第12話 テスト勉強に百合を添えて 2

電車の中では、藍葉さんはいつも以上に静かだった。英単語の本を赤シートで隠しながら静かに読んでいる。わたしも藍葉さんの邪魔をしてはいけないと思い、藍葉さんを真似て、普段は電車で勉強なんてしないのに、同じように英単語の本を開いた。


けれど、隣から漂う藍葉さんの柔らかい匂いに邪魔をされて、集中なんてできそうになかった。ただぼんやりと無意味に英単語を眺めているだけの状態になっている。


藍葉さんの家までは、各駅停車で学校最寄駅から2駅で着くから、単語の勉強なんてする暇はないくらいの時間だけれど、藍葉さんはその時間すら有効活用するみたいだ。さすが優等生。あっという間に最寄駅について、わたしは藍葉さんと共に電車から降りた。


「藍葉さんの家ってここから遠いの?」

藍葉さんは首を横に振った。

「もう着く」

藍葉さんが指で差し示した先にあるマンションが藍葉さんの家らしい。


エントランスを通り、エレベーターに乗り、少しずつ藍葉さんの家が近づいてくる。藍葉さんの家に行く実感が湧いてきて、緊張してしまう。藍葉さんは鍵を開けて、ドアを開ける。


「ただいま」と小さな声で藍葉さんが言うのに続いて家に入る。

「お邪魔します」

「どうぞ」と真横で藍葉さんが返す。家の中には誰もいないらしい。

「ママもパパもお仕事だから、好きに使ってもらっていいよ」


藍葉さんは部屋に案内してくれたから、わたしは部屋に入る。藍葉さんの部屋は綺麗に片付いていて、床に何も物が落ちていない。漫画をそのまま床に置きっぱなしにしているわたしとは大違いだ。


大きな本棚が2つあり、そこに参考書や小説や漫画を一緒に入れている。藍葉さんも漫画を読むなんて、なんだか意外だな、と思ってから、勉強机の方を見たら、藍葉さんがハッと息を呑む音がしたのが聞こえた。一体どうしたのだろうかと思ったけれど、その瞬間に藍葉さんが、わたしに普段よりも少しだけ大きな声で言う。


「ちょっと外出てて」

「え?」

「出てて」

藍葉さんがジッとわたしのことを見つめて、圧をかけてきた。

「……わかった」


突然部屋から追い出されてしまった。一体何があったのかわからないけれど、わたしは言われるがままに部屋の外に出た。藍葉さんはわたしを外に出したものの、10秒ほどしたら、ドアを開けてくれたのだった。一体その短時間で何をしたのだろうか。


「入っていいよ」

部屋に入ってみたけれど、さっきと何も変わっていないように見えた。けれど、藍葉さんは何か部屋の中を変えたようだ。


「何か見られたらマズイものでもあったの?」

わたしが冗談半分で尋ねたのに、藍葉さんが頷いた。

「あった」

答えを聞いて、苦笑いをする。そういうのって、普通誤魔化したりしないのだろうか。


とはいえ、藍葉さんが見られてはいけない何かを部屋に置いているところはあんまり想像できない。そもそも、藍葉さんの中に見られてはいけないという概念があったというのも、少し意外だった。まあ、詮索するのも悪いし、この話はあまり触れないようにしようと思う。


わたしは藍葉さんと向かい合って勉強を進めていく。一緒に勉強しようとは言ったけれど、藍葉さんが目の前にいるのに、集中できる気がしない。


藍葉さんが小さな手でペンを走らせて、ノートに書いている筆記体の英語がとても綺麗で憧れてしまう。わたしは英単語をくっつけて書こうなんて気になったこともないけれど、藍葉さんが筆記体で書くのなら、わたしも練習してみようかな、なんと思う。


可愛らしいピンク色の唇を少しだけ、への字にして、問題を熟考している藍葉さん。藍葉さんみたいに主張の弱い小さな鼻からはかろうじて呼吸をしている音が聞こえてくる。そして、長いまつ毛のついた大きな目をぱちぱちと瞬かせて、問題を見つめている。


どこを切り取っても可愛らしい藍葉さんに見惚れてしまい、集中して勉強なんてできないよぉ! なんて思っていると、藍葉さんがわたしの方をチラッと見たことに気がついた(ジッと見ていたせいでほんの一瞬藍葉さんがこっちを見たのにも気がついてしまったみたいだ……)。しっかりと目が合ってしまって気まずい。藍葉さんはいつものように無表情で首を傾げた。


「わからないところあるの?」

「えっと……。そう! わからないとこあるの!」

わたしは誤魔化すために、慌ててノートの適当な場所を指差した。その指差す先を見て、藍葉さんが「えっ」と小さく声を出した。わたしも指差している先を見て、同じようにえっ、と声を出した。


『藍葉さんとキスする方法』


この間、藍葉さんがどこまでいけるのか作戦を決行する際に、授業中に対策を考えていた時に、ついメモしてしまったやつだ!


