第8話 キューピット海音 1

「さ、ゆっくり話を聞かせてみなさい」

海音が窓を正面にした横並びの席で、わたしの横に座って催促してくる。わたしが落ち着いてから、話を聞くと言って、海音とファーストフード店に入ったのだった。日は暮れていても、街はまだまだ明るかった。


「話って言われても……。藍葉さんにキスしようとしたら、嫌われた。そんだけだよ」

わたしのため息と、海音がコーラを吸う音がかぶる。


「え? もしかして、あんたたちいつの間にか付き合ってたりしたの?」

海音の話すトーンが一段階上がった。

「そんなわけないでしょ? 藍葉さんがわたしのこと愛してくれる訳ないんだから……」


「じゃあ、付き合ってないけどキスしようとしたわけ?」

「そうだよ。わたし、試してみたの。藍葉さんがわたしのことどこまで許容してくれるか」

カバンの中から例のノートを取り出して見せた。ハグから口以外のキスにまでチェックの入ったノートを。


「これ、チェックついてるやつは全部やったってこと?」

わたしが頷くと、海音は頭を押さえて、ため息をついた。

「変な実験のために付き合ってもないのにキスしようとしたら、嫌な思いされてもおかしくないでしょうに……」


「変な実験のせいとかいうか、そもそも藍葉さんは女の子同士でキスとかするのが苦手なんだと思うよ。それなのに、わたし……」

俯いていると、海音が「そう落ち込むなって」と声を出す。


「ハグとかは許容してくれてるんなら、少なくとも友達としての菜々美には拒否感ないんだし。普通に謝って仲直りしたらいいんじゃない?」

「今日嫌われちゃったじゃん……。拒否感も出てるかもしれないよ……」

「大丈夫でしょ。月曜日学校行った時に普通に謝りなよ。土日挟んだら藍葉さんもすっかり忘れてるんじゃない?」

「土日の間、わたしは胃を痛め続けないといけないってこと?」

ジトっとした瞳で見つめると、海音がため息をついた。


「じゃあ、明日遊びにでも誘ってみたら?」

海音の提案を聞いて、わたしは思いっきり首を横に振った。

「ねえ! ずっと聞いてた? わたし、藍葉さんと絶賛喧嘩中なんだよ? 遊びになんて誘える訳ないでしょ!?」


「別に怒ってないと思うけどねぇ……」と海音はため息混じりに呟いてから、続ける。

「じゃあ、わたしも付き合おっか?」

「えぇっ!?」

「わたしも横にいたら藍葉さんと会う時も緊張しないだろうし、トラブりそうになったらわたしもフォローしてあげられるし」

「うーん……」


藍葉さんとこの状況で会うのは緊張してしまうけど、海音が一緒ならまだマシかも。わたしは恐る恐る頷いた。

「わかった、じゃあ3人で遊ぼっか」

「よし! そうと決まれば、早く藍葉さんに連絡しなさい!」

うん、と小さく頷いて、藍葉さんにメッセージを送ろうとしたけれど、送信ボタンを押す直前で緊張して指が止まってしまった。


「やっぱり無理かも……」

「ちょっと、ここまできて日和らないでよね。あたしがついてんだから大丈夫だってば! ちょっと貸しなさい」

海音は躊躇なくわたしのスマホを奪ってしまった。


「あ、ちょっと!」

「はいっ、送信っと」

「わあ……」

海音が押してしまったのを見届けて、わたしは呆然と海音の手元を見つめる。


「後は返信を待とうか。藍葉さんって返信遅そうなイメージだけど」

「うーん……、まあ海音よりもは遅いかも」


いっつもメッセージを送った瞬間に返信をしてくる海音とは違って、藍葉さんは宿題中とか何か作業をしている時には全然メッセージを見ないから、返事はすぐに帰ってこないかもしれない。そう思ったけれど、海音にスマホを返してもらった瞬間に、藍葉さんからメッセージが帰ってきた。


『行く』

いつものように短い感情の伝わらないメッセージだけれど、こんなに早くメッセージが返ってくるのは珍しいかも。


「まったく怒ってなくない?」

一緒にメッセージを見ていた海音がケラケラと笑う。たしかに、怒っていたらこんなにも爆速で肯定的なメッセージを送ってくることは無いのかも。わたしはちょっとホッとした。おまけに、明日は土曜日なのに藍葉さんに会えるのだから、むしろラッキーかも。


