流行りのJ-POPの曲を入れる。わたしも藍葉さんも先に歌うって感じのタイプじゃないから、海音がいてくれて助かる。


海音が入れたのはCMでも聞いたことのあるような誰でも聞いたことのあるような曲。無意識のうちに体がリズムに反応して小さく動いてしまう。ちゃんと盛り上がりそうな曲を入れてくれるから、やっぱり海音とのカラオケは安心である。


「藍葉さん、先歌う?」

海音の上手な歌を邪魔しないように、藍葉さんの耳元で尋ねた。藍葉さんが首を横に振るから、その度に藍葉さんの短い髪の毛が鼻先をくすぐってきて、ふわりと甘いミルクみたいな匂いがした。


「わかった。先に歌うね」

藍葉さんが拒んだから、わたしが先に歌う。とりあえず有名なボカロ曲を入れてみた。海音が終わってから歌う。


「藍葉さんも何か入れておいてね」

イントロ中に藍葉さんに伝えると、藍葉さんは困ったように頷いて、迷わずデンモクに曲名を入れていた。そして、曲がサビに入ってきた時に予約曲が表示された。

『翼をください』


なるほど、とわたしは一人で頷いた。藍葉さんらしいと言えばらしい選曲。わたしが歌い終わった後に、藍葉さんはみんなが知っている最強の有名ソングを歌って97点という、この日わたしたちの中で最高得点を叩き出していた。その日、藍葉さんは一通りの音楽の授業でよく聞くような合唱曲を入れ続けて、高得点を出し続けていたのだった。


「藍葉さんヤバいね。歌めっちゃ上手かった」

帰り道、海音が感心していた。

「音楽のテストの時にいっぱい練習したから歌えただけ」


真面目な藍葉さんなら歌のテストの時にも事前準備は怠らなさそうだし、上手かった理由に納得する。まさかこんなところで音楽のテストに真面目に備えてきた効果が出るなんて、きっと藍葉さん自身も想定していなかっただろう。


「ね、ちょっと公園寄ってかない?」

海音が提案する。

「公園って、子どもじゃないんだから……」

「別にちょっと座るだけだよ。あたしまだ帰りたくないし」

海音が微笑んだけれど、藍葉さんはパンケーキを食べている時から帰りたがっているし、時間は大丈夫なのだろうか。


「藍葉さん、大丈夫? 公園寄りたくなかったら、無理に寄らなくてもいいからね?」

「梅川さんは寄っていくの?」

「そのつもりだけど」

「じゃあ、友花も行く」


藍葉さんは頷いたから、わたしたちは公園に寄ることになった。3人で詰めてベンチに座る。体を密着させてくるようにして座る海音と、バレーボール一個分くらいの距離を空けて座る藍葉さん。その2人に挟まれるようにして、わたしは真ん中に座らされた。


「ね、菜々美。今日は楽しかったね!」

海音がわたしの方に体をもたれ掛けさせるようにして座ってくる。海音の頭が乗っかった肩が少し重たかった。海音はいつもわたしと距離が近い。


「藍葉さんも、今日は楽しんでくれた?」

海音がわたし越しに藍葉さんに話しかけた。藍葉さんは横で小さくうん、と頷いていてから続ける。


「梅川さんたちと一緒に遊べて楽しかった。ありがとう」

「満足してくれて何よりだよ〜」と海音がわたしの方にさらに体を強くもたれ掛けさせながら言っていた。おかげで、鼻先に髪の毛が触れてこそばゆかった。


「もうっ、近いって」

海音のことを押して体から離そうとしたら、逆に海音がわたしの首元にグッと手を回してきて、全身を密着させてきた。


「ねえっ、今の聞いてた? もっと近くしてどうするのよ……」

海音とは逆方向から、なぜか息を呑むような声が聞こえてくる。密着されているのはわたしだから、藍葉さんが困る必要はないと思うけれど。とりあえず、わたしは海音のことをもう一度押し退けようとしたのに、その前に海音が耳元で囁いてくる。


「ねえ、キス、して良い?」

「ちょ、ちょっと海音! 本当にどうしたの?」

わたしが海音を本気で押し退けるために、海音の方に体を向けた瞬間に、海音がわたしの方にグッと顔を近づける。


本当にキスをするのかと思った。それくらい顔が近い。海音の呼吸がわたしの唇に触れている。けれど、実際にはギリギリで止められていた。海音は本気ではわたしにキスをするつもりはなかったみたいだ。揶揄ってきていただけかと思い、体の力が抜けかけた瞬間に、藍葉さんの口から今まで聞いたこともないような大きな声が聞こえた。


「や、やめて!!」

「藍葉さん!?」

藍葉さんが両手で耳を塞いで目を瞑っている。


「ね、ねえ、藍葉さん大丈夫?」

一体どうしたのだろうかと思った瞬間に、理解が追いつく。藍葉さんは百合が苦手なはずなのに、今の海音の行動は、どう考えても百合展開じゃないか!


