第13話山に人魚

 目が覚めるとそこは草木が生い茂る山の中だった。

 俺は確かにあのボロボロの小屋に入ったはずだ。そこで女性の声を聞いて……、それから、それから……。


「小屋がない……」


 周りを見渡してみても小屋らしきものはなかった。草をかき分けて進むと、湖の跡地に出た。

 やはりさっきのところは小屋があった場所だったのは間違いない。けれど小屋はない。


「あれは……祠?」


 目を凝らして見ると、湖の跡地の枯れた木のそばに小さな祠があった。苔が生えて緑色をしたそれは少しだけ扉が開いていた。

 罰当たりかもしれないが、俺はおそるおそるその扉を開けた。

 ふたつの骨壷が寄り添うように置いてあった。ひとつは小屋の中で見たもののように俺には見えた。もう片方は少し小さい。そのふたつの骨壷は離れないように青い組紐で結ばれていた。


「近江と、藤嶺碧……」


 この骨壷は気絶している時に見たあのふたりだと俺は直感で感じた。そしてこれを用意した人もきっとあの人だ。そう確信した。

 俺は祠の扉をしっかりと閉めて手を合わせた。


 ――ありがとう


 そんな男女の声が聞こえたと思って顔を上げると、そこはあの山道に入る前の場所に俺はいた。

 まるで最初から全て俺の夢だったかのように、目の前から全て消えた。

 俺は帰ってすぐに今日のことを書き記した。夢なんかではなかったのだと、忘れないように。

 

『いとし花〜藤嶺碧の軌跡を辿る〜』そう題された書道展覧会には書道好きたちが大勢集まって藤嶺碧の書いた書を見ては談笑していた。

 俺もそこへ入り、目当ての人物を見つけて歩み寄る。


「曾祖父さん」

「……おお、久しぶりだね」

「今日は随分お元気そうですね」

「この日を待ちに待っていたからね」


 祖父の父、曾祖父は車椅子に乗り沢山管の着いた体でこの展覧会に参加していた。隣には付き添いのボランティアの女性。その女性も俺が来たことで気を利かせて離れてくれた。

 どうしてもこの展覧会に行くのだと言うので病院から一日だけ外出許可をもらってこうやって来ているのだ。

 だけど、入院していた時よりなんだか調子が良さそうでこの外出はして良かったみたいだ。


「藤嶺碧、曾祖父さんはずっとこの人のファンだったもんね」

「ああ……」


 曾祖父が見ていたのはなんだか他のものと比べて下手な気がしたが、曽祖父はにこにことそれを見ているので俺には分からないがとてもいい書なのだろう。

 説明書きには藤嶺碧最期の作品と書かれている。俺には全く読めないけど。

 どうやらこれは柿本人麻呂が詠んだ歌らしい。本当かどうかは知らないが、柿本人麻呂の名前は俺でも聞いたことがある。

 よくよく見ていると最初の文字だけは読めそうだ。


「近江……?」


 なんとも最近聞いたような言葉だ。


「滋賀の近江?」


 ――それとも、


「人魚の方の近江?」


 ガタリと曾祖父が車椅子を揺らした。落ちたら危ないと慌てて支える俺の腕を、骨と皮の手で強く掴まれた。


「いま、なんて……」

「人魚の、近江……」

「行けたのか、あの場所に」


 曾祖父の目は俺を見ているようで、どこか遠くを見ているようだった。

 もしかして、曾祖父は……。


「あの夢に出てきた大橋って、曾祖父さんのこと……?」

「ああ……っ、そうか、全部知っているのか」

「うん」


 大粒の涙を流す曾祖父の背中をさする。

 きっと、あの時見た夢は夢なんかではなかった。そう確信した。



 興奮してしまった曾祖父を病室のベッドへと移動させる。

 少し落ち着いた様子の曾祖父はあれからの話をしてくれた。


「近江に言われた通り、あの山には少しの間近寄らずにいた」


 時間を置いて次に山に入った時、近江はすでに亡くなっていた。気温が高く風通しも良かったから綺麗に白骨化していた。近江は骨になっても藤嶺の骨壷を離していなかった。

 どこかで見た光景を静かに聞いていた。

 曾祖父、大橋はその近江の骨を藤嶺と同じように壺に入れ木の箱に入れ白い布で包んだ。自分で用意したそれは少し大きさが違うけれど、よく出来ていた。


 そしてふたりには大きい家から場所を変え、藤嶺が近江のために植えた林檎の木の近くに買ってきた木製の祠をおいてその中にふたつを入れた。しかしなんだかその姿がしっくりこず、離れているように思えた大橋は青い色の組紐を買ってきてふたつを結んだのだ。

 一年に一度、大橋は手を合わせに訪れていた。しかしいつからか山に行っても。何故かあの場所まで辿り着けなくなっていた。それは大橋だけでなく、他の人間もだった。

 何故なのかと大橋は叫んで泣いた。

 きっと大橋がここに囚われないようにだと、今ならそう思える。でも、あの時は裏切られたように感じたのだ。

 拒まれている。そう思った。

 小さい子供が大橋に、どうしてこの山は山頂に登れないの?と聞いてきた時、大橋は「人魚が来ないでくれと言っているんだ」と答えた。そしてそれがどうしてか周辺に伝わり、人から人へ広まる時にねじ曲がり山には人魚の社があって人を拒んでいると噂になってしまった。きっと答えた時の大橋の表情が余程酷いものだったのだろう。


「俺が、あそこに行けたのは……曾祖父さんと間違われた……?」

「……そうかもしれない」


 あの頃の大橋の年齢になる曾孫は大橋によく似ていた。

 だからきっとあの場所に呼ばれたのだろう。


「山にいる人魚近江と人間の藤嶺、か」


 ふたりの名前を口にする曾孫に大橋は目をやる。


「嶺って山のことだろ?藤嶺が山で近江が海。なんだかすごいお似合いって感じじゃないか?」

「……たしかに」


 曾孫の発想に大橋は笑って納得してしまった。

 あのふたりはきっと運命だった。

 藤嶺の山に人魚が来たこと。人魚の名前に近江と付けたこと。碧と名のつく人と碧い色をした人魚。そのふたつが惹かれあったこと。

 それら全てを集めてふたりは運命になったんだ。


「山に人魚、か……」

「なんだかそれ、ことわざみたいだね」


 山に人魚。ことわざだったらどんな意味になるのだろうか。

 運命は思いがけないところにあるものだ。とか、どうだろう。


 曾祖父はその話をした数日後、息を引き取った。

 とても安らかな顔をして眠るように亡くなっていた。

 それはとても青い空が広がる日のことだった。

 あのふたりに曾祖父は会えたのだろうか。会えたらいいなと俺は思う。

 山に人魚がいるんだから、そのくらいの奇跡あってもいいだろう。

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