第7話才ある人、愛ある人
「俺はお前みたいに生きれない」
これを言った時のかつての友はどんな顔をしていたのか、藤嶺は思い出せなかった。
代々続く天草の家に生まれたその男と藤嶺は所謂幼馴染と呼ばれる存在だ。小学生の頃に天草が引っ越してきてからの付き合いになる。
眉間に皺を寄せ不機嫌そうな顔をした天草に、藤嶺は仲良くなれる気がしなかった。家が近所だから交流は多かった。少し話すようになって分かったのは天草は素直で素直じゃないということ。
天草はすぐに表情に出るし、思ったことは口にする。しかし、それが素直じゃない。あの初対面の仏頂面は緊張していたからであったし、トゲのある言葉を言う時は心配した時とか照れた時だ。
天草はとてつもなく不器用だった。
毛筆は苦手だったが墨をするのは得意だった。万年筆に慣れるのは遅かったが、その分誰よりも丁寧に書いた。誰よりも道具の手入れを綺麗にしていた。誰かが出したゴミを拾って捨てていた。それを自分から言うこともなく当たり前のこととしてやっていた。天草はそういう男だった。
「お前は損をする性格だな天草」
書道教室の掃除を自主的にする天草の姿を見つけ、箒とチリトリを持って藤嶺は手伝う。
「何故?」
「いつも掃除して綺麗にしてても、他の人は気づかない。当たり前のようにまた汚していく。それを片付けている人がいるなんて思いもせずに」
「……それが何故俺の損になる?」
書道教室に通う子供は天草を避けている。それは目つきの悪い目で睨まれたり、厳しい言葉を投げかけられたりした結果だった。それを愚痴る子供のせいで、天草と関わりのない子でさえ天草を怖い人だと避けるようになっていた。
けれど、教室が終われば天草は他の子が汚した床を掃除する。それを人は知ろうともしない。
睨まれたのだって教室で走り回るからだった。厳しい言葉はただ迷惑になる行為を注意していただけだった。それでも子供は正論を嫌う。それが柔らかい言葉でないのなら尚更に。
「汚い教室は居心地が悪いだろ」
天草が教室を綺麗にするのは自分が汚れた教室が嫌だから。それだけだった。
天草の行動原理は簡単だ。自分のため。
それが周りのためになることだとしても、自分の気持ちで自分が行動する。それを自分のためだと言い切る。それ故に周りに不満を抱くこともない。
「良いことをしたんだから、褒められるべきだろ」
「俺の行動に対しての称賛を俺は求めていない」
「でも、認められたいって思うもんじゃないか?」
「なら藤嶺が俺を認めればいいだろ」
天草はあまりにも潔かった。あまりにも不器用で潔いが故に生きるのは大変になるだろうと藤嶺は天草のことを心配した。
それから天草と藤嶺は親友のような存在になった。困ったことや悩みがあれば天草は藤嶺に頼ったし、藤嶺も天草を頼った。
「俺は書道家にはならない」
だから、なんの相談もなくそう決めた天草に藤嶺は驚いた。
書道家の親を持つ者同士、同じ道を歩むのだと思っていた。
「俺には書道の才能がない」
「そんなこと、」
「あるんだよ」
藤嶺には分からないのかもしれないが。と自嘲気味に笑う天草を藤嶺は初めて見た。いつも周りの評価を気にせずに生きてきた天草が周りを気にしている。
「下手じゃない。自分の字に不満は無い。でもそれだけで生きていける世界じゃない。周りに認められてやっと生きていける世界だ」
天草はきっと誰よりも現実を見ていた。
「そこから先に俺はいけないんだ。藤嶺」
「そう、か」
「でも俺は書道を諦められない。墨の匂いも、紙の擦れる音も、人によって違う字も、その全てを俺は愛している」
天草は書道を愛した。けれどその才能には恵まれなかった。
「なら」
「俺はお前みたいに生きれない」
諦められないなら今以上に努力して練習して頑張ればいい。未来が決まったわけじゃない。そうしたら、もしかしたら、そう思っても天草は自分の限界を知ってしまっていた。藤嶺のような才能がないことを知ってしまった。
けれど、天草は妬んだりしなかった。むしろ納得したし、すんなりと受け入れることが出来た。それは藤嶺の努力を知っていたからだ。
「お前みたいに生きる必要もない。だから、俺は俺で出来ることをする」
藤嶺が思うより、天草はずっと未来を見据えていた。すでに自分のやりたいことを見つけていた。
「一番書に近いところで書に関わって生きていく」
「……なら、結局行く先はきっと同じだ」
「どんな手を使っても俺はやりたいことをやる」
そうして、天草は書道会の会長にまで上り詰めた。
書道に興味のない層にも届くようにアピールの仕方を考え、見出しには印象的な言葉を使うようにした。入口はなんでもいい。最後には書道を知ってもらえばそれでいい。天草の全ては書だった。
その必死な姿を藤嶺はずっと見ていた。藤嶺にはあの不器用な友を嫌うことも恨むことも出来ないのだ。
天草の全てを使って、周りの全てを使って頑張る姿を知っているかぎり、藤嶺は天草を嫌いにならない。
「……………………」
「……みどり。おおはし、どうかしたの?」
「さぁ……?」
藤嶺が湖から家の縁側辺りまで引いた近江専用の水路の確認をしていた時だった。大橋が突然藤嶺の家に訪問してきたのだ。泣きそうになったり怒っているような表情をしたりと百面相して思うように言葉が出ないのか無言で座り込んだ。
その様子を水路の調整をしながら藤嶺と近江は見ていた。
「……あああああ!!もう!!」
