第15話【番外編】変われど死することはなく
縁側で近江と大橋が向き合いお互い真剣な表情で同じ場所を見ている。
「あきのたの……」
「はいっ!!」
藤嶺が読み上げて2秒と経たずパシンッと音がして札が飛ぶ。飛んだ札を大橋が拾い上げると近江が悔しそうにそれを見つめる。
「は、反則よ! 読み上げ終わってからって約束だったじゃない!」
「すみません近江さん。つい癖で……」
2人がやっていたのは大橋が持ってきた百人一首だった。
絵の美しいものを選んで持ってきたのは言葉や文字の勉強の手助けになればという思い以外にも見て楽しめたらと近江を思ってのことだった。
百人一首を近江に説明するとやりたいというのでまず大橋が読み札と取り札を覚えるために1枚ずつ見てみようと縁側に並べ遊ぶことになったのだ。
初心者であり初めて百人一首を見た近江に優しいルールを設けることになり、百首からではなく近江が覚えることが出来た36首からしか出題しないこと、必ず読み札を読み切ってから手を出すこと、札は近江の近くに配置することなど近江が楽しめそうなルールになった。
最初はキョロキョロと顔を動かし札を探していた近江も回数を重ねるにつれて大橋より早く札を取ることが出来るようになり、それにつられて大橋もついルールを忘れて読み終わる前に手を出してしまった。
「大橋くんは御祖父様が和歌を好んでいたからな」
大橋が百人一首が得意な理由は祖父にあった。歌詠みの会などという団体を立ち上げるほどに和歌を愛した祖父は孫にすらその愛を説くほどだった。大橋も百人一首が性に合っていたのかすぐに上達し大会に出ることもある。
そして祖父は藤嶺を見つけると百人一首の札を書いてくれと依頼をした。それに続くように歌詠みの会の何人かもまた同じように百人一首を依頼したため藤嶺も百人一首をおぼえてしまっている。
「こうして藤嶺さんに読手をしてもらっていると祖父がうらやましがっちゃいますね」
2人が昔を懐かしんでいると札と睨み合いをしていた近江が声を上げる。
「大橋! もう1回!」
「いいですよ。やりましょう近江さん」
札を並べ直し、2人がまた見合う形で札を睨む。
藤嶺は笑みをひとつ零すと読み札を1枚引き落ち着いたけれどよく通る声で読み上げ始めた。
「……きみがため――」
幾度目かの勝負の果て、ついに近江は大橋から勝利をもぎ取った。
「私の勝ちね!」
「いやぁ、上達が早いですね近江さん」
「ひらがなしかないなら私でもいけるのよ」
ふふんと自慢するように笑う近江がふと藤嶺の持つ読み札を見る。
「ひらがなも付いてるなら私にも出来そうね」
「そうですね……」
ちらと2人が藤嶺を見ると藤嶺は笑って袖を捲った。
「一戦なら付き合おう」
先程とは違い場には平等に25枚ずつの取り札がそれぞれの前に並べられた。近江に読ませてあげるために5枚だけは全て読み上げてからそれ以降は通常ルールでという取り決めとした。
「いきます!」
近江が手を上げて宣言する。
「つくばねの――」
大橋と藤嶺の一戦は大橋の勝ちで終わった。
負けた藤嶺よりも近江の方が悔しそうにするので藤嶺は思わず笑い近江の頭を撫でると立ち上がり台所へと姿を消した。
藤嶺が戻ってきた時手に持っていたのはバームクーヘンだった。
「大橋くんから頂いたバームクーヘンでも食べよう」
箱から取り出し切り分けると3人分更に取り分ける。
「ばーむくーへん」
「甘いお菓子だよ」
近江はくんくんと匂いを嗅いでからフォークで小さく切ると1口食べる。
「おいしい!」
「知ってはいたけど食べるのは初めてだな」
「近くだと意外と寄ったりしないですよね」
滋賀にある有名なバームクーヘン屋だがお土産として誰かに渡すことはあっても自分用に買うことはこれまでなく、藤嶺も大橋もこれが食べる初めての機会だった。
「同じ建物内に和菓子も売ってましたよ」
思い出したように大橋がそう言いながら携帯で撮った写真を見せる。数枚ある写真を近江と藤嶺が覗き込む。
「人いっぱいね」
「テーマパークっぽいな」
「ホットドッグとか、すごい長いガーリックトーストとかあって本当にテーマパークみたいでしたよ」
流石に食べてないですけどと大橋は笑って携帯を返してもらう。ここから遠出することのない2人にこうした写真を見せるのも意外と悪くないのではないかと思い、次はどこのお土産を持ってこようかと大橋はバームクーヘンを食べる2人の姿を見て思うのだった。
「それじゃあお邪魔しました」
「お土産ありがとう」
日が沈み出す前に大橋は帰って行った。忙しい仕事の合間にこうして時々顔を出してくれるのは藤嶺にとって申し訳なく思うと同時に有難かった。
大橋を見送り家へと藤嶺が帰るとまだ近江は百人一首と向き合っていた。
読み札と取り札を合わせているようだが、やはりまだいくつもペアが間違っている。
近江の横に座ると藤嶺は間違ったものを直していく。
「これも違う」
「むぅ。これは?」
「それは合ってる」
一通り読み札と取り札を合わせながらまとめ終わるとまた1枚ずつめくって目を通していく。
「どうして今と昔で言葉が変わるのかしら」
「さぁな」
「言葉がわかるのにどうしてかは分からないの?」
近江はただ疑問を口にしただけなのだろうがその言葉は確かにそうだと思い思わず藤嶺は驚き考え込む。
「言葉が増えるからかもな」
「増えるだけで?」
「便利な言葉が増えることで分かりにくい言葉が使われなくなる。そうやって古い言葉が使われなくなり新しい言葉が台頭する。世代交代みたいなものだな」
「群れの長が代わるのと同じね」
藤嶺は札を1枚めくる。
この言葉を見てすぐに意味のわかる人はそう多くは無い。けれど使われなくなった言葉は学問として残り、こうして現代でも触れ合い学ぶことが出来る。
形は変わり意味は変わりそれでも言葉は文字として残る。
「ああ、だからかな」
取り札の見やすいフォントとは違う、隣に読み仮名の振られた読み札の崩れた文字を見て藤嶺は思う。
いつか失われるかもしれない言葉が自分の書いた文字として長い年月残っていく。
自分が書道の道に進んだ理由のひとつが今になって分かったような気がした。
筆が握れない原因だというのに、震える右手が何故か書きたくて震えているかのように感じた。
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