「ま、待って!!」

慌てて机に乗っかって、体全体でノートを隠した。これはさすがに本当にドン引きされてしまう。藍葉さんが百合が苦手じゃなくても引かれてしまうやつだ。怖くて顔を上げられずにいたけれど、恐る恐る顔をあげて藍葉さんのことを見上げた。


下から見上げたから、基本俯きがちの藍葉さんと珍しく目が合ったけれど、普段目が合ってもとくに反応のない藍葉さんが初めて露骨に自分から視線を逸らした。


「……見ちゃった?」

わたしが尋ねると、藍葉さんは恐る恐る頷いた。こんなに怯えたように頷く藍葉さん初めてだ。わたし、今度こそ嫌われちゃったよ……。


「今の見なかったことにできる?」

「できないことはないけど……、したくない」


見なかったことにしたくないなんて、かなり怒っているのでは? 忘れたくないくらい怒ってるってことだよね……。


わたしは何も言えずに顔を下ろして、そのまま机に突っ伏してしまった。わたしたちの間に気まずい時間が流れてしまう。とてもじゃないけれど、藍葉さんの顔は見られない。


このまま一緒にテスト勉強を続けるのも多分難しいだろうし、もう家に帰ってしまった方が良いのかもしれない。わたしが帰ろうと思い、重たい体を起こそうとしたけれど、その前に藍葉さんが立ち上がったみたい。机が少し揺れた。


「ちょ、ちょっとお菓子持ってくるね。休憩にしよっ」

藍葉さんの声もかなり動揺しているようだった。藍葉さんがいそいそと移動して、部屋の外に出たのを耳で確認してから、わたしはゆっくりと体をあげた。一人残された部屋で、大きくため息を吐き出した。


「どうしよ……」

頭を抱える。

「どうしよ! どうしよ! どうしよう!!」

わたし、絶対に藍葉さんに嫌われたじゃん! 絶対トドメじゃん! 


せっかく藍葉さんが、なぜかこの間の海音とのキスのことを許してくれてたのに、なぜこんなミスをしてしまったのだろうか。せっかくまた元の仲に戻りかけてたのに、あろうことか藍葉さんとキスをしたいことがバレてしまったなんて! 


不安いっぱいになって、ジッと座っていることも難しくなって、立ち上がる。特に意味もなく、人の部屋をうろつき出した。


藍葉さんがいるときにはゆっくり室内は見られなかったけれど、タンスの上に鳥のぬいぐるみが並んでいたり、勉強机には鳥のステッカーが貼ってあったり、部屋を可愛らしく飾っていることに気がついた。藍葉さんは、本当に鳥が大好きみたい。

「鳥のぬいぐるみとかあげたら機嫌直してくれるかな……」


そして、机の上をジッと見ていたら、写真立てが不自然に寝かされているのに気がついた。そういえば、さっき部屋に入ったばかりのときには、ちょうど勉強机の上に視線が向かったときに藍葉さんに追い出されてしまったから、机の上に何があるのかはゆっくり確認できなかったのを思い出す。


意図的に倒されたような写真立てが、一体何を隠しているのかが気になった。きっと、さっき藍葉さんがわたしを部屋から追い出してまで隠した何かだ。わざわざ隠そうとしているようなものだもの、どう考えても見てはいけないものだ。躊躇はしたけれど、弱いわたしは好奇心に負けた。


どうせ嫌われてるんだし、もうどうにでもなれ! わたしは思い切ってどんな写真を隠していたのか、確認してみる。写真立てを立てる。


見えた写真に目を疑ってしまった。本当に藍葉さんの部屋にある写真なのだろうか。思っていたようなタイプの写真とは違って、びっくりした。


てっきり、鳥の写真とか、鳥と戯れている藍葉さんの写真とか、そういう類のものかと思った。藍葉さんは、大好きな鳥で部屋を埋めたそうにしていたから、写真立てだって、大好きな鳥に関連しているものだと思うじゃん……。


もうちょっとゆっくり見たかったのに、わたしが写真を確認したのとほとんど同時に部屋のドアが開いたのだった。


「おまたせ」

お盆にオレンジジュースとクッキーとチョコレートを乗せてやってきた藍葉さんは、いつも通り俯きがちだったけれど、その表情がどこか照れ臭そうに見えたのは、わたしが写真を見てしまった後だから、変に意識をしてしまっているからだろうか。


藍葉さんは困惑しているわたしを見て、一瞬首を傾げたけれど、勉強机の近くにいたから、状況を察されてしまった。

「……写真、見たの?」

藍葉さんがジッとわたしの方を睨む。


睨んだ顔なんて滅多に見られない。藍葉さんの普段見せない表情がいっぱい見られてラッキーだな、なんてことを考える余裕は当然無くて、わたしは必死に首を横に振った。


「ごめん、見ちゃった!」

否定のポーズをとりながら、肯定の返事をするくらい、わたしは慌てていた。


写真立てに大切に飾ってあった写真は、校外学習の時にわたしと一緒に撮った写真。そして、そこに「好き!」と書いてあったり、ハートマークが書いてあったりしてデコられていたのだから、藍葉さんのイメージと全然結び付かなかった。一体藍葉さんがわたしにどんな感情を抱いているのかわからなくなった。

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