山に人魚

天智ちから

第1話人魚の社と白い人

「はい、これ許可証ね」

「ありがとうございます」

 

 俺は滋賀県のとある山へと訪れていた。そこは私有地で、管理人からの許可を取って入山することになっていた俺はもらった許可証を鞄にしまう。

 

「まぁ、アンタなら心配ないと思うがね。暗くなりきらん内に下りなさいよ」

「分かってますよ」

 

 管理人とは少しばかり知り合いで、この言葉が俺を心配してのことではないと知っている。

 管理人は山を守るためにいるのだ。許可証のない者が勝手に入ったり、ルールを守らず山で遭難されて怪我をされたりゴミを棄てられたりなど山を汚す行為をされないために注意しているにすぎない。この人はそういう人なのだ。自然の方が人間よりも大切で、自然を守るための人間を大切にする人。だからこそ、この山の所有者から管理人を任されている。

 つまりアンタなら安全に登山することが出来るだろうから心配していない。ということではなく、アンタなら山を汚したり悪さをしたりすることはないだうから心配していない。ということをこの人は言っているのだ。

 

「何かあったり、山を下りたら連絡してくれ」

 

 管理人と別れ、俺は山の入口に立つ。

 この山には人魚を祀る社がある。近づく者は人魚の呪いによって不幸になると一種の都市伝説のように噂は語り継がれて根付いていった。

 俺はその噂の真相を調べるために今日、ここへ訪れた。

 

 人魚の社がある山の近辺地域では有名な話だというそれは、最初は山の麓に住む人達の中でも極々少数の人の中で笑い話のように語られていた。それが段々、小さな子供が山を怖がるようになり「良い子にしてなければ山の人魚に連れて行かれるよ」と親が子供を叱る時に使う常套句になっていった。噂は形を変え広がりついには山に近づけば人魚に連れて行かれると噂にされるようになった。いつの間にかその噂は山を越え町を越え、地域全体に広がり今では子供から大人までどうも気味が悪いと誰も山には近づかないらしい。

 

 噂は昔からあり、話を聞いた人の年齢ごとに内容は多少変われどそのどれもに共通して人魚という存在が出てくる。

 興味本位で近付いた者が後日海で溺れただとか、不法投棄をした者の腕が突然震えて痺れるようになっただとか、山を拓こうと山の持ち主に話を持ちかけた工事会社が不慮の事故にあっただとか様々な噂があり、それを信じた人達は「これは人魚の祟りだ。怖い目にあいたくないのなら山には近づいてはならないよ」と言って恐ろしがり子供にも近付かないようにと言い聞かせるほどだとか。今も尚その噂は続いている。

 それでも年に数回、県外からの人が肝試しにと訪れることがある。

 

 聞き込みをして分かったことは噂は昔からあり、話を聞いた人の年齢ごとに内容は多少変われどそのどれもに共通して人魚という存在が出てくるということだけだった。

 順調に登りながら、中々近づかない頂上を見上げる。汗をかき息すら乱れてきたというのに、見える景色は数十分ほど前とほとんど変わらない。

 

「思っていたより、高いな……」

 

 遠目で見た時はそこまで高い山には見えなかったが、登ってみればかなり山頂まで距離があるようだった。

 昔は誰かが通っていたのか、道のようなものがあり俺はそれを辿って山を登っていた。均されていたであろう道には周りより薄く緑が広がり小石が転がっている。気をつけて登らなければいつか足を滑らしてしまうだろう。舐めていたわけではないが、想定していたよりも悪い足場に少し焦りが出る。落ち着いて安全を第一にしてゆっくりと足を進める。

 

 二時間ほど登っただろうか、山の中腹あたりで安全そうな場所を見つけ一息つく。登ってきた方を見れば遠く下の方に民家が見える。ふと横から入る光に反射的に顔を向ければそこには思いもしなかったものが目に入った。

 

「海だ」

 

 海無し県の一つと言われる滋賀県から海が見えるとは露ほどにも思っていなかった。地図を確かめてみても視線の先に琵琶湖はなく、滋賀県を越えたところに海がある。確かに琵琶湖とは違う青い光が、遠くで揺れていた。