突然の大声に近江と藤嶺はびくりとした。近江が驚いた拍子にバシャンと跳ねさせた水が藤嶺の顔にかかる。
「大橋くん、一体どうしたんだ」
濡れたところをタオルで拭きながら大橋に問う。
「……最近、若い書道家さんが有名になってきているんです」
「良い事じゃないか」
「そりゃ、若い人が活躍出来るのは良い事ですよ。でも、売り出し方が……」
「売り出し方?」
言おうか迷う素振りを見せる大橋を急かすことなく藤嶺は縁側に腰掛けて待つ。
大橋は鞄から雑誌を一つ取り出すと、あるページを広げて藤嶺たちに見えるように差し出した。それを藤嶺と近江が覗き込む。
「イケメン若手書道家。あの巨匠も人目置く若き天才。イケメン書道家は字を書く時すらかっこいい」
「……みどりのが格好いいわよ?」
何度か雑誌に映る青年と藤嶺の顔を見比べた近江は首を傾げた。
「それはそうなんですけど」
「大橋くん、乗らないでいいから」
近江の言葉を否定するでもなく共感する大橋に話の続きを求める。
「この雑誌見て思いませんか?」
「なにを?」
「同じ人の顔ばっかりね」
「そう!!でも書道の雑誌なんですよ!!!!これは!!!!」
また突然の大声を出す大橋に、驚くふたり。ダンッと音を立てて床に大橋の拳が振り下ろされた。
いつも見ている書道の雑誌とは随分雰囲気が違うそれは、表紙を見てみればいつもと同じ雑誌名が刻まれている。いつもであれば、書道家の書いた文字たちがずらりと並び顔写真など、隅の方に添えてあるものが数える程しかないような雑誌だ。
けれど、今回のこれには青年の顔写真や普段の写真、ファッションを見せるようなまるでモデルみたいな写真まで載っている。かろうじて文字を書く姿が1枚。そして肝心のこの青年の文字は小さくおまけのように2枚ほど。
他の先生方のページはいつも通りで藤嶺はほっとする。
「書道に!!顔は!!関係ない!!」
「そうだそうだー!私のみどりの方が格好いいぞー!」
「あの巨匠って誰だよ!!」
「佐倉先生とかじゃないか?あの人若手によく目をかけていただろう」
「……僕は、僕は簡単に天才って言ってほしくないんですよ。その人の努力とか時間とか思いとか、全部を天才なんて言葉で表して……まるで最初から与えられたものみたいに言ってほしくないんですよ……!藤嶺さんの時もそうだった!何も変わってない」
「大橋くん……」
藤嶺もそれには少し思うところがあった。
最年少受賞。天才書道家。かつての藤嶺もそのように言われていた。その度に大橋は今日みたいに怒っていた。まるで自分のことのように。大橋は悲しいのだと思う。
必死に書いて書いて書いて、そうしてやっと大きな公募展でいい所まで言ったのに、取り上げられるのは若さと顔。その裏にある努力には目もくれないで。
それに怒る大橋は優しい。藤嶺は何度も言われているうちにすっかり慣れてしまったし、その言葉を使われることに対しては許容すらしていて言われる度に怒る大橋を窘める立場だった。きっと、藤嶺が折れずに書道家として生きていけたのは大橋がそうやって自分の分も気持ちを出してくれたことも一因なのだろう。
「おおはしってみどりのことも、この子のことも大好きなのね」
「……そうですよ!好きですよ!」
「ありがとう」
「……なんですか」
「いや、昔から君がそうやって怒ってくれるから、俺はそういう言葉に傷つけられずにいたんだろうな。きっと、この子も喜ぶよ」
かつての藤嶺がそうであったように。
「近江さん、藤嶺さんはこうやっていろんな人をたらしてくんですよ」
「そうね、確かにみどりってそういうところあるわ。あんまり他の人には言わないでね」
「言う相手くらい選んでいる」
近江と大橋はその言葉を聞いて顔を見合わせた。
それはつまり、他の人には言わないけれど自分たちだから言っている。ということだろう。
ニヤニヤと笑っていると、やっと家の外まで続く水路の変化に気がついた。
「藤嶺さん、この縄と滑車は?」
水路の少し上を片手で握れるほどの太さの縄がかかり、その先には滑車がついている。水路と同じく湖へとそれは続いていた。
「近江が泳ぐには深さが足りないからな」
少し工作をしたんだ。と藤嶺がそういうと近江が少し湖側へ移動する。その際に水の揺れになんだか違和感を覚えた。目を凝らして近江がいる辺りの水の中を除くと、そこには車輪のついた簀子のようなもの。
縄を手繰り寄せて近江はその台車のようなものでこの水路を移動していた。
「この装置、私も手伝ったのよ!」
「手作り……藤嶺さん本当に器用ですね」
「時間だけはあるからな」
「私も!手伝ったもの!」
「近江さんもすごいですね!」
少しでも長い時間ふたりで居られるように。少しでも快適に過ごせるようにと考えた装置だった。
他のことに気を取られていた大橋は、藤嶺と近江の姿を見て違和感を覚えた。それは悪いものではなく、どちらかというと前よりもふたりの姿がしっくりくるようになっていたことに対するものだった。
大橋の知るかぎりで一番生き生きとする藤嶺と、同じく楽しげに笑う近江がふたり寄り添うとまるで絵画のようにお似合いで、大橋はこのふたりのことは自分しか知らないのだと少しだけ寂しくなった。誰にも知られることのないふたりを祝福する人は自分しかいないのだと思うと、大橋は自分こそが祝わねばと思ったのだ。
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