「そういえば、わたし藍葉さんと一緒に遊びに行ったこと無かったな」

今更だけど、藍葉さんと休みの日に遊びに行くのは初めてだ。

「怪我の功名かもしれないな」

わたしがホッとため息をつく。


「藍葉さんと一緒に遊びに行けるの嬉しいの?」

「うん!」と大きく頷いた。

「じゃ、あたしはお邪魔虫じゃない? 明日やめとこうか?」

海音が困ったように笑ったから、わたしは思いっきり首を横に振った。


「ダメだって! わたし、今藍葉さんと2人きりになるの緊張しちゃうんだから、一緒に来てよ! それに藍葉さんもわたしと2人きりじゃないから一緒に来てくれるって言ったのかもしれないし!」

「冗談だって、そんな真剣にならないでよ。あたしも行くよ、菜々美と一緒に遊びたいし、菜々美の愛する藍葉さんがどんな子なのかもちゃんと見てみたいし」

海音がちゃんと一緒に来てくれるみたいで、わたしはホッと息を吐いた。藍葉さんと2人きりだとドキドキして上手く話ができないかもしれないから。


「海音が一緒だと頼もしいよ」

「任せてなさいよ。あたしが菜々美と藍葉さんのキューピットになるからさ!」

「キュ、キューピットって……。それじゃあ、わたしが藍葉さんのこと好きみたいじゃん!」

「……ねえ、さっきまであんだけキスだの嫌われちゃっただの心配してたのに、まだ隠し通せてると思ってるの?」

海音が呆れたように尋ねてくる。


「ていうか、もっと前からあんたの藍葉さんへの態度でなんとか好きそうなのわかってたし」

海音に言われて、わたしは恐る恐る頷いた。

「好きだよ……」

「知ってるよ」

海音が呆れたように笑った。


翌日、土曜日になり、待ち合わせ場所にしていたわたしたちの最寄りの駅前の噴水の近くには、予定時間の20分前についてしまった。藍葉さんにはわざわざこちらに来てもらって少し申し訳ない。


「ちょっと早く来すぎちゃったかも……」

そう思ったのに、すでに藍葉さんは待ち合わせ場所でぼんやりと立っていた。いつものようにどこを見ているのかわからないようなふんわりとした雰囲気に癒される。わたしも急いで合流しようかと思ったけれど、足が止まる。


昨日の目を瞑った藍葉さんの可愛らしい顔が脳裏に浮かんで止まってしまった。今2人で一緒にいて、まともに話せるかもわからなかったし、横で不自然に震えてしまったりしそうで、変な子だと思われてまた嫌われちゃうかもしれない。


わたしは海音を待ちながら、物陰からこっそりと一人で待っている藍葉さんのことを見守ることにした。わたしが見守っている間、藍葉さんはじっと近くにいる鳩を見ていた。時々口元を緩めたり、しゃがんだりしながら、鳩を見つめている。そんな藍葉さんを見ながら、わたしも口元を緩めてしまう。


「本当に可愛いなぁ……」

結局、約束の時間の3分前ほどになって、海音がやって来た。メンバーも揃ったことだし、わたしもそろそろ行こうかと思ったけれど、その前になぜか藍葉さんがこちらを指差したように見えた。いつもの無表情で、人差し指をこちらに向けた後、海音もこちらに顔を向けた。


「ほんとだ! ねえ、菜々美! いるんだったらこっち来なよ!」

海音がわたしの方に向かって大きな声を出して、手を振った。どうやら藍葉さんに、わたしがいたことがバレていたらしい。わたしは2人に目を合わせられないまま、小走りで噴水のところに向かった。


「……藍葉さんはどこから気づいてたの?」

「20分前くらいから」

「……最初から気づいてたんだね」

「梅川さんのこと、見逃す訳ない」


わたしはドキリとした。顔を見ても普段通りだし、言い方にも感情はこもっていないから、ニュアンスはわからなかったけれど、藍葉さんがわたしのことを見逃すわけない、なんて言ってくれて嬉しかった。そんなドキドキしっぱなしなわたしに海音が話しかけてくる。


「でも、菜々美はなんであんな遠くにいたわけ?」

「いや、その……」

歯切れの悪いわたしの表情を見て、海音が微笑んだ。何かを察したみたいだった。


「まあ、いっか。変なこと聞いて悪かった」

クスッと笑ってから、海音が「じゃ、行こっか」と提案する。


「どこ行くの?」と藍葉さんが尋ねた。

「わたしたちの地元に超美味しいパンケーキ屋があるから、そこで良い?」


わたしの問いかけに、藍葉さんは小さく頷いた。わたしと海音は中学の頃から度々訪れていたけれど、藍葉さんと一緒に行くのは始めただった。


「藍葉さんって、甘いものとか食べるの?」

海音が尋ねると、「あんまり食べない」と藍葉さんが答えた。


「甘いもの苦手なんだったら、やめとく?」

「甘いものは好き。でも、食べすぎたら虫歯になるから食べないだけ。たまになら大丈夫」

「なるほど」とわたしたちは頷いた。やっぱり藍葉さんは優等生だ。

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