 涼しい風を背中に感じながら息を整えていると、木々の間から何かがきらりと光るのが視界の端に映り込む。

 太陽の光が何かに反射したのか、それとも他の光源があるのだろうか。どうしてかそれが気になった俺は探してみることにした。

 

「うーん……この辺で光ったような」

 

 ガサガサと草をかき分けて進むが見つかる様子はない。

 あまり深入りしても危ないと思い、ここらで引き返そうと屈めていた腰を元に戻すため少し伸びをする。すると、視界の端の方で奥にまるで最近人が通るために整備したかのような道があるのを見つけた。

 

「もしかして、これが人魚の社への道……とか」

 

 まさかそんな都合のいいことがあるわけがないと思いながらも、光に誘われる虫のごとく俺はその道へと吸い寄せられたかのように足を動かしていた。

 整えられた一本道を十分ほど歩いた頃だろうか。地面が深くへこんだところに草木が生い茂っている場所に出た。俺が通っていた高校のグラウンドほどの大きさのそれの深さは草木により正確には分からないが、落ちれば背の高い大人ですら這い上がることは出来ない程度の深さは確認出来た。どうやらここは干上がってしまった、かつて沼や湖のような場所だったのだろうと推測することが出来た。

 

  道はその横を通り更に奥へと続く。山の奥は虫の声すら聞こえないほど静まり返っていた。

 俺の足は歩みを止めることなく進み、道が途切れるまで歩いた。途切れた先にあったのは、小さな小屋のようなものだった。

 小屋はそこらじゅうが朽ちており、人が長らく住んでいないことを示していた。壁には植物の蔦が絡み苔が生えており、屋根は辛うじて雨をしのげるほどには存在していた。

 小屋の扉へ手をかけると、扉はガタリと音を立てて倒れた。

 

「し、失礼しまーす……」

 

 こんな廃れたところに誰がいるわけでもないだろうが、礼儀として一応挨拶をして小屋の中へと入る。掃除されていない所を素足で歩くわけにもいかず、心の中で謝罪しながら土足で進む。砂埃がふわりと舞い靴が触れたところの色が変わる床は所々が抜けており、歩く度にミシミシと嫌な音が鳴り不安を煽る。それでも俺は進んだ。それが何故なのかは分からない。

 

 ただ、何かが俺の背中を押しているような気がした。

 

「ひっ……」

 

 進んだ先にあったのは人間の遺骨だった。思わず俺は短い悲鳴をあげた。

 何年も前に死んだのであろう。肉が綺麗に腐り落ち骨だけがそこにあった。生前着ていたものなのか、黄ばんだ白い布が足元を覆っていた。そしてその遺骨は大事そうに何かを抱えているように見えた。その何かに俺は見覚えがあった。

 

「あれって……確か骨壷が入ったやつじゃ……」

 

 白い布に包まれた四角い桐の箱。それは骨壷を入れておくものだった。それを骨となった人が抱えていたのだ。

 まさか、ここが人魚の社とでもいうのだろうか。

 この骨が、人魚の呪いを受けた末路だとでもいうのだろうか。


 ――ぽちゃん


 突然聞こえた水の音に俺はびくりと肩を跳ねさせ驚いた。


 ――ぽちゃん――ぽちゃん


 その音はまるで遺骨から離れろと言うかのように先程俺が来た方向から聞こえた。

 遺骨から離れ、音のする方へ足を向ける。その前にせめてもの弔いとして遺骨に手を合わせる。


――どこのどなたか存じませんが、どうか安らかに


 このことを報告して、埋葬してもらおう。そう心で思い俺は遺骨に背を向け歩き出す。

 小屋を出ると少しひんやりとした空気が肌に触れ、思わず身震いをした。そのままあの干上がった湖へと足は進む。

 するとどうだろう。あの干上がっていた湖が生い茂る草木すらなく、何故か美しく澄んだ水で満たされ青く輝いているではないか。

 

「どういうことだ……こんなこと、ありえない」


――また、来てしまったの――?


 どこからか聞こえた女の声を遠くで聞きながら、俺の意識は遠のく。彼女が最後に呼んだ名前を聞き取ることは出来なかった。

 

 

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