「ご、ごめんね藍葉さん!」

両手を耳から離した藍葉さんに必死に謝ったけれど、藍葉さんが目を潤ませている。

「そ、そんなに嫌だった!?」

「嫌に決まってるよ! わたしの目の前で梅川さんが人とキスしてるところ見せないで!」


いつも静かな藍葉さんの口から出ているとは思えないような声量に驚いてしまう。一体全体どれくらい嫌だったのだろうか。


「そ、そうだよね……。ごめん」

藍葉さんの剣幕に圧されて、つい反射的に謝ってしまった。これでは実際にキスをしてしまったのを認めてしまっているみたいだ。実際にはキスはしていないのに……。


「謝らないでよ!」

藍葉さんが立ち上がって、潤んだ瞳でわたしを見つめた。

「先帰る」


それだけ言って、こちらにくるりと背中を向けて、藍葉さんは走り去ってしまった。有無を言わせぬ強い言い方をされて、わたしは引き止めることもできずに、呆然と藍葉さんを見つめていた。


「やっちゃった……」

海音と2人で残されたわたしは頭を抱えた。

「まあ、そんなに落ち込まなくて良いんじゃない?」

元々は海音がキスなんてしようとしたから、藍葉さんが怒ってしまったのに、随分と呑気そうな海音に苛立ってしまう。


「藍葉さん誤解しちゃったじゃん!」

「誤解は月曜日に解こうよ。あたしも一緒に証言するからさ。ほんとはキスしてないよ、菜々美のファーストキスはまだだよって」


中学時代から仲が良い海音は、わたしが藍葉さんに出会うまで人を好きになったことがないということもよく知っている。藍葉さんを怒らせたかもしれないから、心配で今日は一緒に遊びに行ったのに、逆に本当に怒らせてしまうことになるなんて。海音の過度なスキンシップには呆れてしまう。ただ、海音の行動がいつもと違う部分もあったから、気になってしまった。


「なんで、今日は藍葉さんの前であんなことしたの?」

普段、海音がわたしに過度なスキンシップを取るのは2人きりの時だけだったのに。


「そうでもしないと、菜々美の初恋が上手くいかないかなって思って」

「初恋が上手くいかないかなって……。むしろ海音がキスなんてしようとしたから、藍葉さんが怒っちゃったんだけど!」

「なんであたしがキスをしたら、藍葉さんが怒るの?」

海音はなぜか、呆れたような口調で尋ねてくる。


「そりゃ、藍葉さんが百合が苦手だからでしょ? 目の前で突然抱きついたり、キスしたりされたら嫌なんじゃないの?」

「そうかな? この間わざわざ藍葉さんがどこまでいけるか試したのに、まったく嫌な反応なかったんでしょ? それに、今日はわざわざパンケーキを食べさせ合いまでしてたわけじゃん。それなのに、百合が苦手っていう理由で、他人のキスで本当にそこまで感情的になるかな? 普段の藍葉さんの感情の機微から考えたら、あれはかなり感情爆発させてたよね。実際にキスをしたとしても、本当に百合が苦手なことが理由だったら、そこまで怒らないと思うけど?」


「だとしたら、なんで藍葉さんがあんなにもムッとしてたっていうの?」

「さあ、なんでだろうね?」

海音がわたしの顔を覗き込んで尋ねてくる。まるでわたしのことを試すみたいに。


「なんでだろうねって……。それがわかったら苦労しないよ」

わたしは大きくため息をついた。


「藍葉さん、多分月曜日は何事もなかったかのように菜々美と仲良くしてくれると思うよ?」

「なんでそんなこと言えるのさ……」

「勘」

「勘って……」

なんと適当な根拠だろうか。思わず呆れてしまう。


「でも、あたしの勘結構当たるよ」

はいはい、とため息混じりに答えておいた。一体全体どこまで信用して良いことやら……。

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